「ごはんファクトリー」の効用



 この日の、私たち夫婦二人による自宅キッチンでの「ごはんファクトリー」の記録を。

 私の妻が、この日の夕食の主菜として作ったのは、豚ロース肉のマスタードオニオン焼き(下の写真)。

 スーパーで買った生姜焼き用のロース肉を厚みを残しつつカットしてあるので、なかなか食べ応えのある一品だ。よく炒めた玉葱の甘みと粒マスタードの酸味がほどよくマッチして、ご飯がススム美味しさ。

 この料理は、元ネタはワタナベマキ著『食材2つでささっとメインディッシュ。』に掲載のレシピ。妻がアレンジを加えて何度も繰り返し作るうちに、すっかり「我が家のレシピ」と化している。

 

 もうひとつ副菜、というよりはお酒のつまみ的な一品として妻が作ったのは、きゅうりと揚げ玉のソース炒め(下の写真)。

 揚げ玉と中濃ソース、といういかにもB級グルメチックな食材が、きゅうりのさっぱりした食感に意外なほどにマッチする。実に居酒屋っぽい、お酒の肴にぴったりのひと皿だ。特に夏は、冷たいビールやハイボールがこの料理によく合う。

 上の二品などを作っている妻の横で私が作っていたのは、もちろん(笑)スパイスカレー。次の日の夕食用だ。

 今回の具材は手亡豆(てぼうまめ)と豚もも肉。以前の日記に書いたが(2022年4月16日の日記参照)、妻が参加している栄養士会の活動の一環で、我が家には茹でた豆がやたらと(笑)余っている。今回の手亡豆も、茹でて料理の施策に使った残りだ。

 こちらのスパイスカレーはこの日は作って冷まして冷蔵庫に入って一晩過ごし、翌日の夕食時に再びじっくりと火を通して温めて美味しく食べた。要するにずいぶん火が通ったわけで、豆は半ば以上溶けてグズグズになり、見事にカレーペーストと一体化している。豆だけでもそもそしないようにと豚肉を一緒に煮込んだが、これが厚みのあるもも肉で脂が少なく中身がみっしり。食べ応えは充分だった(下の写真)。

 いつも通りに今回もスパイスカレーを4人分作った。夫婦二人の食事なので2食分だ。というわけで、もちろん次の日の朝食もスパイスカレーだ(冒頭の写真)。

 というわけで今回の我が家の「ごはんファクトリー」も、いい感じに美味しい二日間を作り出すことができて、何より満足。

 心に影が差すことが多い日や、気分を大きく乱されて沈潜してしまう日には、おうちで「ごはんファクトリー」に没頭するのがいい気分転換になったり、心の影を払うのによく機能するなあ、としばしば実感する。

 心を一旦無にして作業に没頭することができる一方で、料理をすることは段取りも含めて極めて創造的な行為でもある。心を無にしつつクリエイティヴに活動することの効用は実に大きい、と思うのだがいかがだろうか。

(2022年6月23日投稿)

ボルシチはウクライナの郷土料理

 

 先月末のことだが、我が家の夕食の食卓に、私の妻が作ったボルシチが登場した(上の写真)。

 栄養士の資格を持つ妻が地域の栄養士のヴォランティア団体に長らく参加していることは、以前にも書いた。そこでの活動の一環として、妻は月に一度、退職した人を中心とした男性の料理サークルで料理を教えている。普段は作る料理の要望が出ることはあまりないそうだが、先月のお料理教室の際には珍しく、次回に作りたい料理のリクエストがあったという。

 「ウクライナ料理を作ってみたい」ということだ。

 もちろん、ロシア軍によるウクライナ侵攻が引き起こした、昨今の騒然たる世界情勢を念頭においてのリクエストだろう。なんともいい話である。

 リクエストを受けて、妻はさっそくネットのレシピサーチを駆使してウクライナ料理のレシピを検索し、併せて料理本などの資料にも当たって検討。日本で最も知名度の高いウクライナ料理といえば、なんといってもボルシチだ。妻自身もこれまでボルシチは作ったことがないので、我が家のキッチンで自宅夕食用に試作をしてみた、という訳である。

 今回の事態が引き起こした様々な変化の中で、ボルシチほど私たち日本人の認識をガラリと変えた料理はあるまい。今までボルシチをロシア料理の代表選手扱いして、ロシア料理店でボルシチを食べては散々美味しい美味しいを連発してきた私たち。なのにこの事態を契機として、実はボルシチの発祥の地が現在のウクライナだったという話が燎原の火のごとく広まり、今や私たちの中でボルシチウクライナの郷土料理としてすっかり上書きされている。この分野でのロシアの「損失」は実に計り知れない。なんとも皮肉な話だ。

 

 

 初めて作ったにもかかわらず、妻が試作したボルシチはまさに本場……は行ったことがないので分からないが、かつてロシア料理店で食べたものと(記憶の中では)変わらない、家庭的な温かさのある味わいだった。ボルシチのシンボルカラーの源であるビーツは見た目は蕪のようだが異なる分類に属し、むしろほうれん草やテンサイの仲間だそう。それゆえか、ビーツを口に含むと舌の上でほんのり甘みを感じる。そんなビーツの甘みとトマトの酸味との組み合わせが、他国の煮込み料理にはない独特さか。上の写真のようにサワークリームをつけて「味変」すると、さらに変化に富んだ味と香りが楽しめる。

 副菜として妻がチョイスしたのは「オリヴィエサラダ」(下の写真)。こちらは発祥がロシアだそうだが、ウクライナでも家庭料理のひとつとして親しまれているとのこと。要するにロシア風ポテトサラダなのだが、じゃが芋や人参などを1センチ角に小さく切って硬めに茹でるのがポイント。かなりしっかりした食感が残る。さらに刻みピクルスが独特の香りを添えて、実に美味だ。

 

 

 食を通じて、地球の裏側で苦難に喘ぐ人々と想いを共にすることの大切さ。この料理サークルの方々がウクライナ料理を作って食べたいと感じたこと、それ自体がとても重要なことだと思う。なぜなら食は全ての人類に共通の営みであるから。そしてウクライナの人々が日常の生活の中で親しんでいる料理を作って食べることで、かの国の人々の生活や環境や文化を、ほんの少しだが共有することになるからだ。それが彼らを襲っている苦難や悲劇をわが身に引き寄せる契機となり、共感がやがて行動に繋がってゆく。

 平和を願うことは、地の果てまで「私」と同じ人類が生きていることを、わが身に引き寄せて実感することに他ならない、そう思うのだがいかがだろうか。

 それは、結局のところ、地球上に暮らす人類全ての「食」が、どこかで繋がっていてひとつなのだという事実の追認でもある。そのことは、例えば佐藤洋一郎著『食の人類史』(中公新書)を読むと、実によく分かる。

 

 

 私がこの本を読んだのはもう6年前のことだが、ユーラシア大陸の「食」の変遷を「なりわい」=「摂取手段」の変遷と捉えて論じているのが新鮮だったのが記憶に残る。今まさに読み返すべき一冊なのかもしれない。

 ところで、私の妻がキッチンでウクライナ料理を作っているその横で、私はといえば、翌日の夕食用にお馴染みスパイスカレーを作っていた(笑)。このときの具材は生姜焼き用の豚肉と舞茸。夫婦二人の「ごはんファクトリー」はこの日も順調に任務遂行。次の日の夕食には、このスパイスカレーを美味しくいただきました(下の写真)。

 

 

(2022年6月13日投稿)

 

ハマスホイとドライヤー、都市の孤独

 

 下高井戸シネマにて、映画『ゲアトルーズ』"Gertrud"を観た。デンマークの映画監督カール・テオドア・ドライヤーCarl  Theodor  Dreyerによる、1964年公開作品。全編モノクロである。私は寡聞にして全く知らなかったのだが、「カール・テオドア・ドライヤーセレクション」という、この『ゲアトルーズ』を含む4本のドライヤー監督作品を特集上映する企画が昨年末より各地の映画館で巡回しており、それが下高井戸シネマにも回ってきたということらしい。

 

www.zaziefilms.com

 

 私がなんでこんな58年も前のデンマーク映画に興味を持ったかというと、同じデンマーク出身の画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(ヴィルヘルム・ハンマースホイ)Vilhelm Hammershøi (Vilhelm Hammershoi)への関心からである。大学生の時にその絵画作品を初めて観て深く感銘を受けて以来35年近く、私はハマスホイ作品に強く魅了され続けている。そのことはこの日記でも度々触れている。比較的最近では2020年1月30日の日記、および2020年2月20日の日記ハマスホイのことを書いたが、ご覧になったことのある方もいらっしゃるかもしれない。

 そのハマスホイの絵画作品をコンパクトに解説した好著、佐藤直樹氏監修『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』(平凡社コロナ・ブックス)に収められた小松弘氏によるコラムで、ハマスホイとの関連でドライヤー監督の映画が紹介されているのだ。ハマスホイの絵画世界を最もよく受け継いだのは、ドライヤーの映画作品だという考え方があるという。この映画監督のことは、それ以来頭の隅に引っかかっていたのだ。そこへこの企画である。渡りに船とばかりに、ハマスホイの影響が最も色濃く表れているとこの本で言及されている作品『ゲアトルーズ』を観た。ドライヤーの遺作にして集大成の作品でもあるという。

 

 

 本当の自由と愛を探し求めるゲアトルーズの姿を、夫・初恋の人・若い愛人という三人の男性との会話を通して描く、徹底した会話劇。自分の信ずる「愛」を貫くため、彼女は最終的に社会や家庭の因襲や抑圧を脱して、安定も地位も名誉も捨てて孤独に生きることを選ぶ。その心の内面の動きを映し出す、画面のフレームにかっちりと収めた様式美に満ちた映像。

 その映像表現が非常に演劇的であるのが、この作品の大きな特徴だ。映画のほとんどを占める会話場面では、閉ざされた室内空間が舞台。二度だけ、屋外の公園での会話場面があるが、これもごく狭い範囲で演じられるので、室内に準ずるといってもいいだろう。そしてモンタージュ手法やカット割りを極力使わず、長回しが基本。人物は長い椅子などに並んで座り、会話する人全ての顔がこちらに向けられるように配置される。観客は映画なのに芝居の舞台を観ているような錯覚に陥る。閉ざされた室内=閉ざされた舞台。その中で淡々と、あるいはのろのろと述べられる台詞。ゲアトルーズの感じている閉塞感や抑圧感を、観客も同じように体験してもらう、そんな効果を狙っているかのような表現効果だ。

 その演劇的効果を体現する室内空間の表現に、ハマスホイの室内画に特徴的な要素が様々に表れているのは偶然ではないだろう。多くの室内場面の家具や調度品の配置は、まさにハマスホイの室内画に入り込んだような錯覚を感じるほどだ。映画のラストシーンは特に象徴的で、老いたゲアトルーズが扉を閉じて画面から姿を消し、最後に暫し無人の閉ざされた扉が映し出される映像は、まさにハマスホイが扉を描いた無人の室内画からの直接的な引用である。ただ、映画ではこの扉はゲアトルーズの生涯が閉じられることを象徴している(教会の鐘の音がオーヴァーラップすることで、それがより一層強調される)ので、ハマスホイ作品における扉から我々が感じ取る意味合いとはとは少々異なって使われているように思われる。

 いずれにせよ、その「ハマスホイ的」な室内空間の表現は、ゲアトルーズが社会や家庭の抑圧や因襲に感じる閉塞感を観客に伝える作用を果たしているように、私には感じられる。この映画の舞台でありハマスホイが生きた20世紀初頭の都市には、ゲアトルーズたちのような新興の富裕層や中産階級の人々が群れ集い、技術革新の恩恵を受けた新しい「夢のような」暮らしをし始めていた。その一方で彼らは、これまでにない新しい部類の孤独や閉塞感を抱きつつ生きることにもなったのである。

 2020年1月30日の日記で私は、ハマスホイが無国籍でアノニマスな「都市の室内」を描き出したと書いたが、それは同時に、彼が描いた無人の、あるいは画面に背を向けた人物を配した室内画が、そうした都市に生きる人々の孤独や閉塞感をも画面の中に滲み出させたことに他ならない。多くの人が集まって生きている都市の巨大な空間において、他の人と隔絶された孤独を感じ、閉じ込められたような閉塞感を抱えて、それでもなお生きねばならない人々。ハマスホイ作品の底流たるそうした「都市の孤独」は、この映画でドライヤーによって援用されることによって、ゲアトルーズの自由に生きようともがく姿の背景に、彼女の内面の「鏡」となって映し出されているのだ。

 

 

 先述の書などのハマスホイ作品集の解説を読むと、彼の作品は観る人に不気味さや不安感を誘うらしい。私自身は、ハマスホイ作品の背を向ける人々にも誰もいない室内にも静謐と安寧しか感じないので、えっそうなの?と思ってしまった。だから私は彼の作品に心の底から惹かれているのだが、私の嗜好や好みの感覚が異常なのかしらん?

 それでも『ゲアトルーズ』を観て、ゲアトルーズや周囲の人々の抱える不安感や閉塞感、ある種の生きづらさをひしひしと感じるにつけ、なるほどハマスホイ作品でいわれる不安感はこういうことなのかも、と少し納得したのは確かだ。

 

 

 その閉塞感や孤独感は、20世紀初頭の人々のものだけではなく、おそらく私たちが生きる現代社会にも通じるものがある。その意味では、2022年に『ゲアトルーズ』を観ることの意義は大きいのかもしれない。

 

(写真は全て、2022年5月29日に東京・二子玉川周辺にて撮影)

(2022年6月8日投稿)

誕生日と祝日と忌日と

 

 というわけで、妻の誕生日から5日後の5月17日は、私の誕生日。

 55歳になりました。ゾロ目だ(笑)。

 もう毎年同じことばかり書いていて誠に恐縮だが(でも書くけど)、5月17日は私の誕生日であると同時に、ノルウェーの事実上の建国記念日たる憲法記念日。毎年、有難いことに国を挙げて私の誕生日を祝ってくれる日である(これも毎年のお約束ということで失礼)。

 インスタグラムでのノルウェーの人々の投稿などを見る限りでは、新型コロナ禍による規制が厳しかった2年前(2020年5月17日の日記参照)に比べれば、かなり例年通りに賑やかな祝日の祝い方ができるようになった様子。何よりである。

 

 

 我が家でのお祝いとしては、苺のショートケーキを妻が作ってくれた。今年で3回目だ。今年も素敵な仕上がりだが、スポンジケーキを焼くのはなかなか難しいとのことで、今回も少々危ない橋(?)を渡るような進行だったらしい。見た目もお味もいうことなしだったが。

 ケーキ作りの最後は私も少しお手伝いした。少し温めたバターナイフで、生クリームの表面を撫でる。そうすると、表面がほんの少し溶けて滑らかな仕上がりになる。これが楽しくて、延々バターナイフでケーキを撫でまくってしまった(笑)。おかげで、ツルツルお肌の可愛い子になりました。過去2年のケーキは真ん中の苺がひとつだけだったが、今年のは3個に増やしてみた。いや、苺が余っていたからなのだが、より賑やかに(?)なったような気がする。

 

 

 というわけで楽しい誕生日を過ごしたのだが、なんとこの日に音楽家ヴァンゲリス氏Vangelisがお亡くなりになったとのこと。数日後に初めて訃報に接してびっくりした。

 私の誕生日で、ノルウェーの最も重要な祝日でもある日が、心から敬愛する音楽家の命日になってしまった。

 多感な中学生のときに「天国と地獄」"Heaven and Hell"の音楽に出会って、まさしく宇宙の彼方へ飛翔するかのように心を奪われたあの日。そして不朽の名作映画『ブレードランナー』"Blade Runner"の音楽がとても深く、そしてとても静かにこころの底に沈殿したあの日。ヴァンゲリス氏の音楽は常に私とともにあったし、これからもともに在り続けるだろう。

 ここ数年はもう新しい曲を発表することがない様子だったので、正直いうと半ば引退なのかなと思っていた。だが、改めて訃報に接すると、まだまだ何かを残してくれたのではないかと思えてしまう。誠に残念な思いでいっぱいだ。音楽界の不世出の至宝が、またひとつ消えてしまったような気がして。合掌。

(2022年5月23日投稿)

 

シカゴピザでお祝いを

 

 5月12日は、私の妻の誕生日。

 毎年同じことを書いて恐縮だが(でも書くけど)、この日から私の誕生日5月17日までの5日間だけ、夫婦同い年になる。

 今年は、天気予報で誕生日当日が雨模様との予報が出ていたので(実際に雨が降る一日だった)、前日の夜に六本木の東京ミッドタウンにある「RIO BREWING & CO BISTRO AND GARDEN」(リオ・ブルーイング・コー ビストロアンドガーデン)にて、二人でシカゴピザを食べてお祝いした。

 

 

 この店は自社醸造のオリジナルクラフトビールを始め、様々なクラフトビールを飲めるのがウリなのだが、もうひとつの看板商品が、このシカゴピザChicago-style Pizza。

 文字通りシカゴで親しまれていたピザだそうだが、別称ディープディッシュピッツァdeep dish pizza。その呼び名通りにリムが立ち上がった深いうつわ状の生地に、たっぷりのチーズやフィリングを詰め込んで、型を使って焼くのが特徴だ。

 最近は日本でもシカゴピザが食べられる店が出てきて、けっこう話題になっていたので以前から気になっていたのだが、昨年の12月にこの店を訪れて「初シカゴピザ」を体験することができた。

 したがって今回は2度目のシカゴピザなのだが、注文したのは前回と同じで最もオーソドックスな「シカゴクラシック」(上の写真)。トマトソースがたっぷりと入って、さらに緑&黒のオリーブの実がふんだんに投入されているので、さっぱりしたイタリア風の味わいが私たちの好みによくマッチしている。トマトとオリーブの酸味がチーズのこってり感を和らげているのもポイント高い。

 

 

 この晩も、この美味しいご馳走ピザを心ゆくまで堪能しました。通常の平たい生地のピッツァだと、トッピングがどうあれ食べる主体はあくまでピッツァ生地である。だがシカゴピザはフィリングがたっぷり詰まっているために、どちらかというとそのフィリングを主に食べている、という感覚になる。トマトやチーズがメインの煮込み料理を、うつわ代りのパイ生地ごと食べている感じ、といいますか。

 まあ二回食べて、シカゴピザがどんなものかわかったということで。ひとまず満足。

(2022年5月15日投稿)

エスニックディナーを「ごはんファクトリー」で

 

 2021年8月28日の日記に書いた私のスパイスカレー作りだが、昨年9月に新しい家で暮らし始めてから、今でも続いている。とはいっても、先述の通り引っ越してしばらくはプチ適応障害で心身ともに激しく不調だったためとても料理をする余裕がなく、ようやくここ数か月になって徐々に再開。新しい家のキッチンの収納の配置やガスコンロの使い勝手にも、作るたびに少しずつ慣れてきている感触だ。

 私の妻が参加している地域の栄養士会が、活動の一環でこのところ豆を使ったレシピ作りに取り込んでいるらしい。そのため、最近我が家の食卓にはいろいろな豆を伝った料理がよく登場する。そうした料理作りの中で茹でた白花豆と金時豆が、それぞれ100グラムずつ中途半端に余ってしまっていると妻がいうので、私が引き取ってこの日の夕食用に作るスパイスカレーの具材に使用した。豆だけでは口の中でもそもそしてしまうので、食感にアクセントをつける意味合いでスライスしたごぼうも投入。最近私が凝っている青唐辛子とコブミカンの葉(バイマックルー)も加えて、少々タイカレーっぽい風味を効かせている。

 いい感じにカレーは仕上がったが、夕食にこれだけではタンパク質方面でやや物足りない。ということで、妻がこれに合うようにと、カレー作りをする私の横で鶏むね肉のカバブを作ってくれた(下の写真)。新居のキッチンカウンターは完全アイランド型で、余裕で二人が同時進行で別々の料理を作れるのが嬉しい。おかげで、こうして夫婦の充実した「ごはんファクトリー」を自宅でおこうなうことができる。

 AEGのオーブンでじっくりとローストし、鶏肉の表面に香ばしく焼き目がついてシズル感満点。使用した鶏肉がむね肉でしかも皮なしなので、見た目とは裏腹に食感はとてもさっぱりして食べやすい。一緒にローストしたじゃが芋も実に香ばしい。もちろんスパイスたっぷりで、実にエスニックな味わいだ。

 

 

 夕食で食べるときには、冒頭の写真のようにスパイスカレーライスとカバブを一緒盛りにしていただく。盛り付けに使用した皿は、もちろん2022年3月12日の日記で紹介した、建築家の吉田愛さん監修のカレー皿「plate245」だ。リムがしっかり立っている形状が、汁っぽい料理と固形のおかずをいい感じに同居させてくれる。なかなかナイスなエスニック料理の一夜でした。

 あ、もちろん、翌朝の朝食も、この組み合わせで(笑)。

 

(2022年5月4日投稿。けっこう以前のことだが、どうしてもこの料理写真を出したかったので)

限りなく懐かしい、「イタリア的」なもの。

 

 我が家からほど近い映画館「下高井戸シネマ」にて、イタリアの名匠パオロ・ソレンティーノ監督Paolo Sorrentinoの最新作『Hand of God -神の手が触れた日-』(英題:The Hand of God、イタリア語原題:È stata la mano di Dio)を観た。

 米国アカデミー外国語映画賞を受賞した『グレート・ビューティー/追憶のローマ』"La Grande Bellezza"を観て深く感銘を受けて以来、それ以前の作品も含めソレンティーノ作品は欠かさず観てきた私だ。前作『LORO 欲望のイタリア』の時は試写会を観るという僥倖を得たのだが、それについては2019年10月31日の日記に記した通りだ。

 

studio-unicorn.hatenablog.com

 

 そのソレンティーノ監督の最新作ということで当然観る気満々だった私だが、今回の作品は少々事情が違う。ネットフリックスによる配信主体で公開され、映画館での上映は限定的にとどまるという、最近よく見かける公開パターンの作品だったのだ。

https://www.netflix.com/jp/title/8115632

 

 私はどうもサブスクというのに馴染めないせいか、まだいかなる映像配信サービスを利用したことがない。さらには目の力が大いに弱ってしまったせいで、端末やテレビの画面で長時間映画を観ることがより少なくなりそうな昨今の状況では、今後もサブスクに登録することがあるか疑問だ。不思議と映画館で観る分には目の疲れはかなり少ないので(おそらく目の凝らし方が少ないからだと思う)、映画館ではこれからも大いに観たいものだが。それに、そもそも映画館の大スクリーンと素晴らしい音響は、容易には家庭では手に入らない。この日記でも何度も書いたが、やはり映画は映画館で観てこそ、という思いは今も変わらず強い。

 それでもよくしたもので、とてもありがたいことに、この下高井戸シネマではそういうネット配信主体の話題作がよく上映される。この『The Hand of God』ももしかしたら……と思っていたら、ほんの一週間だけだが上映してくれたので、めでたく見逃さずに済んだというわけだ。

 長尺ものが多い印象のソレンティーノ作品の中では、比較的短め?の2時間10分という上映時間。しかも毎回全編にわたって古楽やクラシックからクラブミュージックまでジャンル無用で音の洪水の如くバンバン音楽を使いまくるソレンティーノ監督にしては極めて珍しく、劇中で使われる音楽が非常に少ないという、ある意味「異色づくし」の作品だ。

 異色といえば今作の題材そのものが非常に異色なのかもしれない。これまであまり表立ってパーソナルな作品を作ったことがないソレンティーノ監督が初めて自らの少年時代を、1980年代(特に1986年)の生まれ故郷・ナポリを舞台に描いた作品だからだ。16歳の主人公ファビエットは名前こそ変えているが、その人物像は監督自身の少年時代を色濃く投影し、彼が見舞われる家族の痛ましい悲劇は監督自身の16歳の時の体験だという。

 この映画の魅力と複雑さについて語っている、二つの優れたレビュー記事を見つけたので、以下に貼っておきます。作品の概要もつかめるので、未見の方はぜひお読みください。もしかしたら、観ずにはいられない気分になるかも!?

 

cinemore.jp

realsound.jp


 さらに、以下のリンクは、ソレンティーノ監督と主演のフィリッポ・スコッティFilippo Scottiへのインタビューを掲載した記事。監督がこの作品の制作に込めた思いを語っていて興味深い。また、監督の近作では珍しい若者の主人公(監督の少年時代を基にした話だから当然と言えば当然だが)を演じたスコッティが語る、撮影での微笑ましいエピソードも読める。

 

www.banger.jp

 

 

 私個人の感想としては、極めてパーソナルな内容の作品で、中には痛ましい悲劇に目を背けたくなる場面があってさえも、ソレンティーノ監督らしい映像美が健在であったことが、何より嬉しかった。何しろオープニング映像の、海側からグーンとゆっくり迫って、やがて画面いっぱいに広がるナポリの街並みの全景描写からさっそく圧倒される。それに続くのは聖ジェンナーロ(San Gennaro、ナポリ守護聖人。この聖人のまるで成金のおっさんのような俗っぽい出で立ちと描き方は、まさにソレンティーノ節炸裂。本領発揮だ)と精霊ムナシエロmunacielloにまつわる、幻想的で絢爛たるエピソードだ(打ち捨てられた貴族の館の暗い部屋の中で、傾いで置かれた輝く小山のような巨大なシャンデリアの、神聖さと俗悪さの両面にまみれた美しさといったら!)。冒頭から目眩くソレンティーノ一流の映像美に眩惑され、その「マジック」のおかげで、その後から始まる「現実的」な物語の映像が、まるであらかじめヴェールを透かして見ているような錯覚すら覚えてしまう。

 私自身は、イタリアへは何度も行ったことがあるにもかかわらず、ナポリへはまだ一度も足を踏み入れたことがない。だが、この映画を観たあとでは、そのことに忸怩たる思いを抱いてしまう。それほどにこの作品に映し出されたナポリの映像は、実に甘美で美しく、監督自身の回想のヴェールに包まれてさらに幻想的に、どこまでも尽きせぬ郷愁に満ちて胸に迫る。これまでのソレンティーノ作品と同じくこの映画でも多用されている、手前からゆっくりとカメラが奥に進んで風景がおもむろに広がってゆく、あの悠然とした画面の展開ぶりに目を、心を大きく揺さぶられながら。

 

 

 そしてこの映画を観て私は初めて気づく。なぜソレンティーノ作品に映し出されるイタリアの風景が、これほど私の胸に迫るのか。この物語の主な舞台は1986年。私が大学時代の交換留学で英国で一年間暮らしたのがそのわずか4年後、ほぼ同時期といえる1989−90年。私はその一年間のうちで、休暇などを利用して西ヨーロッパの各地に放浪のような旅を繰り返したのだが、その中で英国・ノルウェー・イタリアの3か国はとりわけ印象深く私の中に残った。

 『Hand of God -神の手が触れた日-』の中で再現された1986年のイタリアは、そしてナポリは、ソレンティーノ監督にとっては幼少期より親しんだ、彼の原風景ともいえるものだ。おそらく、彼がこれまでに作ったすべてのイタリアを舞台にした作品の根幹をなしているといってもいい。そしてそれは、私にとっても決して無縁の風景ではなかったのだ。

 先述の通りナポリそのものには行ったことがないものの、あの時訪れたフィレンツェシエナヴェネツィア、ローマやラヴェンナやその他の街並みや通りの風景、人々の佇まいはまさにあの画面に映し出されたものと(同じく回想のヴェールに包まれながら)寸部違わぬものとして私の目の奥に映っている。もちろん、イタリアの各地方や各都市を一括りにしてしまうことの愚かしさを今の私は重々承知してはいるが、それでもなお、自分にとっての「イタリア」の映像的な原点を鑑みるとき、かの国の様々な街や地方はある種の共通性を持って浮かび上がってくる。

 スクリーンに映る実際に見たことのない景色が、私の中ではすでに記憶の中で見た風景として、限りない懐かしさを湛えて目の前に広がっている。そんな錯覚のような、不思議な感覚を呼び起こしてくれるのが、私にとってのソレンティーノ作品に出てくるイタリアの風景なのだ、と思う。だからソレンティーノ作品に出てくるイタリアの風景を、より一層のエモーショナルな高まりとともに味わうことになるのだ、と。陽光に照らされたナポリの街角の強烈な陰影や、ファビエットの家族や親族たちが集う海辺の断崖の上に建つ古い館の玄関ポーチの暗がりや、彼らが暮らすアパートのキッチンやバルコニーの佇まいを、いつまでも眺めていたいと思うのだ。

 

 

 ファビエットの周りに登場するエキセントリックな人々や、この映画にもてんこ盛りで雑多に入っている(ソレンティーノ作品ではお馴染みの)「謎」なシーンのこと。そしてマラドーナに関連して「神の手」に込められた二重三重の意味(念のために書くと、これはサッカー映画ではない)や、エンド・クレジットで流れる「自然音」のことなど、この映画について思いつくことを書き出すとキリがない。なので、またいつか、気が向いた折にでも。目がゴリゴリでしんどいので、書けるか分かりませんが。

 

 

(写真は全て、2013年6月26日にイタリア・シチリア島モツィアMozia、およびトラーパニTrapaniにて撮影)

(2022年4月26日投稿。こんな程度の長さの文章を、書き始めてからアップするまでに5日もかけてはいけません。でもちょっと画面に目を凝らすとたちまちゴリゴリと痛みがしんどくなってしまい、進み具合が亀の歩みの如し、なのです)