ボルシチはウクライナの郷土料理

 

 先月末のことだが、我が家の夕食の食卓に、私の妻が作ったボルシチが登場した(上の写真)。

 栄養士の資格を持つ妻が地域の栄養士のヴォランティア団体に長らく参加していることは、以前にも書いた。そこでの活動の一環として、妻は月に一度、退職した人を中心とした男性の料理サークルで料理を教えている。普段は作る料理の要望が出ることはあまりないそうだが、先月のお料理教室の際には珍しく、次回に作りたい料理のリクエストがあったという。

 「ウクライナ料理を作ってみたい」ということだ。

 もちろん、ロシア軍によるウクライナ侵攻が引き起こした、昨今の騒然たる世界情勢を念頭においてのリクエストだろう。なんともいい話である。

 リクエストを受けて、妻はさっそくネットのレシピサーチを駆使してウクライナ料理のレシピを検索し、併せて料理本などの資料にも当たって検討。日本で最も知名度の高いウクライナ料理といえば、なんといってもボルシチだ。妻自身もこれまでボルシチは作ったことがないので、我が家のキッチンで自宅夕食用に試作をしてみた、という訳である。

 今回の事態が引き起こした様々な変化の中で、ボルシチほど私たち日本人の認識をガラリと変えた料理はあるまい。今までボルシチをロシア料理の代表選手扱いして、ロシア料理店でボルシチを食べては散々美味しい美味しいを連発してきた私たち。なのにこの事態を契機として、実はボルシチの発祥の地が現在のウクライナだったという話が燎原の火のごとく広まり、今や私たちの中でボルシチウクライナの郷土料理としてすっかり上書きされている。この分野でのロシアの「損失」は実に計り知れない。なんとも皮肉な話だ。

 

 

 初めて作ったにもかかわらず、妻が試作したボルシチはまさに本場……は行ったことがないので分からないが、かつてロシア料理店で食べたものと(記憶の中では)変わらない、家庭的な温かさのある味わいだった。ボルシチのシンボルカラーの源であるビーツは見た目は蕪のようだが異なる分類に属し、むしろほうれん草やテンサイの仲間だそう。それゆえか、ビーツを口に含むと舌の上でほんのり甘みを感じる。そんなビーツの甘みとトマトの酸味との組み合わせが、他国の煮込み料理にはない独特さか。上の写真のようにサワークリームをつけて「味変」すると、さらに変化に富んだ味と香りが楽しめる。

 副菜として妻がチョイスしたのは「オリヴィエサラダ」(下の写真)。こちらは発祥がロシアだそうだが、ウクライナでも家庭料理のひとつとして親しまれているとのこと。要するにロシア風ポテトサラダなのだが、じゃが芋や人参などを1センチ角に小さく切って硬めに茹でるのがポイント。かなりしっかりした食感が残る。さらに刻みピクルスが独特の香りを添えて、実に美味だ。

 

 

 食を通じて、地球の裏側で苦難に喘ぐ人々と想いを共にすることの大切さ。この料理サークルの方々がウクライナ料理を作って食べたいと感じたこと、それ自体がとても重要なことだと思う。なぜなら食は全ての人類に共通の営みであるから。そしてウクライナの人々が日常の生活の中で親しんでいる料理を作って食べることで、かの国の人々の生活や環境や文化を、ほんの少しだが共有することになるからだ。それが彼らを襲っている苦難や悲劇をわが身に引き寄せる契機となり、共感がやがて行動に繋がってゆく。

 平和を願うことは、地の果てまで「私」と同じ人類が生きていることを、わが身に引き寄せて実感することに他ならない、そう思うのだがいかがだろうか。

 それは、結局のところ、地球上に暮らす人類全ての「食」が、どこかで繋がっていてひとつなのだという事実の追認でもある。そのことは、例えば佐藤洋一郎著『食の人類史』(中公新書)を読むと、実によく分かる。

 

 

 私がこの本を読んだのはもう6年前のことだが、ユーラシア大陸の「食」の変遷を「なりわい」=「摂取手段」の変遷と捉えて論じているのが新鮮だったのが記憶に残る。今まさに読み返すべき一冊なのかもしれない。

 ところで、私の妻がキッチンでウクライナ料理を作っているその横で、私はといえば、翌日の夕食用にお馴染みスパイスカレーを作っていた(笑)。このときの具材は生姜焼き用の豚肉と舞茸。夫婦二人の「ごはんファクトリー」はこの日も順調に任務遂行。次の日の夕食には、このスパイスカレーを美味しくいただきました(下の写真)。

 

 

(2022年6月13日投稿)