引き返せない一線

 

 人が生きてゆくということは、実にたくさんの「引き返せない一線」を越えてゆくことなのだなあ、と最近とみに実感している。

 私の右目の網膜剥離の緊急手術から2か月半が経過した(2024年2月13日の日記参照)。幸いにして術後の経過は順調だが、右目の視界はまだかなり歪んでいる。しかしこの頃は、それを日々の暮らしの中で意識する頻度が少なくなった気もする。歪んで見えることに身体が慣れてしまったのかもしれない。あるいは時間の経過とともに多少は直ってきたのかもしれない。それでも、直線を見ちゃうとヤバい。家の中だと、テレビ画面とか相当ヤバい。左目だけで見るとシャキッと四角いのに、右目だけだと縁のラインがふにゃふにゃ波打って、画面が生乾きの布巾のような形に見える。外だと電柱とかビルとか、面白いくらいに直線がフニャらけて見える(笑)。この歪みは半年ぐらいかけて徐々に解消してゆくらしいのだが、先述の通り私の網膜剥離が中心の黄斑部まで及んでいたので、歪みが一生残る可能性もあるという。現状ではまだ不明だが、引き返せない一線を越えてしまったのかもしれない。

 引き返せない一線といえば、網膜剥離の手術と同時にいわゆる白内障手術、つまり瞳の水晶体を取り替える手術も受けている。これは、網膜剥離の手術をするとほぼ確実に白内障を悪化させて手術が必要になるので、二度手間にならないよう一度に両方を済ませてしまおうということだったらしい。網膜剥離の手術では、よくあることのようだ。

 そんなわけで私の右目の水晶体は、白内障の手術で人工のものに取り替えられてしまった。まあ白内障にかかる割合は50代でも半数近く、80代でほぼ100%だそうなので、実に多くの人が白内障の手術を受けて人工の水晶体を持つことになる。そう珍しいことではないらしい。むしろ生来のものより「良い」目が得られるいい機会と捉える人も多いとか。目で散々苦労してきた私なので、その気持ちは痛いほど分かる。とはいえ、それは残りの人生を生き抜くのに必要なある種の「代替品」であるのは間違いない。自分もそういう身になったのだなあ、という感慨はどうしても感じてしまう。知らず「引き返せない一線」を越えていたことに気づくのだ。

 右目の度数が変わってしまったこともあり、私の眼鏡のレンズも新しく作り変えねばならなかった。だが、ひとつ問題が。網膜剥離を扱う手術では人工の水晶体は単焦点のものしか使えないので、元々の水晶体のように厚みを変えて近くにも遠くにもピントを合わせることができる、なんていう器用な芸当ができない。ピントの合う距離が限られてしまうのだ。だからどんなに目を凝らしても、手元の文字とかがはっきり見えない。そこで遠近両用レンズの登場である。これまで強度の近視と乱視と斜視を抱えながらなんとか使わずにやってきた遠近両用レンズの眼鏡を、生まれて初めてかけることになった。当然ながらものの見え方が、今までの単焦点のレンズとかなり異なる。周囲をぐるりと見回すと、世界全体がゆらゆらと揺らぐ。かけ始めてひと月近くたつが、まだなかなか慣れない。もう少しかかりそうだ。

 というわけで私の目にまつわる日々の苦労はかなりしんどいものがあるが、それでも慣れもあって多少は落ち着いてきたかな、と感じ始めた2月の下旬。追い討ちをかけるように、すごく身近に大変な事態が起こってしまった。それ以来もうバタバタ。日常の生活を回すだけで精一杯の日々が続いている。さすが故・寂聴尼が「凶の月」と呼んだ2月である(2020年2月13日の日記参照)。難題ひとつでは足りないと思ったのか、ご丁寧なことにもうひとつ背負わせてくれたらしい。やれやれ。

 そこからもさらにひと月が経ったので、多少はバタバタのルーティーンにも慣れてきたのか、ようやくこの日記を更新できるくらいにはなった。とはいえ、この一本を書くのに1週間近くかかっていますが(汗)。

 

 

 バタバタの日々の連続では、なかなか世の中の動きに気を廻す余裕が持てない。だが、ふと立ち止まって外の世界に目を向けると、今年に入ってから日本でも世界でも騒然とした状態が続いているのに呆然としてしまう。元日の能登半島の大地震による惨禍はいうまでもない。それを含め、今年に入ってから全国各地で地震が続いていることを重く見る人がいる。それもさることながら、私はむしろ2月の異常な気温の高さと2月〜3月に頻発した強風のことを特筆しておきたい。2月なのに東京の最高気温が20度を超えるとか、一体地球はどうなっているの? 頻発する強風にしても、この季節特有の自然現象なのは承知だが、今年はその規模を台風並みの桁外れの激しさに押し上げたのは、2月の異常な気温の高さが寄与しているのは確かだろう。いよいよ「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来したのです」と国連事務総長グテーレス氏が語った通りになったのか。人類全体が、知らないうちに「引き返せない一線」を越えているのではないか(2019年12月31日の日記および2023年8月5日の日記参照)。

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 歪んだ視界とバタバタの日々のせいで、この日記はおろか、それまで頻繁に投稿したり閲覧していたインスタグラムのアプリもひと月以上まったく開いていない。最近とんとご無沙汰していたツイッター(あ、今は「X」というのか)は完全放置だ。読書もなかなか進まない。浴びるように本を読みたいのに。そして、視界の歪みと目の疲れが気になって、大好きな映画を観る気になれないのがとても残念。「デューン 砂の惑星 PART2」と「オッペンハイマー」をすごく観たいんだけどなあ。

 せめて画面が小さめで歪みが気になりにくいテレビドラマなら、と合間をみて少しずつ録画したテレビドラマを観ている。とはいっても生来ほとんどドラマを観ないので、ほんの少しだけ。昨年の終わりに録画しておいた連続ドラマ「いちばんすきな花」全11話を観終わってから、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を観ている。

 昨年9月から12月にかけて放送した「いちばんすきな花」は、社会現象になった「silent」(サイレント)が思いがけず秀逸な内容だった(2022年11月14日の日記参照)ので、その脚本の生方美久氏とプロデュースの村瀬健氏によるドラマというのでけっこう期待して、珍しく初回から全て録画しておいたもの。前作以上のクオリティの高さ、深い人間洞察が期待通りで嬉しかった。

 

 そして「光る君へ」が今のところめっちゃ面白い。平安中期という大河ドラマ史上初めての時代を背景に、スレ違いまくりでもどかしさ満点の王道ラブストーリーと「ゴッドファーザー」の如き宮廷権力闘争劇とのハイブリッドフィクション。それをいい意味で庶民が楽しめるテレビドラマのフォーマットに落とし込みつつ、画面にぎっしりと詰め込まれた情報量の多さがいくらでも深堀りできる。平安カルチャーが忠実に再現されているのも素晴らしい。ドラマやこの時代にまつわる本を読みつつ1、2週遅れくらいで楽しく観ています。

 自分の周りも世の中も大変なことばかり続いている2024年だけれども、せめて「をかしきものこそ、めでたけれ」。今年の生きがいのひとつは間違いなく「光る君へ」だな。序盤のこの面白さが、ぜひ通年で続いてほしいなあ、と。

 

 それにしても、大河ドラマこそは、毎年繰り返される「引き返せない一線を越えてゆく」人々の物語であることよ。

 

(写真は2024年3月27日〜30日に、都内各所にて撮影)