そして13人がいなくなった

 

 さてさて。今年のNHK大河ドラマ三谷幸喜さん脚本の「鎌倉殿の13人」はどうしたかというと、結局ものすごく遅まきながら観始めています。

 

 

 あれだけ昨年の「青天を衝け」のことをもっとちゃんと書かないうちは「鎌倉殿〜」を観ないとかなんとかホザいていたが(2022年1月5日の日記参照)、目の周りやこめかみの激しい痛みやら肩ゴリやら精神的にダウナーな状態やらでパソコンにもテレビの画面にも向かえない日々が続くうちに月日ばかり過ぎてしまい、我が家のレコーダーが毎週律儀に予約録画している「鎌倉殿〜」の未視聴分ばかりが着実に積み上がることに(笑)。

 極め付けは7月下旬に高熱を出して2週間寝込んだこと(2022年10月17日の日記参照、おそらくコロナだったのでしょう)。回復期を含めてほぼひと月何もできず、気がつけば2022年も3分の2が過ぎようとしていた。つまり大河ドラマも3分の2が放送済みになったわけで、もう「青天〜」のことを書くまで待っていたら確実に観ないうちに最終回を迎えそうな事態に。さすがにこれはイカンと思って、観始めた次第です(汗)。

 皮肉なことに、まるひと月近く休養したことが却って幸いしたのか、あるいは何か自分の中で凝り固まっていたものが解けたのか、寝込む以前より目や肩や背中の状態が多少はマシになった。おかげで大河ドラマくらいの時間=45分程度ならさほど目を疲弊しないで観られるようになり、これは幸いであった。8月20日に第1話を観たあと二日続けて第2話、第3話と鑑賞し、そのあと二日間は無理せず目を休めようとお休みして、その翌日(8月25日)と翌々日(26日)に第4話・第5話を観た。1週間で5話分を堪能したのは、なかなかのロケットスタートぶりだ(笑)。なお、倍速視聴やシーン飛ばしは一切やっていない(2022年6月21日の日記参照)。

 しかしその後はまた目の痛みが酷かったり、時間的・精神的な余裕がなかったり、史実で何が起こるか予想がつく故に内容的に観るのがしんどい回をなかなか観なかったり(例えば第15話とか第20話とか)して進みがかなり鈍くなってしまい、11月に入るとふとしたきっかけからフジ系のドラマ「silent」も観るようになって(2022年11月14日の日記参照)、さらに進まなくなってしまった。

 ということで、本放送があと1話、明日の最終回を残すのみとなったというのに、私たちが現時点で観終わったのは第27話まで。大泉洋さん演じる源頼朝が亡くなって、ようやくこのドラマのタイトルの由来である「十三人の合議制」が成立したところである。なんと20話分溜まってる(汗)。とてもじゃないけれど、それこそ倍速視聴を使ったって(しないけど)最終回の本放送までに消化できません(涙)。それでも、第1話の録画を観始めた8月20日の時は30話分ビハインドだったことを思えば、20話分にまで詰め寄ったのだから、ずいぶんと遅れを取り戻したものだ(笑)。

 

 

 2020年1月にこの「鎌倉殿の13人」の企画が発表された時は、ものすごい期待で胸が膨らんだ私。2020年1月19日の日記に書いたように、私にとっては思い入れの強い「草燃える」を、ある意味三谷幸喜さん流に「語り直す」わけだから、これは期待せずにいられようか。その期待は、これまで観た27話分ではまったく裏切られず、歴史上の通説への独自の視点&解釈や、最新の歴史研究の成果も取り入れたストーリーを大いに楽しんでいる。時にはあまりのダークな展開に気分がダウナーになったりもするが(笑)。

 ドラマ1話分を観るごとに書く感想が毎回トラベラーズノート数ページに渡るくらいなので、このドラマの魅力や感想を詳細に語り出すとキリがない。それでも、最終回の脚本を書き終えた時点での三谷幸喜さんの朝日新聞のコラム(2022年9月8日夕刊)での、以下の文章は注目に値する。

 幕末や戦国と比べるとより神代の時代に近い分、僕は鎌倉時代に「ロード・オブ・ザ・リング」や「ゲーム・オブ・スローンズ」といった、ファンタジーの匂いを感じるのだ。特に「ゲーム・オブ・スローンズ」はお手本。あんな大河ドラマを作ってみたかった。

朝日新聞2022年9月8日夕刊コラム「ありふれた生活」第1101回より)

 これには我が意を得たりと膝を打った。私自身もまた長いこと、日本史世界史を問わず歴史の中にファンタジーの流れを感じてきた身だからだ。そもそも中学高校時代に栗本薫さんの『グイン・サーガ』や、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の原作たるトールキンの『指輪物語』に深くハマって以来大のファンタジー好きだった私が、その興味を当然のように中世ヨーロッパの歴史や美術へ広げて、大学の専攻そして自分の嗜好の根幹に据えることに繋がったのだから。

 そうなんですよ。歴史のドラマにはファンタジーになりうる要素がこれでもかと詰まっているのだ。実際に、歴史上の出来事から数々の伝承や伝説、そして伝奇物語=まさしくファンタジー!などが連綿と生まれてきているのだから。2020年の大河ドラマ麒麟がくる」も、「歴史上の出来事」がファンタジーとして「開眼」した物語だったと思う。明智光秀が主君・織田信長に反旗を翻したという人々によく知られ、かつ幾度となく繰り返し語られてきた戦国時代の物語を、これまでにないストーリーと人物と、これまでにない音楽・美術・衣裳デザインによって、まるで架空の国を舞台にした伝説であるかのような全く新しい物語の形で我々の前に提示して、大河ドラマの「常識」を打ち破ったあの物語。「歴史上の事実」から浮かび上がってくる「物語」をすくい取って大きく膨らませて、同じことを語りながら別の様相を見せる。別の視点を持ち込む。「伝説はこう作られ、歴史はこう語られる」と鮮やかに示してみせる。そんな「ファンタジーの力」もしくは「物語ることの力」のようなものを、「麒麟がくる」そしてこの「鎌倉殿の13人」に感じながら観ているのだ。

 さらに、喜怒哀楽すべてが詰まった物語の滔々たる流れの中に、三谷氏が心酔する数々の小説・ドラマ・映画の様相がこれでもかと詰め込まれていること。これも大いなる魅力だ。前出のコラムでも作者ご本人が挙げていらっしゃるが、それこそ「仁義なき戦い」や「寺内貫太郎一家」からギリシャ悲劇やシェイクスピアに至るまで、様々な古今東西の「名作」たちの要素が、ドラマの随所に顔を出して私たちを楽しませてくれる。それを通じて、私たちは物語そのものが持つ面白さがいつの時代も、どこの国でも変わらないことを肌で感じるのだ。

 

 

 明日は最終話の本放送。作者ご本人も前出のコラムの末尾で、

最終回はかなりの衝撃。今までこんな終わり方の大河ドラマはなかったはず。参考になったのは、アガサ・クリスティーのある作品。どうぞお楽しみに。

(同上)

 と書いていらっしゃる。まあ多少は最終話へ視聴者の興味を繋ぐための宣伝もあるかもしれない。それが見事に奏功したのか、ネット上などでは最終話予測が何やら喧しい。私自身は前述のようにまだ全体の半分強しか観ていない身なので、これについては語る言葉を持たない。だが、よくネット上で見かける、クリスティーの有名な作品の真相をそのまま当てはめただけの、誰でも思いつきそうな終わり方は三谷さんは採らないと思うぞ。かといって、クリスティーのことを詳しい人でないと知らないようなマイナーな作品を取り上げることもない気がする。ヒネリを利かせて予測を裏切ることにかけては天才的な三谷さんなら、もっと違う「参考」の仕方をなさるのではないか。

 

 

 アガサ・クリスティーの代表作のひとつに『そして誰もいなくなった』"And Then There  Was None"がある。実はこの作品には、作者自身の手による2通りの異なった結末がある。このことは、クリスティーについて多少なりとも知る人ならご存知であろう。すなわち先に書かれた小説版(1939年発表)では題名通りに誰もいなくなる結末なのだが、あとで書かれた舞台上演用の戯曲版(1946年)では、題名に反して「誰もいなくならない」エンディングが用意されている。その後の映像化作品もほぼこちらの結末を採用している。

 つまり、小説版を既読だったりして題名通りに「誰もいなくなる」と予想して芝居を観た観客は、それを覆す結末を目撃して驚く、という仕掛けだ。舞台で登場人物全員が死ぬのはどうかという配慮で結末が変更されたと言われているが、クリスティー本人の「観客の予想の裏をかいてびっくりさせたい」というミステリ作家魂もあったのではないだろうか。

 三谷さんもこうした形でクリスティー作品を「参考」にしているのではと思うのだが。例えば、あくまで「例えば」だが、北条小四郎は公式には死んだと見せかけて、立派な墓まで作っておいて(もちろん息子泰時の協力は不可欠)、完全に世間の目を離れ伊豆でひっそりと生きていた、とか。さて真相はいかに。

 

そして誰もいなくなった - Wikipedia

 

 それとは別に、同じ朝日新聞紙上に掲載された主人公の小四郎こと北条義時を演じる小栗旬さんのインタビューの中で、最終回を考える上でとても重要なくだりがあったことは指摘すべきだろう。

「後半で、これほど主要人物がいない大河も珍しい。最後に残るのは家族。伊豆の小四郎が北条義時になり、そしてまた小四郎に戻るというのが、三谷さんの描く大団円。ただ、そこにたどり着くまでは本当に修羅の道です」

朝日新聞2022年10月13日夕刊「コムデギャルソン着用の小栗旬、大河の大団円までは「修羅の道」」より)

 ということで、最後の最後は北条家だけの物語にまとまるようだ。それも小四郎と政子、二人だけの場面が予想される。別の小栗さんのインタビュー記事を見ると、クランクアップの日は、小栗さんと政子を演じる小池栄子さんの二人だけの撮影だったようだし。

www.lmaga.jp

 

 

 いずれにせよ、私たちが最終回を観るのは年明けくらいかしらん(苦笑)。それまでにまだあと20話分残っているし。楽しみにしておきましょう。

(写真は3枚とも、2015年10月9日に北鎌倉の円覚寺にて撮影)