失われた日々

 大崎善生著『ロストデイズ』を読了。『指輪物語』を読んだ直後なので、こういう「現代的」な文章の小説がするすると読めてしまう(笑)。

ロストデイズ

ロストデイズ

 

 大崎善生氏の小説は、映画化された『アジアンタムブルー』をはじめとして何冊か読んだが、どうにもこの作者の言葉の選び方に疑問を感じてしまうことが多い。言い回しとしてその言葉選びは正しいのか?とか、ついつい気になってしまい(するする読んでいる中であっても)読む手が止まってしまう。更に、物語中で明らかにとても重要なモティーフ(この小説だとマーティンのギター)が物語の途中で唐突に出てきてとってつけたように感じてしまったり、起承転結は整っていてもその中でのエピソードの並べ方に作者が頓着してないように思われたり。連載時の文章がそのまま残ってしまって複数の章に重複した文章や表現が見られたり。同じモティーフを別の小説でも登場させることが多いのだが、それがかなり直球で似たような使い方なので、つい「使い回し」感を感じてしまったり。

 ついつい不満ばかり並べてしまったが、それらの不満を押し返して余りある「凄さ」が大崎善生氏の小説にはある。それは大崎氏が常に人が「生きる意味を問う」姿を小説の中心に描いていることだ。この非常に難しく抽象的な主題に、氏は常に挑戦している。そして最後に、登場する人物それぞれのやり方でその「答え」にたどり着く姿を描いているのだ。

 この『ロストデイズ』の場合だと、頂点を極めてしまったあとの「人生の下り坂の生き方」と「夫婦としての人生の歩み方」という、非常に抽象的で、その疑問に至る過程すらかなり繊細なエピソードを積み重ねてしか表現できない問いを、テーマとして設定している。そして、物語の中で、これ見よがしの派手な事件やあざとい展開を使わずに主人公たちを「答え」にたどり着かせているのは、ある意味感動的でさえある。その終着の舞台が南仏のニースであったのは偶然ではないだろう。「旅」の非日常に身を置かないと、人生の根源を問う命題を見つめ通すことはできない。

(2019年3月19日投稿。記事を書いてから2週間以上も放置してしまいました…。)