紙メディアは必要だ

studio_unicorn20090322

 天候が崩れるという予報だったので、自宅で「巣ごもり」を決め込んだ一日。
 こたつに入って、いろいろ新聞や雑誌に目を通し、読みまくる。
 私自身が(このようなブログを書いていながら)旧世代なのかもしれないが、如何にテレビやネットの情報が発達しようとも、新聞・雑誌の紙メディアはやっぱり必要だ。確かに、速報性では今やネットやテレビには敵わない。が、情報の"鮮度"の移ろいやすさもあり、ネット(特にケータイ)では、一人の人が追える情報の"範囲"は限定的なものにとどまりやすい。テレビの場合は、私はテレビをほとんど観ないのでなんとも言えないが、膨大な時間を費やしてテレビを見続ければ、情報の"範囲"を広げるのは可能かもしれない(ケータイでも、多くの時間とお金を費やせば可能かも)。が、たぶん多くの人には、(ケータイを含む)ネットやテレビだけでは、かなりの情報が目に触れぬまま"流されて"ゆき、本当の意味で「主体的」に情報の取捨選択ができているのか疑わしいといわざるを得ない。
 その点、新聞や雑誌の「一覧性」「移ろいにくさ(=後からでも追える)」、そして記事や読み物の「掘り下げの深さ」は、ネット(特にケータイ)、テレビにない大切な要素のひとつだと思う。新聞や雑誌のおかげで、我々は取りこぼした情報の「落ち穂拾い」ができるし、自分のペースで情報を追って、(ここがいちばん大切)情報について考えることができる。紙メディアの役割は、衰えることがないと思うなあ。衰えるとすれば、実は我々"受け手"の民度が問われているのではないだろうか。
 などと書きだすと、いろいろ思考や論が広がってしまってきりがない。また別の機会に、少しずつ書いていくようにしよう。
(写真は、本日の夕食のメイン、豚切り身肉の生姜焼き風ソテー)