青天を衝き、雲を翔びこせ

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 このテレビドラマについて書こう書こう、と思うだけで一向に手が動かないうちに、どうやら放送が半分を過ぎてしまったようなので、慌てて少し書いておこうと思う。

 現在放送中の、NHK大河ドラマ「青天を衝け」である。

 

 

 「日本の資本主義の父」こと渋沢栄一(演:吉沢亮)と、彼が仕えた徳川慶喜(演:草彅剛)を中心に、幕末・明治維新期の激動の時代を描いた群像劇。

 幕末だし、どちらかというと政治より経済ネタで地味なイメージだし(実際には全然そんなことないのだが)、新しい一万円札の「顔」に決まって知名度がうなぎ上りの今でなかったら「渋沢栄一ってダレ?」なのは確実だっただろう。ある意味で、まことに時宜を得た大河ドラマの主人公ではある。

 実のところ(大河ドラマ以外の)テレビをほとんど観ない身であっても、私にはこのドラマをもっと応援すべきもっともな理由(?)がある。それというのも、3年前に77歳で亡くなった私の父は、23歳で就職して以来68歳で常任参与を引退するまで、一貫して東京商工会議所に奉職した経歴の持ち主だったからだ。もちろん東京商工会議所といえば、渋沢栄一1878年に設立した経済団体(設立当初は「東京商法会議所」)で、彼が設立した数多くの組織の中でも最重要のひとつであることは論を待たない。

 1978年、東京商工会議所が創立百周年を迎える際に、私の父は百周年記念事業のために数年前から異動して広報課長に就任し、事業の準備と遂行の現場指揮に当たった。1978年には小学5年生だった私も、所員の家族として数々の華やかな記念イベントに参加した記憶がある。

 その記念事業の一環として、創立者渋沢栄一の若き日を描いた「雲を翔びこせ」という単発の2時間ドラマがTBS系列で放送されたのだが、私の父はどうも立場上、そのドラマの企画に関与したらしい。父の遺品の中から、書き込みの入ったこのドラマの台本が出てきたからなあ。今年の「青天を衝け」に先立つこと、実に43年前のことである。単発の2時間ドラマでありながら、当時人気絶頂の歌番組「ザ・ベストテン」を休止してまでの放送だから只事ではない。主演の渋沢栄一役は西田敏行氏、いとこの渋沢喜作役には武田鉄矢氏という、当時若い人々に絶大な人気を誇った二人が顔を揃え、尾高長七郎をミュージシャンのチャーが演じるという、なかなか破天荒且つ豪華なキャスティングがかなり話題を呼んだ記憶がある。

雲を翔びこせ - Wikipedia

 ということで、私の父は渋沢栄一とは浅からぬ縁があったのだ。「日曜日の夜8時は、何があっても大河ドラマ」だった我が父がもし今も存命だったら、ついに渋沢栄一大河ドラマの主人公に選ばれたと知って、あああだこうだと論評しながらも大いに喜んだのではないかと想像してしまう。その意味もあって、このドラマは個人的にも実に感慨深い。

 ではあるが、今年2月14日に放送された「青天を衝け」の第1回を観る段階では、正直言って私の期待値はそれほど高くなかった。だって、大河ドラマの前作「麒麟がくる」が実に素晴らしい、これまでの大河ドラマの常識をいい意味で打ち破る、予想外の快作だったんだもん。2月7日にその超クライマックスの最終回が放送されてから、わずか一週間。あの興奮冷めやらぬままの「麒麟ロス」状態では、まあすぐに「はい次」とは切り替えられませんって(笑)。

(とはいいながら「麒麟がくる」が始まった時だって、実は私は期待値メチャ低かった(笑)。2020年1月19日の日記をご覧ください。まだまだ「麒麟」については、特に音楽とか、書きたいことが山のようにあるので、とうの昔に終わったドラマではあるが、今からでもきっと書く! いつかは書く。)

 

 ところが、第1回を観終わって、かなり風向きが変わった。なかなか面白い内容だっただけでなく、「おや、これは次回以降も期待できそうだぞ」と、素直に思えるドラマだったのだ。続きを観るうちにその要因をいろいろと考察してきたが、なんといってもその最大のものは、まさしく「麒麟がくる」と同じで、これまでの幕末ものの大河ドラマの枠に囚われず、図式的な対立構図でなく多様な視点による人物描写を基調とした、斬新なドラマ作りが功を奏していることだと思う。特に、渋沢栄一徳川慶喜をメインに据えることによって、結果的に長州と坂本龍馬を除外して幕末・維新を描くことに成功しているという点は、その「新しさ」を大きく評価すべきポイントではないだろうか。このことはいくら強調しても足りない気がする。別のところでもう少し書きたいと思う。

 いや、もしかすると、本当の意味では「斬新」ではないのかもしれない。「青天を衝け」を観て、私が最も強く連想する幕末ものの大河ドラマは、1980年のあの伝説の作品「獅子の時代」なのだから。二人の架空の人物を主人公に据えたあのドラマもまた、幕末と明治維新を実に多様な視点(少々乱暴に括ってしまうと「敗者の視点」なのかも)で捉えた物語だったと、今にして強く思うのだ。そして、その中でも最も大きいのが「いち庶民」としての視点なのかな、とも。パリ万博を題材に取り上げている唯二つの物語であることも共通点だ。これまた、実に41年の時空を超えて二つのドラマが繋がっていることになるのだが、これについても別の機会に書かねば。

 

 オリンピックの開催による3週もの中断を経て、ようやく再開した「青天を衝け」の本日放送分を観て、早くこのドラマのことを書かないと、と焦ってしまった。それにしてもパリ篇はもう少し長く観たかった気がするぞ。現地ロケができない状況では、そんなに長く続けられないのは分かるのだが。パリでの栄一の体験は、彼の「人生を決めた」大きな転機になったほど、なのだから。

 ようやく少し書けたが、まだまだ書くべきことが多い。音楽のことも。機会を改めて出来るだけ近いうちに書くとしよう。「麒麟がくる」のこともね。

 

 (冒頭の写真は8月6日撮影。このところ真夏らしくもない雨続きで、青空の写真がなかなか見つかりませんでした…笑)

(2021年8月17日投稿)