静寂と郷愁の響き

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 先日の日記で、ウクライナと聞いて真っ先に思い浮かんだ人、フィギュアスケーターオクサナ・バイウルさんについて書いた(2022年2月27日の日記参照)。

 だが、そのあとで、私にとってものすごく大切な現代音楽の作曲家がウクライナ人だったことを完全に失念していたことに気づき、忸怩たる思いとともに慌ててここに書き記す次第。

 ヴァレンティン・シルヴェストロフValentin Silvestrovだ。

 1937年生まれのシルヴェストロフさんは現在84歳。60年代までは前衛的な、いわゆる「現代音楽らしい」曲を作っていたそうだが、70年代以降はその作風に大きな転換が起きる。伝統的なクラシック音楽への回帰を志向した作品を生み出すようになったのだ。表面的には、現代音楽とは馴染みのない「普通の人」でも聴きやすく親しみやすい曲が多くなったのだ。

 もちろん、ただ古典をなぞっただけの曲作りではない。現代的な感覚と独特の感性で濾過され、奥深いものを秘めたその音の響きは、聴くものにさまざまな感情を呼び覚ます。彼の独自の抒情性に満ちた作風は、近年幅広い支持を集めており、私もその特異な音楽世界に魅了されている一人だ。

 

ヴァレンティン・シルヴェストロフ - Wikipedia

 

 シルヴェストロフ作品の魅力を私なりに言い表すと、「静謐」と「郷愁」の二つのことばに纏められるように思う。「静謐」でもちろん思い浮かぶのは、かのマンフレッド・アイヒャー率いるレーベル、ECMだ。ECMのクラシック系のラインである"ECM New Series"から、2002年以降多くのシルヴェストロフ作品がリリースされており、彼の作品が世界で広く認知されるのに大きな役割を果たしている。

 中でも2007年にリリースされた「バガテルとセレナーデ シルヴェストロフ作品集」"Valentin Silvestrov: Bagatellen und Serenaden"は超名盤。アマゾンのレビューで「命ある内に聴いておくべき一枚」と書いている人がいたが、まさにその通り。一生のうちに一度でも聴いておくべき音楽がここにある。心の底から全ての人にお薦めしたい。

 

www.amazon.co.jp

 

 私自身、このアルバムがシルヴェストロフ作品との出会いであった(そういう方は多いと思いますが)。タワレコの店頭で見かけてジャケット写真に惹かれて試聴したのだが、ほんの少し聴いただけですっかり虜になってしまった。以来、数え切れないほど繰り返し聴いている。私の持っている全ての音源の中で、間違いなく5本の指に入る一枚だ。

 アルバムの前半は作曲者自身のピアノ独奏によるバガテル集。彼方から聞こえてくるようなピアニッシモの響きに耳をそばだてているうちに、荒涼たる風景を心の中に描き、懐かしい、あるいはやるせない想いで身のうちが満たされる。

 後半はクリストフ・ポッペン指揮ミュンヘン室内管弦楽団演奏の弦楽セレナーデ集。数曲でアレクセイ・リュビモフがピアノ演奏を添えている。これがまた素晴らしい。音の流れに身を委ねているうちに、胸がぎゅっと締め付けられるような郷愁がこみ上げてきて、泣きたいような、それでいて心のうちは実に平らかに保たれているような、なんとも言えない心地になってしまう。特に「エレジー」"Elegie"は、まるで北の針葉樹の森の奥深くから、あるいは黄昏時の灰色に烟った湖畔の彼方から響いてくるような旋律が、本当に胸の奥深くに染み入ってくる。

 


www.youtube.com

(上記動画は、アルバム収録のものとは異なる演奏です。

 Kirill Karabits指揮、San Francisco Symphonyによる演奏)

 

 キーウ(キエフ)Kyiv (Kiev)の街で生まれ育ったシルヴェストロフさんは、84歳の現在もこの古都で暮らしているという。今まさにロシアによる侵攻で筆舌に尽くし難い苦難を強いられている、ウクライナの首都。この危機的な状況で、まだご自宅にとどまっているのだろうか。現在の消息が気になってネットで検索してみると、3月8日にドイツに脱出したというフランス語の記事が見つかった。

 

www.ledevoir.com

 

 とりあえずは無事のご様子でホッとしたが、生まれ育った故郷であり創作の源泉でありその舞台でもある街が苦難に虐げられている中、身を切るような想いで脱出を余儀なくされたのだろう。その無念たるや、いかばかりか。ソ連時代に、ソ連作曲家同盟から除名され音楽活動を禁じられた過去を持つシルヴェストロフさんは、侵攻者ロシアへの眼差しはとても複雑なものに違いない。戦争という惨禍が引き起こす損失は、まさに数字で測り切れないところでとても大きい、と改めて思う。

 

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 日本語で書かれた記事がないかと探したところ、2017年11月にシルヴェストロフさんが初来日した時のインタビュー記事があった。曲作りに際して大切にしていることなどを語っており、とても興味深い内容のインタビューだったので、ここに貼っておきます。

 

mikiki.tokyo.jp

 

 上記インタビューの中でシルヴェストロフさんは、現代人には「静寂の力」が必要だと話す。さらに、メロディの存在をとても重要視しており「音楽の最後の砦」とまで言い切っているのが、とても印象深い。私たちが生きる世界には、彼が作るような音楽がまだまだ必要なのだ。水の中に潜っていた子どもが、空気を求めて水面に顔を出すように。

 ウクライナをめぐる非常事態を受けて、世界中の多くの演奏家たちがその音楽活動を通してウクライナを支援しているが、彼らの多くがその演目の中に、シルヴェストロフ作品を取り上げているのは当然のことだろう。かの国を支える人々を動かす力として、彼が作り出した美しく、どこか懐かしさを感じさせる幽けきメロディが大きな役割を演じていることは、この殺伐とした世の中にも一朶の望みがあるような気がして、心がほっと温まる心地がする。

 

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(1枚目の写真は、私が持っている"ECM New Series"からリリースのシルヴェストロフ作品。2枚目と3枚目の写真は2022年3月16日にEOS Kiss Mにて撮影)

 

パッタイと柚子胡椒

 夕食のメインにと妻が作った今日の料理は、パッタイ

 いわゆるタイ風焼きそばだ。

 ここ数日で日中の気温がぐんと上がって、季節が春へと一気に前進したような暖かさ。それどころか、いきなり春本番並みの気温で少々暑く感じることも。身体が戸惑うことこの上ない。

 そうなるとエスニック風の料理が食べたくなってくる。

 そこでパッタイの登場だ。

 今日は、パッタイと主菜の鶏もも肉の柚子胡椒グリルを、ワンプレートに一緒盛りしていただく(下の写真)。柚子胡椒はエスニック料理の観点からは少々ズレるが、パッタイとの相性はなかなか良いぞ。

 

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 このお皿は、建築家の吉田愛さんが監修して制作したカレー皿「plate245」。

 どんなカレーを盛り付けても美しくなるように、という意図でデザインされた皿だそうだが、ペッタリと平たい底面に対してリムがしっかり直立しているのがポイント。幅広い料理を受け止めてくれるので、とても使いやすく用途が広い。我が家ではカレーだけでなく、いろいろな主菜の盛り付けや前菜の盛り合わせなどに頻繁に登場している。名前の通り直径が24.5センチと大きいので、こんな大きい料理の盛り合わせも楽々こなす。実に重宝している。

 

hi-zento.stores.jp

 

 早春の宵の食卓にて、美味を味わう至福のひととき。

(2022年3月15日投稿)

「歴史」を学ぼう

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 3月11日。

 東日本大震災から11年。

 あの災害の記憶を風化させてはいけない。

 大地震津波原発が引き起こした大いなる苦難と、復興への血の滲むような足掻きを忘れてはいけない。記憶すること、語り継ぐこと。それがとても重要なのだ。

 あの11年前の悲劇によって、私たちは、私たちが享受している平和な暮らしが、不断の努力なしには変わらず維持できないことを身をもって知った。その事実は、全世界の人々が今もって直面している非常に重い課題=新型コロナウイルス禍によって、さらにひしひしと強く実感することになった。

 そして今また、海と陸を隔てた彼方の、しかし空はこの日本と繋がっているウクライナの地では、人々の平和な日々は理不尽な戦争によって無残にも押し潰されている。

 朝にはおはようを言い合い、炊事洗濯や仕事や勉強や日々のルーティンの繰り返しを積み重ねる、平凡な日常。それがいかに脆くも崩れやすく、そしていかに大切なことか。我々は愚かにも、失ってから気づくのだ。永遠不変なものなど、この世にはひとつとして存在しない。

 だからこそなお、私たちはその平凡で単調な日々の暮らしを、意識して守らねばならない。それにはまず、過去に私たちが受けた苦難と悲劇を忘れないこと。忘れずに語り継ぐこと、引き継ぐこと。風化させないこと。私たちに先んじた人々そして私たち自身が辿ってきた道=「歴史」から学び続けること。そして、想像力の翼を広げて、私たちの外にいる人々の同じような苦難と悲劇に、想いを馳せること。自分たちの経験してきた「歴史」に照らし合わせて、それぞれの可能な方法で手を差し伸べること。

 「歴史」はこれまでの人々が辿ってきた、さまざまな人生の経験の集積である。

 経験から学ばぬ者は、経験してきたことを活かせぬ愚か者である。

 よって、「歴史」から学ぼうとしない者は、愚か者である。

 

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 「歴史」を学ぼう。

 「歴史」には、人々がおこなってきた、実にさまざまな優れた行いや愚かな行いが詰まっていて、私たちがこれからどう行動するべきかを考えるための、実に豊富な指針や材料を与えてくれるのだ。

 繰り返していう。

 「歴史」から学ぼうとしない者は、愚か者である。

(写真は2点とも、2022年3月10日に東京・渋谷にて撮影)

28年の月日を超えて

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 2月27日の日記で言及した、1994年リレハンメルオリンピックフィギュアスケート女子シングル金メダリストにして、ウクライナ初のオリンピック金メダリストであるオクサナ・バイウルOksana Baiulについて、少々追記を。

 まず、オクサナ・バイウルさんご本人によるツイッターアカウントが存在していました。

twitter.com

 2月27日の日記には「バイウル自身のコメントは未だ私の耳には届いていない」と書いたけれども、実際にはバイウルさんはずっと以前から祖国ウクライナへの想いをツイッター上で表明していた。寡聞にして存じず、失礼いたしました。

 この他にバイウルさんはインスタグラムのアカウントもお持ちで、そちらでも同様に祖国への愛を表明なさっている。

 

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 それから、1994年2月25日におこなわれたリレハンメルオリンピックフィギュアスケート・女子シングルフリープログラムの動画が、ネットのどこかで公開されているのではないかと思って検索してみたところ、なんのことはない本家本元オリンピックの公式サイトで無料公開されていた(笑)。

olympics.com

 

 考えてみれば当たり前の話か。オリンピックを運営する当事者なのだから、できるだけ完全なアーカイブを持とうとするのは、至極当然なことだ。この時ばかりは、オリンピック委員会の徹底したアーカイブ主義に感謝だ。

 しかもこの動画、リンク先をご覧になればお判りのように、全選手の演技はもちろん、競技開始から終了後のメダル授与のセレモニーまで省略は一切なし。流しっぱなしの4時間15分完全収録である。ただしテレビ局の放送分ではないので、実況中継や解説などは一切なし。もちろん日本語吹き替えではありません(笑)。

 2006年1月16日の日記に少し書いたように、当時の私の職業上の要請もあり、28年前のあの日私は夜通し編集部のテレビにかじりついて、このフリー競技を最初から最後まで通して観た(その時はもちろん、NHKの放送分なので日本語解説付きだった)。そのあまりにドラマチックな展開に、競技が終わってテレビ中継が終わった後も呆然と椅子の中にへたり込んでしまい、しばらく動けなかったくらいだ。

 このリレハンメル大会女子シングルフリーの日本でのテレビ中継は、やはり仕事上の必要から同時に自宅のビデオデッキ(!)で録画しておいた。ええ、あの頃はVHSのビデオデッキでしたねえ。そのおかげで、その後も何度か録画を再生して競技の一部始終を鑑賞することができたのは幸いだった。私にとって、あのフリー競技はそれほどまでに印象深かった。スポーツ競技全体にあまり思い入れが強くない自分としては、極めて珍しいのだが。そのVHSもずいぶん前に処分してしまったので、もう通して観る機会はないだろうと思っていたのだ。ネットで探せばすぐに見つかるところにあるとは知らずに(笑)。

 さっそく上記リンク先の動画で、競技の様子を拝見。変に編集されていないナマの映像なので、却って28年前の臨場感が時を超えて甦ってくる。観ているだけで感慨深い。

 といっても4時間ぶっ通しで観るのは、すっかり衰えきった私の目にはとても耐えられないので、とりあえず肝心の二人=ケリガン(この動画では2時間58分辺り)と直後のバイウル(同じく3時間6分辺り)の演技を観た。

 28年後の視点で改めて観ても、ナンシー・ケリガンのミスひとつなく高いテクニックに支えられた演技は、確かに正確なことこの上ない。現行の採点方法だったら確実にケリガンが優勝していただろう。それでも「与えられた課題を模範的にこなす優等生」の印象が拭えない。つまり、やっぱり全然面白くないのだ。

 そこに来ると、直後に滑ったバイウルの演技は、観るものへ訴えてくる「何か」が根本的に違う。人々に見せる、いや「魅せる」ことに力を尽くす演技というか。さすが「氷上のバレリーナ」と評されただけあって、バレエで身につけた表現力がスケートのテクニックを大幅に押し上げて、何か「すごいもの」を私たちに届けようという意志がその演技から伝わってくる。今見てもケリガンの演技なんかよりこっちの方が断然面白い。もう後半なんか会場との一体感が、映像を通してもビンビンに伝わってくる。本人は前日の事故で二針縫った右足の激痛で、気が遠くなりそうだったはずなのに(痛み止めを打ったとはいえ、ジャンプの着地のほうの足ですから……)。それでも次々とジャンプを決めてもう後半はノリにノリまくって、ハリウッドミュージカルナンバーをエンジョイすらしているように見える。ダメ押しに、そんな怪我を抱えているのに、コンビネーションジャンプを最後に持ってくる度胸の大きさまで(コンビネーションは著しく体力を消耗するので、当時の女子選手はプログラムの前半に持ってくる選手が多かった)。今のネット世代の人なら「神演技」とか呼びそうな、一世一代の大舞台だった。

 人の心を強く動かすものが芸術であるならば、このバイウルの演技は、まさに「芸術」と呼ぶべきものであった。28年経って改めて観ても、その印象は厳然として揺るがなかった。

 映像の最後には、メダル授与のセレモニーが収録されていた。オリンピックのセレモニー史上で初めて流れたウクライナ国歌。今まさにあの国の無辜の人々も、この歌を心の中で口ずさみながら苦難に立ち向かっているのだろうか。それを思うと、28年の時を隔てて今この国歌を聴くことの重さを、ひしひしと感じて心が重くなる。

 そうそう、日本語実況中継付き(NHKで放送されたものと思われます)のバイウルさんのリレハンメル・フリー演技の映像を見つけたので、貼っておきます。

 


www.youtube.com

 

(写真は2点とも、2009年7月14日にノルウェーソグネフィヨルドSognefjordenにて撮影。リレハンメルオリンピックの話だったので、ノルウェーつながりで挙げてみました)

(2022年3月8日投稿)

河津桜の咲くころ

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 東京・代官山の西郷山公園にて、河津桜の写真を撮る。

 3月に入ってようやく気候が春めいてきたので、そろそろ河津桜も花が咲き始めたかと思い、代官山に来たついでに様子を見に訪れた。

 

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 西郷山公園の真ん中にある小高い丘の上に、すっくと一本だけ河津桜の木が立っているのだが、ご覧の通り、雲ひとつない青空をバックに、ピンク色の花々が鮮やかなコントラストを為してとても美しい。多くの人が訪れて、カメラを向けている。

 

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 それでも、今年は2月のうちは非常に寒い日が多く、例年に増して春めくのが遅かったせいか、河津桜の咲きぶりもまだ三分から四分咲きという感じだ。

 一昨年にもこの日記に、同じ西郷山公園河津桜の写真を掲載した(2020年2月18日の日記参照)。その時の写真を見ると、まだ2月後半の段階であるにもかかわらず、3月に入ってから撮った今年の写真よりも多く花開いていたように見える。明らかに今年は開花が遅めだ。

 実際のところ、今日の写真をよく見ると、多くの花房がたくさんの蕾を抱えているのが分かる。満開はまだまだ先のようだ。

 

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 花開くのを今か今かと待ち受けるそんな蕾たちも、この先両腕をいっぱいに広げるように咲き開く花びらをぎゅっと凝縮して内に秘め、身体を丸めて待機している。その色の濃いこと! ほとんど紅のような色で、これもまた目に眩しい。

 

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 騒然とした世の中をよそに、むしろ宥めるかのように。

 私たちの心を慰め、いつまで見ても飽きない。

 美しき花々に、平和への祈りを込めて。

 武器の代わりに、戦場に花を持ち込もう。

(2022年3月4日投稿)

花はどこへ行った

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 ウクライナという国名を聞いて私が真っ先に思い浮かべる人は、1994年リレハンメル冬季オリンピック大会のフィギュアスケート・女子シングルで金メダルを獲得したオクサナ・バイウルOksana Baiulだ。

オクサナ・バイウル - Wikipedia

 あの時、女子シングルのショートプログラムで首位に立ったのは米国のナンシー・ケリガン。彼女がフリープログラムで正確無比だが人間味の欠片もない、まるで機械のようなクソつまらない演技を貼り付けた笑顔で滑るのを見て、私たちは画面のこちら側で大ブーイングを浴びせかけたものだ。

 そして、その直後に出てきたSP2位のバイウルが、まさに「魅せる」演技と呼ぶべき圧倒的で素晴らしい4分間を披露。会場の観客を引き込んで味方につけたのは勿論、画面の前の私たちまで大いに魅了したのを昨日のことのように思い出す。このドラマチックなフリーの演技で、バイウルは大逆転の金メダルを射止めた。

 現在はプロのスケーターとして米国に在住しているようだが、彼女は今まさにロシア軍の侵攻にさらされている祖国ウクライナの苦難をいかに嘆き悲しんでいるか、察するに余りある。バイウル自身のコメントは未だ私の耳には届いていないが、彼女と同じくウクライナをルーツに持つ多くのスポーツ選手や著名人たち、そしてロシアの側でも、多くの人々がこの侵略に抗議の声を挙げている。

 戦争は絶対にいけない。

 どのような理由であれ、どのような状況下であれ。

 その暴力的手段を取った段階で、取り返しのつかない過ちを犯しているのだ。

 戦争の最もいけないことは、国家という体制の「都合」によって、そこに暮らす個人のささやかな人生や幸せが蹂躙されてしまうことだ。戦争という「大義」を振りかざす国家という体制は、特定の個人の顔をしてない。その体制に属する政治家も役人も兵士たちも全て人間であることを失い、体制の一部を成す「部品」と化す。勿論、次から次へと代替の効く部品だ。元首でさえも例外ではない。ロシアのプーチン氏もまた。

 そんな体制が引き起こすもの=戦争には「人」は存在しないのだ。戦争が非人道的なのは当たり前なのだ。「人間」が存在しないのだから。顔のある個々の「人間」たちは戦争という「大義」に蹂躙されるしかないのだ。戦争は個人を抹殺すると言ってもいい。勿論、個々人の持つダイバーシティとか多様性とかを尊重することはまずあり得ない。

 くだんのリレハンメル大会の、女子シングルフリー最終滑走者はドイツのカタリナ・ヴィット(カタリーナ・ビット)Katarina Wittだった。彼女が演技で使用した曲は、反戦歌『花はどこへ行った』"Where have all the flowers gone?"。彼女がかつて金メダルを獲得した1984冬季オリンピック大会の開催地で、あの当時ユーゴスラヴィア内戦で大きく破壊されたサラエヴォへの、平和の祈りを込めての選曲・演技であった。

 平和への祈りは、いつの時代にも、変わらず。

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 花はどこへ行った。

 花はここにある。

 花は世界の全てを覆うほどに在る。

 武器の代わりに花を戦場に持ち込もう。

 銃口を花束で塞ごう。

 大地を花で埋め尽くそう。

 

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(写真は全て、2022年2月26日に東京・世田谷区の羽根木公園にて撮影)

【映画記録】挨拶ことばは「クー!」

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 下高井戸シネマにて、映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』デジタルリマスター版(露語題"Кин-дза-дза!"、英題" Kin-dza-dza!")を観た。

www.pan-dora.co.jp

 

 映画の最初の公開は1986年、今から38年前だ(日本での初公開は1989年)。伝説のカルト映画(この言葉も最近あまり見かけなくなった気がする)として名前はしょっちゅう聞くほど有名で、ずっと気になっているがなかなか観る機会の得られない映画というのがいくつかあるが、この『不思議惑星キン・ザ・ザ』はまさにその代表格。ようやく観ることができた。

 

 映画の制作国はソビエト連邦。れっきとしたソ連製フィルムである。冷戦期のソ連は米国と並ぶSF大国で、文学でも映画でも大御所の作家を多数輩出しているが、そういう意味ではこの映画もソ連SF映画の系譜に連なる一級品といえよう。まさにソ連SFの面目躍如の作品でもある。

 異星人の会話がほとんど「クー!」で終わってしまうのを始め、この映画にはバカバカしいくらいのヘンテコなノリが全編に満ち溢れ、独特の味わいを醸し出している。その辺りがカルト映画として取り上げられやすい要素なのだろう。とはいうものの、映画を観終わった私の最初の感想は「フツーにおもしろかったな」。カルト映画っぽい要素ばかりが強調される傾向があるが、物語そのものは非常に大真面目できちんとストーリーテリングされており、奇を衒うあまり観客を突き放すようなことは一切していない。友情やラストのカタルシスも込められて、非常にまっとうな娯楽作品に仕上がっている。まぁ物語の作りそのものはけっこう「ユルい」感じなので、現代のちょっと厳しい映画作りの視点からするとツッコミどころ満載かもしれない。全体の「ユルさ」とヘンテコなノリのせいで「何でもあり」感を出しているので、私自身は観ていて全然違和感はなかったけれども(笑)。

 惑星間の移動シーンもありながら、実は画面に宇宙空間が一切出てこないのも特筆すべきだろう。まぁ「特撮」に関しては、かなりの技術上の制約もあって手作り感が満載かな。それがまたイイのだが。映画のメインヴィジュアルともいうべき釣鐘型宇宙船が砂漠の上空をホワホワ飛んできて、ちょこんと短い脚を出して着陸するシーンの愛らしいことといったら!

 それは別にしても、この映画は随所に美しい場面が出てきて、その映像美を堪能するだけでも観る価値があると思う。延々と続く砂漠の中で繰り広げられる少々狂気を孕んだヴィジュアルイメージの数々は、まるでシュールレアリズムの絵画が動き出したかのようだ。特に惑星の首都において、地平線の彼方に巨大な風船のようなものが漂っている場面などは、まさにサルヴァドール・ダリの絵画の中に迷い込んだ錯覚すら覚える。

 映画に登場するキン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクが砂漠の星だというのは、巷では「スター・ウォーズ」シリーズの砂漠の惑星タトゥイーンからの影響だと言われているようだが、私はむしろフランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』"Dune"からのイメージではないかと思った。これは昨年ドゥニ・ヴィルヌーヴがリメイクした映画版『DUNE/デューン 砂の惑星』を私が観てからそれほど時間が経っていないせいかもしれない。

 

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 別の面でこれはソ連映画だなと思わせるのが、登場する地球人のひとりゲデヴァンがジョージアグルジア)出身なので、彼の思考はグルジア語とロシア語の二つの言語でおこなうので読み取りにくいと異星人が文句を言う場面だ(この映画では、異星人は地球人の思考を読み取ることができる)。ソ連がいかに多民族連邦国家であるかの証左なのだが、もうひとつ気づいたこと。それは、この映画は実質的にジョージアの映画だということだ。

 ソ連の映画界を支えてきたのはジョージア出身の映画人達だというのは非常に有名な話だが、この映画はまさにそれ。ソ連製映画のクオリティが非常に高いのは、つまるところジョージアの映画製作のクオリティの高さゆえなのだ。この映画の監督のゲオルギー・ダネリヤは国籍こそロシアだが生まれ育ったのはジョージアだし、共同脚本のレヴァズ・ガブリアゼとその息子でゲデヴァン役を演じたレヴァン・ガブリアゼもジョージア人。音楽担当の高名な作曲家ギヤ・カンチェリ(!)も勿論ジョージア人。この映画がもし今初公開されたとしたら、当然のようにジョージア映画として世に出てきただろう。

 私は数年前にジョージア文化に俄然興味が湧いた時期があり(今もその熱は衰えていない)、その頃に何本か新旧のジョージア映画を観たことがあるが、人口が400万人に満たない小さな国とは思えないほど映画人の層がものすごく厚いのにびっくりした記憶がある。それはとどのつまり、ソ連時代は彼らが作った映画がソ連の映画として公開されていたというだけで、ジョージア人の映画の系譜はその頃から脈々と続いていたのだ。

(写真は全て2022年1月13日に東京・代官山にて撮影)

(2022年1月27日投稿)