「2020年」という「現在」

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 迎春。2020年である。

 21世紀も、五分の一が過ぎようとしている。

 幼い頃、確かに「未来」の代名詞として使われていたはずの「21世紀」という言葉が今や当たり前の「現在」を指す言葉になり、かつて「現在」を指す言葉だった「20世紀」が、すっかり「過去」を指す言葉として世間では定着しているように見える。恐ろしいことに、自分の中では全然そうではないのだが(笑)。

 2019年は、私にとっては、すっかり休止・放置状態だったこのブログをまた少しずつ再開した年だった。直接の契機は、2019年の1月にこのブログのコンテンツを、それまで長らく利用してきた「はてなダイアリー」から新しく「はてなブログ」へ引っ越したことだった。それまで長らく運用されていた「はてなダイアリー」のサービスが終了し、そちらの全ての既存のコンテンツを「はてなブログ」に移行する必要が生じたのである。

 その頃は、2018年の2月に父親を亡くした悲しみと痛手から、全く立ち直っていない状態で(今も引きずっていますが……)、なんでもいいから手を動かして文章を書かないと……という気持ちが強かったように思う。もともと文章は、ブログを休止している期間でもずっと、日記やプライヴェートな手帳(こちらは手書きだが)で書いてきたし、それらを今でも遡って原稿にすることはできる(時間は山のように必要だが)。いつでもブログを再開できるように……という心持ちだけはあったようだ。何しろ書きたいこと、書くべきことは山のようにある。観た映画、訪れた展覧会、行った旅行、日々の気づきetc。頭の中に浮かんだことをそのまま文字化するツールとかあればいいのに……といつも思う。一旦文字化してくれれば、あとの推敲や校正は自分でやるからさ。

 そんなきっかけでブログを再開したはいいが、目の力がすっかり衰えているせいで、ひとつ記事を書いては眼精疲労によるヒドい頭痛と目の痛みとゴリゴリの肩ゴリで寝込んでしまう、の繰り返し。こんな状態では頻繁に更新することなど夢のまた夢、だ。

 小学生の頃から強度の近視に加えて重度の雑性乱視持ちで目が激しく疲れやすかったのに加えて、私の首の骨がいわゆるストレートネックでさらに肩が凝りやすく、それこそ小学生の頃から眼精疲労と頭痛肩ゴリは常に私につきまとっていた。まさに持病と言っていい。もともとがそうなのに、2017年後半までやっていた勤め仕事の最後の数年が画面を睨み続ける仕事だったせいで、私の視力はさらに坂道を転げ落ちるように悪化してしまった。年齢のこともあるしねえ。この眼精疲労と肩ゴリさえ解消すれば、どんなに楽になるかと。やれやれ。頭の中に浮かんだことをそのまま文字化するツールとかあればいいのに……といつも思う。一旦文字化してくれれば、あとの推敲や校正は自分でやるからさ(笑)。

 というわけで、2019年のこのブログは、見事にショボい更新頻度になってしまった。今年は、目と肩を労わりつつもう少し頻度を上げてゆければ……だが、さあどうなるやら。全く情けない更新状況で恐縮ですが、懲りずにテキトーにおつきあいくだされば幸いです。気楽に書いてゆきたいが、ネット上に公開する誰でも読める文章を書くことは、それなりに責任が伴う行為である。その自覚は常に忘れないようにしないと。

 これを書いている2020年1月頭の時点で、私がこのブログを書くのに主に使用しているコンピュータは、21.5インチのiMacと13インチのMacBook Proの二つ。私の場合、画面を見下ろして書く方が首と目の負担が少なく疲れにくいようなので、執筆自体の頻度はiMacよりMacBook Proの方が多いが、ネット上にアップするのは画像を添えたりするのでiMacがメイン。加えて、昨年中古で購入した9.7インチのiPad Proも時々使っている。Macはどちらも昨年リリースされた最新のOS"Catalina"にはアップグレードしていない。かなり頻繁に使っているアプリのいくつかが32bitで動く古いヴァージョンなので、Catalinaにアップグレードすると32bitで動くアプリが使えなくなってしまうから。ウェブブラウザのSafariも、最新ヴァージョンに更新すると「はてなブログ」の使用に障害が出てしまうので(現時点)、うっかり更新できなくなってしまった。それでもiMacの方ではうっかり更新してしまった(笑)ために、わざわざ「はてなブログ」を使うためだけに泣く泣くGoogle Chromeをダウンロードする羽目に……。やれやれ。

staff.hatenablog.com

 原稿を書くためにMacで使用しているテキストエディタアプリは「stone」。これがすごく使いやすくていい。原稿を書くことに特化しているので余計な機能がないし、シンプルな画面デザインが私好みで、目が疲れにくくて助かるのもグッド。ファイルの保存がテキスト形式なので汎用性が高いのが嬉しい。紙に出力しても、これまたシンプルな文字組みなので赤入れしやすいのもいい。亡き父のエッセイ本を編集する際にも、この「stone」がテキストの入稿や校正作業において大活躍してくれた。まさにこの文章も、「stone」で書いています。

 アプリのデザインが繊細なシンプルさを備えていて何気に私好みだなと思っていたら、アプリを作ったのが原研哉氏率いる日本デザインセンターのメンバーたちと知り納得。原さんの繊細な、引き算をメインにしたデザインが昔からすごく好きなので、そのDNAが生きているアプリなのだなと。現在はMacOS専用アプリなので、iOS版も作って早くiPadでも使えるようにしてほしいなと思う。今はiPadではこれと機能的に似たようなテキストエディタアプリを探して、それを使っているけれども。

stone-type.jp

 それでも……頭の中に浮かんだことをそのまま文字化するツールとかあればいいのに……といつも思う。一旦文字化してくれれば、あとの推敲や校正は自分でやるからさ(笑)。しつこい(笑)。

(2020年1月6日投稿)

 

年の瀬に想う

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 2019年、大晦日

 今年も残すところあと僅かになりました。これをご覧になる皆様が、良き年の瀬を迎えられますよう。

 そして、来たる新しい一年が、より良き一年となりますように。

 上の写真は、今年の6月に北イタリアを旅行した際の一枚。水の都ヴェネツィアヴェニス)Venezia (Venice)にて、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会San Giorgio Maggioreの塔の上からジューデッカ島Giudeccaを望む眺め。今回の年賀状に使用した写真だ。

 下の写真は、同じ塔の上から別の方向を眺めたもの。観光でお馴染みサン・マルコ寺院の鐘楼と、ドゥカーレ宮殿Parazzo Ducaleが見えている。

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 とにかくこの旅行は、6月だったにも拘らずヨーロッパがものすごい猛暑に見舞われてしまったタイミングだったため、これらの写真も今見ると爽やかなイメージだが(笑)、実際には40度近いとんでもない酷暑の中で撮影していたのだった……。やれやれ。

 今日の東京の天候も、昼ごろまでは妙に湿度が高く、そのせいで最高気温が17度近くまで上がるかと思えば、夕方からは暴風のような凄まじく強い風が吹きまくっている。例年の東京の、乾いた青空に穏やかな空気と刺すような寒さは何処へやら。とても大晦日とは思えず、今は一体何月なの?と思ってしまう異常気象ぶりだ。先ほど書いた、夏の凄まじい猛暑もそうだが、2019年はやはり地球の温暖化が深刻になってきているのを、肌でより強く感じる一年だったと言わざるを得ない。

 地球温暖化の対策としては、やれ飛行機に乗らないだのプラスチックごみを減らすだのとよく言われている。確かにそれらの対策も必要なのだが、どうにも人々は目立つイメージに引っ張られて同じ方向を向きがちなところがある。その上、日本や世界の政治や経済を動かしている人々がそのイメージを利用し操作して、自分たちに都合の悪い要素を見えなくしてしまう危険性をもはらんでいる。

 本当に地球温暖化に取り組むのなら、もっと無視できない大きさで、もっと緊急に本気でどうにかすべきものがあるでしょう?

 ということで……。

www.gizmodo.jp

wired.jp

 もちろん田舎とか辺境とか、自動車を必要とする地域は存在する。そのためにも、公共交通の整備された都市部では、より一層自動車を、特に自家用車を不要物として締め出すように努めてゆくべきだと思う。

 自動車を完全に締め出した街・ヴェネツィアは、まさにその地球温暖化のせいで水没の危機に瀕している。皮肉なものである。

(2019年12月31日投稿)

愛すべき映画

https://www.instagram.com/p/B6SgKPRl1WI/

 新三部作の完結編『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』"Star Wars: The Rise of Skywalker"を、公開初日の12月20日に109シネマズ二子玉川にて鑑賞。2019年4月18日の日記に書いた通りに、「物語の終わり」を見届けた。

(以下の文章ではネタバレはないつもりですが、全く映画の中身に触れずに書くのは不可能なので、作品を未見で気にされる方は、この先の文章についてご注意ください)

Star Wars: The Rise Of Skywalker (Original Soundtrack)

Star Wars: The Rise Of Skywalker (Original Soundtrack)

  • アーティスト:John Williams
  • 出版社/メーカー: Walt Disney Records
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: CD
 

 いやあ……。

 作品の出来、と言う意味ではなくて……。

 終わり良ければすべて良し、でした(笑)。

 つまり、気持ちよくエンドロールを見られてよかったな、と。正直、ここまで晴れ晴れとした後味になるとは自分でも思わなかった。

 作品の出来としては、正直穴だらけだったと思う。前作『最後のジェダイ』のせいで生じた歪みを正してなおかつ終幕まで持ち込む必要があったために、相当な無理をしたであろう痕跡がありありと残ってしまっている。辻褄合わせのために明らかに今作だけで考えたでしょう系の設定が山ほどあるし、物語に要素を詰め込みすぎて駆け足のめまぐるしい展開だ。本当に、そのうちのいくつかだけでも前作に盛り込めたら、今作のせっかくのいい場面がもっとじっくりと描かれたであろうと容易に想像できるだけに、残念でならない。

 それでも、外してはならないと監督J・J・エイブラムズJ. J. Abramsが踏んだであろう、物語の最も主軸になるべきレイとカイロ・レン(それともベン・ソロ)の関わり合いのエピソードは、きちんと映画の中心に据えて描くことができた(この忙しい映画の中では、あくまで「ある程度」ではあるにせよ)のは、大いに評価したいし、そこを外さずに物語を構築したおかげで、この迷走しまくったサーガをなんとか綺麗に決着に持ち込めたのだと思う。前作では狂言回しの役に終始して、本当の意味での「主役」の座を与えられなかったレイは、ようやく今作で主役としての役割を演じていた。そして何よりも光と闇の中を揺れ動くカイロ・レン=ベン・ソロの、物語の中で果たした役割が実に大きかったことは、言うまでもない。この作品の演技賞を与えるとすれば、間違いなくアダム・ドライバーAdam Driverであることは、誰も異論のないところだと思う。

 そして、エンディングを見届けた私の気持ちは「赦す」。その一言に尽きる。

 こんな温かい気持ちに満たされるとは、正直自分でもびっくりしたくらいだ。かなり穴だらけでツッコミどころ多数のストーリー展開で、特に後半は勢いとエモーショナルな力でグイグイ突っ走るのに観るほうもついつい巻き込まれて(勢いに誤魔化されて、ともいう)終幕まで驀進していった印象すらあったのに、これはどういうことだろう。

 観終わって十日ほど立って、ようやくふさわしい言葉が思いついた。

 この作品は、「愛すべき映画」なのだ。

 欠点は数多くあれど、それを覆して「でもこの映画よかった」とか「好きだ」と言ってしまえる何かを、ひとつでも持っている作品。そういう「何か」が、この映画にはあったんだなあ、と。それは多分、単なる一個の映画作品としてだけでなく、あるいは新三部作の総括としてだけでもない。私が、1978年に11歳で初めて『新たなる希望』を観て以来、特に1980年の『帝国の逆襲』を筆頭に、このシリーズに強い影響を受けて生きてきた一人だから、でもあろう。いやあJ・Jよくここまで漕ぎつけたね、よくやったねお疲れ様でした、という、ものづくりに携わった経験を持つ少し上の世代の一人としての、労い(?)の気持ちもすごくある(笑)。もちろん、これらはあくまで私個人の感覚であるが。

 作家で優れた映画ブロガーでもあった故・伊藤計劃氏は、氏のブログ「伊藤計劃:第弐位相」の中で『キングダム・オブ・ヘブン』"Kingdom of Heaven"(私の大好きな作品のひとつでもある)について、こう書いていた。

この映画、俺は好きだ。なので、出来不出来はもうわからん。

 

    (「伊藤計劃:第弐位相」2005年5月14日の記事より)

 『スター・ウォーズ/スカイウィーカーの夜明け』についての私の言葉も、これと同じだなと気づいた。なんのことはない、私の「愛すべき映画」が、またひとつ増えただけなのだ。

 というわけで、これは私にとって「もう一度は観たい映画」になった。年が明けたらぜひとももう一度観て、この映画に対する感想をもっとたくさんの言葉にしてみよう(次回観たらネタバレを書かないとね!)。今回は2Dの通常上映で観たので、次はせっかくだからIMAXレーザーのある劇場で観てみようかしらん。

 参考までに、いくつかネタバレなしレビューのリンクを貼っておきます。

jp.ign.com

theriver.jp

www.newsweekjapan.jp

 

 ↓こちらの動画は完全ネタバレトーク。全てに同意見というわけではないけれど、観ていて面白かったので貼っておきます。


『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』ネタバレトーク:第120回 銀幕にポップコーン

(2019年12月30日投稿)

あの映画を論じるということ

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(写真は2019年12月12日に、渋谷にて撮影)

 新三部作の完結編『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』"Star Wars: The Rise of Skywalker"の公開を間近に控えて、書店では「スター・ウォーズ」の関連本や雑誌の特集を見かけることが多くなった。その中で気になって購入したのが、高橋ヨシキ著『スター・ウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』(洋泉社)。

スター・ウォーズ 禁断の真実(ダークサイド) (新書y)

スター・ウォーズ 禁断の真実(ダークサイド) (新書y)

 

 書名やカバーのデザインはちょっとトンデモ本かと思ってしまうくらいアレだが、パラパラ中を見ると、非常に真っ当に資料を収集して検証した上で「スター・ウォーズ」を「考察」して論じているようなので、読み応えがありそうと思って買ったのだ。実際にはとても読みやすく内容が興味深いのと字が大きいのと(笑)で、読み始めたらすぐに読了してしまった。著者自身も「あとがき」の中で「本書の題名は出版社の営業サイドの要望によるもので、筆者にとって得心のいくものではない。」と書いているくらいなので、版元サイドの都合なのだろう。よほど興味本位に、トンデモチックに見せかけて売らないと売れないという発想だろうか。私からすると貧しいとしか言えない発想だが、本当にそうだとしたらたいへん残念だ。

 確かに「たかが映画」「娯楽のための消費物」と言ってしまえばそれまでなのだが、「スター・ウォーズ」シリーズは、その作品の評価そのものは脇に置いても、40年以上継続されて実に多くの人々に影響を与えた「大衆のための娯楽映画」である。であればこそ、映画作品を通じて大衆に向き合うための施策や努力が、その40年間の社会や文化を映し出す鏡の役割を(意識するとしないとに拘らず)持つのは間違いない。「たかが映画」を真面目に論ずることは、私たちの社会や歴史をより良く見通すことに繋がっていると思うし、その文学的考察は、人間理解の大切なひとつの手段たり得る。その評論活動が大きな金銭的利益を生み出さないからと言って、決してこの社会で不要なものでも余剰のものでもないのだ。

 「スター・ウォーズ」シリーズを平易に論じた本としては、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』公開前に出版された二冊がとても優れていた。すなわち河原一久著『スター・ウォーズ論』(NHK出版新書)と、清水節・柴尾英令著『スター・ウォーズ学』(新潮新書)である。本書はそれらを踏まえて、異なった切り口で「スター・ウォーズ」を論じているので、併せて読むと実に興味深い。ただ上記二冊は「フォースの覚醒」公開前に出版されたので、「フォースの覚醒」以後の作品(スピンオフ含む)までを論じているのは、本書だけとなる。

スター・ウォーズ論 (NHK出版新書)

スター・ウォーズ論 (NHK出版新書)

  • 作者:河原 一久
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2015/11/07
  • メディア: 新書
 
スター・ウォーズ学 (新潮新書)

スター・ウォーズ学 (新潮新書)

 

 本書は、いちおうシリーズの各作品を(スピンオフも含めて)、公開順ではなく年代順に並べて章立てしてある。だが、著者が「まえがき」で予め断っているように、各章では個々の作品は議論のトリガーとして扱い、そこから自由連想的にシリーズ全体に渡って形式を定めずに論を進めている。そのため、全体としてのまとまり感はあまり強くない。それでも、本書を最後まで通読すると、ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」で目指したものと、その社会における影響の有り様、そして跡を継いだ人々が何を目指そうとしたかを、著者が冷静かつ実証的に描き出していることに気づく。

 個々のエピソードにおける着眼点の中には、実に独創的で興味深いものも多い。エピソード4「新たなる希望」でほんの少し垣間見ることのできる「ファンタジーと日常性との連関」は、そのひとつだ。また「フォースの覚醒」以後の作品における、主としてディズニーによる「正当性」への努力についても、努めて冷静に論じられている。私の印象では、個々の作品が「どのような原因と意図そして経緯のもとに、今あるこの作品として表現されるに至ったのか」を特に強く意識して分析されているように思う。

 著者の高橋ヨシキ氏は、私は寡聞にして存じ上げなかったのだが、かなり活躍されていて知名度の高い映画ライターの方のようだ。実際、本書も非常に該博な知識と大量の調査取材の元に書かれている労作であり、それだけでも価値の高い一冊だ。

 それだけに、校正上・内容上の細かいミスが散見されるのは誠に惜しい限りだ。文章表現の甘さもしばしば目についてしまう。出版までのスケジュールがタイトで、原稿の校正や推敲に十分な時間がかけられなかったのだろうか。それらのほとんどは本の大勢に影響を与えないが、私がかつて編集者の仕事をしていたせいで、そういう校正上の違和感はついつい気になってしまう。ただ、あと一回でも校正を重ねれば、より完成度が高まったようにも思われるだけに残念だ。それでも、「スター・ウォーズ」のシリーズを「作品」として捉えることのできる人にとっては、本書が一読に値することは間違いない。
(2019年12月19日投稿)

めくるめく映像美の中で

 「21世紀の映像の魔術師」の異名を取るイタリアの映画監督パオロ・ソレンティーノPaolo Sorrentino。私はこの監督の代表作でアカデミー外国語映画賞の受賞歴を持つ『グレート・ビューティー/追憶のローマ』"La Grande Bellezza"がものすごく好きで、DVDを買って何度も繰り返し観ている。ローマの街を舞台に映し出される、様式美ばりばりの映像がとにかく美しいのだ。そして、その映像美と野卑なまでに俗を極めた人々の言動との対比。さらに聖歌やクラシックからクラブ・ミュージックまで、次々と縦横無尽に使用される幅広いジャンルの楽曲の数々。静と動の対照の鮮やかさ。それに深く心を動かされ、同監督の他の作品も折に触れていくつか観てきた。

 そのソレンティーノ監督の昨年イタリアで公開された最新作『LORO 欲望のイタリア』"LORO"が、今年の11月15日から日本の映画館でも公開される。幸いなことに試写会の抽選に当たったので、10月31日、ハロウィンの晩にひと足早く観ることができた。

 試写会の会場は、東京・九段下にあるイタリア文化会館。ここの地下にある「アニェッリ・ホール」にて上映された。

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 上映に先立ち、漫画家のヤマザキマリさんと朝日新聞の映画担当記者・石飛徳樹さんによる対談が30分ほどおこなわれた(下の写真)。言うまでもなく『テルマエ・ロマエ』で有名なヤマザキさんはイタリア在住歴が長く、この映画の主人公ベルルスコーニが首相だった頃のイタリアを肌で感じていたお方。良くも悪くも存在感がとてもビッグだったベルルスコーニへの、イタリア人のアンビヴァレントな国民感情(?)についてたっぷり語ってくださった。かたやソレンティーノ作品の大ファンを自認する石飛さんも、作品の華麗な映像美などについて熱く語ってくださったので、上映前の期待感は嫌が応にも高まる。

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 その対談に引き続いて、本編の上映。

 上映時間2時間37分。

 ソレンティーノの、華麗な色彩と音楽に彩られた、聖と俗が混沌と交じり合う爛熟の映像絵巻。たっぷりと堪能しました。映像と音楽を山のように積み上げて、ここまで圧倒的な存在感を現出できるのか。観終わって暫し茫然と佇むより他なし。

 この作品は、イタリア共和国の首相を9年の長きにわたって務めた、「怪物」シルヴィオ・ベルルスコーニSilvio Berlusconiを主人公とした映画である。

 となると「政治もの」なのか!?

 「いやー私、政治ものは苦手で」と言って去ろうとしている人、ちょっと待った! 自分もそういう一人なのだからよく分かるが、トークヤマザキマリさんが「全然政治ものじゃない」と仰っていた通り。ハリウッドで作られる「政治もの」の映画、例えば『バイス』とか『ペンタゴン・ペーパーズ』あたりを連想・期待してこの映画を観ると、大いなる肩透かしを食らうこと間違いなし。

 まず、監督がソレンティーノだよ? 彼の作品を観たことのある方はお分かりだと思うが、ソレンティーノがハリウッドの「ああいう政治もの」の映画を作るわけがない。当然ながら、ベルルスコーニの「怪物」ぶりは描いても、彼を糾弾したり賞賛したりは一切しない。そして、ソレンティーノ作品なので、いわゆる起承転結のある「物語」は、まず存在しない。ましてやハリウッド的マーケティングの成果バリバリの、観客を甘やかしまくりでご親切な「分かりやすさ」など露ほども期待しないほうがいい。この作品は、正統的なまでにヨーロッパの映画だ。冒頭から結末まで映像を見せることに徹底した、映画のための映画なのだ。

 そもそもパオロ・ソレンティーノは、この映画が描いている2006〜2009年ごろのベルルスコーニの「感情の蠢きに興味を持った」のが、この映画を作るそもそもの動機だったらしい。あらゆる映画的技法を駆使してこの怪人の「本質」を描き出し、それを「作品」に昇華させることを狙ったのだと思う。「汚濁にまみれた聖人」たるベルルスコーニの比喩として、実に様々な象徴的モチーフや「絵」が映画の中に込められている。冒頭の羊のエピソードと、最後の瓦礫の中から引き上げられるイエス・キリスト磔刑像との対比は言わずもがな。中世ヨーロッパの図像学では「犠牲の仔羊=救世主イエス・キリスト」なのは常識中の常識。イエスは「神の仔羊」なのだ。それをベルルスコーニの映画に持ってくるあたり、大真面目なのか人を喰ったジョークなのか、ソレンティーノの曲者ぶりが窺われる。

 というわけで、この映画は過剰なまでに色彩に溢れ、権力に群がる人々とブロンド&ナイスバディの露出度過剰美人たちに溢れ、古今東西のあらゆる音楽に溢れ(サントラ盤は例によってCD2枚組の大ボリューム)、まさにソレンティーノらしい爛熟を極め欲望にまみれた人々の映像絵巻にどっぷりと浸るのが、正しい鑑賞法だと思う。そのめくるめく世界をそのままに受け取って味わうこと、そこに私はヨーロッパの長い歴史の中を脈々と貫いてきた「芸術」の精神を見る思いがするのだが、いかがであろうか。

 主役ベルルスコーニを演じるのは、ソレンティーノ作品ではお馴染みの名優トニ・セルヴィッロToni Servillo。今やイタリアのみならずヨーロッパの中でも大俳優としてすっかり有名になってしまった彼が、容姿から何から見事にかの「怪物」を演じ切っている。この映画のベルルスコーニは70代前半だが、トニ・セルヴィッロは1959年生まれ。この映画が公開された昨年の時点では、まだ59歳になるかならないかの若さだったのだ。すんごい老け役。前回主演した2013年の『グレート・ビューティー/追憶のローマ』の時も、主人公のジェップは65歳という設定だったが、演じたトニ・セルヴィッロはまだ55歳にも届いていなかった(笑)。特殊メイクなどに頼らず、実年齢より10歳以上も老けた役をこれほどまでに演じられる俳優も、そうそういないような気がする。きちんと演じ切っているあたり、さすが名優と言うべきか。

www.transformer.co.jp

 (2019年11月14日投稿。映画公開前にアップできてよかったです)


【2020年1月16日追記】(すぐに追記するつもりが、ボーッとしているうちに年を越してしまいいました。トホホ)

 というわけで、長大ながら無駄な場面はひとつもない『LORO 欲望のイタリア』だが、実はソレンティーノ作品では初めて、観ていてほんの少しだけダイジェスト感(!)を感じてしまった。大河ドラマの本放送分を一年間観たあとに、恒例の総集編を観た時に近い感覚、と言えば分かる人には分かっていただけるだろうか。ひとつの場面の中や前後に、省略された会話やエピソードや場面の存在を知覚するような感覚だ。

 これも実在の人物を題材にした映画だからかな、とも思ったが、それだけではない。この映画は、元々本国イタリアでは、前後編合わせて3時間24分の二部作として公開されたのだ。それを米国公開の際に、2時間25分の一本ものとして再編集したらしい。日本公開版はそれより少し長い2時間37分だが、それでもオリジナルのイタリア版二部作より47分も短いことになる。

 この省略された47分の映像がどんなものか、ぜひとも観たいところだ。ソフト発売の際には、ぜひオリジナル版二部作も観られるように収録してほしいなあ。

 それで思い出したが、私が大好きな『グレート・ビューティー/追憶のローマ』にも、英語版のウィキペディアによると、劇場公開版より30分以上長い、2時間53分のディレクターズ・カットが存在するらしい。版権のもつれのせいで、この作品は日本ではDVDしか出ておらず、誠に残念なことにブルーレイは未発売なのだが、もし発売できるようになったら、こちらもぜひこのディレクターズ・カットを収録してほしいぞ!

en.wikipedia.org

ゴシック写本の小宇宙

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  上野・国立西洋美術館の常設展示エリア内にある、版画素描展示室において開催中の小企画展『内藤コレクション展「ゴシック写本の小宇宙――文字に棲まう絵、言葉を超えてゆく絵」』を観てきた。

 数十年にわたって、中世ヨーロッパの彩飾写本(装飾写本)、その中でも主としてゴシック期の一枚ものの写本零葉をこつこつと蒐集してきた医師の内藤裕史氏が、2016年にその約150点のコレクションを一括して国立西洋美術館に寄贈。この小企画展はその、一般の観客に対しては初お目見えとなる展示だそうだ。

 最近とみに寡聞にして新しい情報に疎くなってしまっている私が、この小企画展のことを知ったのは、かの有名な展覧会ブログ「青い日記帳」を運営するTak(たけ)さんのツイートから。

 内藤氏がこの膨大なコレクションを惜しげもなく寄贈したのは、日本のミュージアムには、西欧中世のコレクションが欠けているとの思いからだそうだ。なんと素晴らしい志だろうか。大学時代に西洋美術史、特に中世ヨーロッパの美術史を専攻していた私にとって、あの頃(30年ほど前)の最大の課題はなんといっても、日本では中世ヨーロッパの美術品の現物をまとめて観ることができない、ということだった。そのことが結局、私を英国に一年間留学させて、その間精力的に西ヨーロッパを巡って美術品に触れて歩く日々を送ることに至る大きな動機のひとつになったわけだが。

 とにかくあの頃は、この国立西洋美術館でさえ常時展示している中世のコレクションはほんの数点のみで、それ以外の美術館は推して知るべしというレヴェル。おまけに中世ヨーロッパの美術なんて当時は本当に人気がなかったから、企画展なんかもロクに開かれないし。その頃に開かれた、比較的大規模な中世ヨーロッパ美術の企画展としては、1994年(もう私は大学を卒業した後だった)に国立西洋美術館で開かれた「聖なるかたち 後期ゴシックの木彫と板絵」展くらいしか私には記憶がない。

 ようやく21世紀になって以降に、中世ヨーロッパの美術も少しずつポピュラリティを獲得してきて、企画の切り口によってはずいぶんと大規模な展覧会を日本でも開催できるようにはなったように思う。その最たる例が、2013年に国立新美術館などで開かれた「貴婦人と一角獣展」だ。だが、美術館が所蔵するコレクションのほうでは、中世ヨーロッパの美術品は、国立西洋美術館が少しずつ所蔵作品数を増やしてきているくらいで、30年前からあまり状況は好転していない気がする。

 そんなわけで、今でも日本にいながらにして、中世ヨーロッパの美術品をこれだけまとめて観られるなんて、実に貴重な機会である。しかもこれが美術館の所蔵作品として、常設展で観られるなんて! いてもたってもいられず、常設展を無料で観ることができる第4土曜日にさっそく観に行ってきた。

 国立西洋美術館のロビーに入ると、企画展の「ハプスブルグ展」を観にきた人々でごった返すショップを横目に見ながら常設展会場に入り、本館の展示エリアを抜けて新館に入る。その新館の最も奥の方に、版画素描展示室がある。ちなみにこの小企画展は、写真撮影が可能です(もちろんフラッシュは使用禁止)。

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 展示室のぐるりの壁面に、一点一点額装されて展示された彩飾写本の零葉。30点ほどだろうか。14〜15世紀頃の、いわゆるゴシック期にフランスやイングランドで制作されたものが多いようだ。そして、かなり小ぶりな大きさのものが多い。中世の彩飾写本というと当時はたいへんな貴重品だから、半ば宝物として大切に保管されるものというイメージが強く、かなり大きなサイズのものが主流かと思っていたが、そうでもないようだ。ゴシック期になると都市における職人たちによる分業が確立して、手工業でもそれまでに比べるとかなり大量の生産が可能になっていたから、写本も以前の時代よりは貴重度が下がって、ものすごく裕福な人でなくても多少は手にすることができるくらいには数が増えていたのかもしれない。さらには、気軽に(?)持ち出したり持ち歩いたりできるくらいにも。

 写本で使われているゴシック文字が大好きなので、文字を見るだけでも楽しい。そして、いろいろな形で描き込まれている様々な絵や意匠がさらに楽しい。

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 お馴染み文の最初の大文字(イニシャル)の中に描かれた挿絵の他にも、こういう欄外の動物たちやら不思議な生き物やら、文様化された植物やらが、とにかく見ていて楽しい。

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 段組の隙間にまではみ出したイニシャルにも、可愛い兎や栗鼠が潜んで愛嬌を振りまいている。

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 そして、行末の空きスペースにもこんなのが。模様はともかく、お魚さんまで押し込んでしまっている。

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 とにかく空いたスペースは何がなんでも飾ってやるぞ!と言わんばかりに埋め尽くしています(笑)。テキストとの関連がある絵柄も多いそうだが、これなんかは相当「遊んで」いるなあ(笑)。スペースに合わせて形も自由自在に変形。一部分だけ引き伸ばしたり、縮めたり。まさに、カオス。まさに、小宇宙。

 ゴシック写本における欄外や周縁に描かれた「遊び」や不思議な世界については、マイケル・カミールMichael Camilleの『周縁のイメージ』(ありな書房)をぜひ。一級の研究書です。

周縁のイメージ―中世美術の境界領域

周縁のイメージ―中世美術の境界領域

 

 一枚一枚をじっくり観て堪能してまわったので、この小企画展を観るだけで一時間以上かかってしまった。いやあ楽しかった〜。また近いうちに来て、じっくりと味わうとしよう。米粒職人もかくやという細密な作品が多いので、単眼鏡は必携です。

 寄贈なさった内藤氏はこの写本コレクションにまつわるエピソードを一冊の本にまとめている。以下のアマゾンのリンクだとえらく値段が張るが、国立西洋美術館のショップなら通常価格の2,500円+消費税で購入可能です。

ザ・コレクター :中世彩飾写本蒐集物語り

ザ・コレクター :中世彩飾写本蒐集物語り

 

 まだ図録を編集することができるほどには、このコレクションのリサーチは進んでいない様子。きっと近い将来に図録が出るだろう。期待したい。

 それにしても、国立西洋美術館の常設展示もずいぶんと充実したなと思う。作品のレヴェルのばらつきはあるかもしれないが、ひと通り観ると、きちんとヨーロッパの中世から20世紀までの絵画史を俯瞰できるようになっている。ここの所蔵品の大元になった松方コレクションの性格上、19世紀美術のイメージが強いが、それ以前の時代の作品もかなり充実しているし、観ていて面白いものが多くて嬉しい。

 常設展での私のお気に入りは、言わずもがなの中世から初期ルネサンスと、17世紀オランダの静物画(含む「ヴァニタス」)、そして人物の後ろでも奥行きがあって眺めがいのある風景が描かれている絵と風景画全般。あと、もちろんハンマースホイは必ず観ています(現在は、おそらく都美術館の来年頭の企画展のために不在ですが)。

(2019年11月13日投稿。ようやくアップできた〜)

最後の予告編

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 映画の公開まであと2か月を切った『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』"STAR WARS: The Rise of Skywalker"の「ファイナルトレイラー」なるものが公開されていることを、今日知った。

www.gizmodo.jp


「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」最後の予告篇 世界同時解禁

 

 2019年4月18日の日記に書いたように、すっかりグダグダになってしまってはいるものの、自分には「物語の終わり」を見届ける義務のようなものが(自分に対して)あると思っているので観に行くつもりだ。やはり予告編を観ると期待感は高まってくる。予告編を観ただけではどんな物語になるのか、さっぱりわからない。まあ、どうせ2か月もしないうちに観ることができるのだから、あと少し待ちましょうか。

 それにしても「ファイナルトレイラー」という言葉、初めて聞いたような気がする。映画そのものはシリーズの最後なのかもしれないが、予告編に「最後」という言葉を使うのは、なんだかへんてこりんだ。予告編に最後もへったくれもあるのかという気がしてしまう(笑)。「最新の」なら分かるが…。敢えてファイナル感を煽って映画公開を盛り上げようというプロモーションの方針なのでしょう、きっと。

(2019年10月25日投稿)