ラグビーにまつわるいろいろのこと

 テレビ放映で、ラグビーW杯の日本-アイルランド戦を観戦した。まずは優勝候補と言われる強豪アイルランドに勝利した日本代表チームに祝杯を。

 日本で開催しているW杯だからテレビで観る、というのも我ながらミーハーだなと思うが、それだけではない。英国発祥のスポーツだけに、英国の代表チームが一つではなく、イングランドスコットランドウェールズと英国内の各地域が揃い踏みでそれぞれ出場しているあたり、そしてもちろんアイルランドも当然のように出場していることが、英国びいきの私は何やら嬉しく感じてついテレビ観戦してしまうのである。先日観たスコットランドアイルランド戦も、内容的にはアイルランドの完勝だったが、この両チームが対戦しているのを見るだけでブリテン島やアイルランド島の風を感じるような錯覚を覚えることしきり。かなり荒っぽいプレーも出てきてしまうラグビーの試合を、極力「紳士的」にフェアプレーで試合が行われるように様々な厳しいルール上の制約をつけているのも、いかにも「紳士の国」英国の上流階級で育まれたスポーツだなと、親近感を感じてしまう。それも、私がかつて留学のために一年間英国で暮らした時の空気感が甦ってくるような、そんな心地がするからだと思う。

 ニュージーランドやオーストラリアを筆頭に、英国とゆかりの深い国のチームが強豪だというのも、いかにも英国発祥のスポーツだと思う。その中で日本も、開国早々伝来して以来ラグビーが非常に盛んだというのも、明治期の日本が新しい国づくりにおいて英国との繋がりがとても深かったことと無縁であるまい。総人口比や他の競技人口との比較においても、日本のラグビー競技人口や人気の高さは世界でも有数なのではないだろうか。

 私自身、小さい頃のお正月の思い出のひとつとして、正月二日には必ず大学ラグビーの準決勝をテレビで観ていた記憶があり、そのせいで「ラグビーといえば大学ラグビー」という刷り込みがかなり強かった。私の亡き父は、その日は箱根駅でを観て大学ラグビーを観るのを毎年楽しみにしていた。どちらもその頃は早稲田大学が出場の常連だったから、早稲田のOBであった父は、もちろん早稲田を応援するのが楽しかったようだ。フォワードの力技で押してゆく明治大学に対して、バックスの華麗なパスで繋いで攻める早稲田、というイメージがなんとなくあったので、私自身もその頃からパス回しで繋ぐプレーが好きだった。そのほうが観ていて面白いこともあるし。今日の日本チームの試合も巧妙なパス回しで攻める場面が実に多く、私としては観ていて非常に面白い試合だった。

 もうひとつ、ラグビーの場合は国や地域に代表チームのメンバーになるのに国籍が絶対条件ではない、というのが私としては非常に面白いし重要だと思う。このことが、国や国民というものについて考えるいい材料にもなった。

 ラグビーの場合は「協会主義」なので、どの国のラグビー協会に所属しているかが重要なのだそうだ。それゆえ、その国に帰化しなくても条件さえ満たせばその国の代表になることができるとのこと。

 実際に、日本代表チームには外国籍の選手がとても多く、日本に帰化した選手も多い。多分逆のケースもあるだろう。これは日本代表で突出して多いわけでなく、他の国の代表チームでも似たような多さである。このことに対してはいろいろな意見が交わされているようだが、私は何より「他国籍を持つ人が日本を代表してプレーできる」ことの自由さを重視したい。持って生まれた国籍を誇りに思うことも否定しないが、国籍とは違う国の一員として生きることを選べる自由があるということを、このラグビーW杯は身を以て示しているのではないかと、私は思うのだ。その試合を観て、各国の代表チームを応援することそれ自体が、その自由を支持することの表明でさえあるかも。私たちは、そうした「持って生まれたもの」に過度に束縛されることなく、もっと自由であっていいと思うのだ。今回のラグビーW杯の日本での開催は、その自由の大切さを日本人に分かりやすく示したいい例になったように思う。

 

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 写真は、本日の夕食より。茄子入り麻婆豆腐。

 

(2019年9月29日投稿)