ピンク・エレファント!

 昨日、実写版の映画『ダンボ』を観てきた(2019年3月29日の日記参照)ので、リメイクの元になった1941年の古典的名作アニメ映画『ダンボ』をちゃんと観てみたくなった。そこで、さっそく近所のツタヤでDVDをレンタルして鑑賞。多分幼い頃に観たことがあるとは思うのだが当然記憶はなく、大人になってからは「きちんと」観るのはこれが初めてだ。上映時間は約1時間。

ダンボ [Blu-ray]

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 観て驚いたのだが、実に「アート」なのである。とても1941年、太平洋戦争の只中に作られた作品とは思えない。全く古びていないどころか、今でも子供どころか大人の鑑賞にも十分に耐えうる「アート」作品なのだ。もちろんフルカラーアニメーション。

 当時のアニメ作品は、より子供が観ることを強く想定していた故なのだろうが、ナラティブな要素は抑えて歌と映像のイリュージョンを楽しませようという志向がとても強い。子供たちにめくるめく映像と音のスペクタクルを楽しんでもらい、一緒に歌ったり踊ったりできるようにもしたいという狙いもあったかもしれない。実際、物語としては耳が大きくてダメ象の烙印を押されたダンボが、空を飛ぶことでサーカスの人気者になってめでたしめでたし、とシンプルな立身出世譚になっている。ここでめでたしと終われるのがいかにも当時らしく、アメリカン・ドリームに支えられた楽観的人生観を謳歌している。だが、昨日の日記に書いたように、今回リメイクされた実写版ではここでまだ物語の半分で、その後は悪い興行師に利用されかけて逃れ、母親と共に故郷のアフリカへ還る筋書きになっているのが、名声や出世ではなく「本当の幸せ」を問う形になっていていかにも「現代風」だ。

 そんなわけで、このアニメ版では物語を追うことにはそれほど意味がなく、むしろ歌と映像のスペクタクルを楽しむことが重要になってくる。ミュージカル映画と同じ楽しみ方だ。だからダンボが空を飛ぶ物語的なクライマックスよりも、その直前の、うっかりお酒を飲んでしまって酔ったダンボと鼠のティモシーが見る幻覚=「ピンク・エレファント」のほうが強烈に印象に残る。お酒に酔った幻覚なので、考えように酔ってはかなりアブナイ。覚醒剤で逮捕される芸能人に通じるものを感じてしまう。でもこの強烈なイリュージョンは実に圧巻。一緒に観ていた妻が、この場面で「象が象に見えなくなってくる」と言っていたが、まさに象徴的。それほどにインパクトのある場面なのだ。実写版ではこの場面はないが、別の形できちんとリスペクトされており、その表現方法が実に上手い。その他、サーカス列車の造形や鼠のティモシーなど、アニメ版でとても重要だったが実写版では出てこない要素も形を変えて登場しており、バートンのアニメ版への愛を感じる。

 この古典的名作にはディズニーが巨大「帝国」と化す前の、ウォルト・ディズニーが描いた夢と創作のスピリットが詰まっていて、実に心を熱くする。まさにスティーブ・ジョブズが作っていた頃のアップル製品にも通底する、米国という国が持つ美的創造の「地力」をひしひしと感じるのだ。ここには、「創造」の原点がある。今回の実写版は、この「原点」を目指すための、あるいは取り戻すための創作的な試みだったのかもしれない。

(2019年5月17日投稿)