麒麟はくるのか

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(写真は2点とも、2020年1月20日に撮影)
 

 2020年の、新しいNHK大河ドラマ麒麟がくる」第1回の放送分(初回拡大版で平常より30分長い75分の放映時間)を観た。どうせリアルタイムでは観ないからと録画しておいたのだが、ヒマだったこともあって放送当日の夜に観てしまった。

 

 正直、事前から期待していたわけではなかった。むしろ初回放送当日の朝までは「別に観なくっていいかなあ」とさえ思っていたくらい(笑)。

 以前の日記に何度か書いたように(2005年5月8日の日記参照)、小さい頃から「日曜夜8時は家族揃って大河ドラマ」だった私。長じて社会に出る前に早くもテレビを観る習慣を「卒業」してしまい、天気予報とニュース以外は本当に観たい番組しか観なくなっていた。特にドラマはほとんど観ていないが、大河ドラマだけは別格だった。それでも、ここ十数年の大河ドラマは私の根気がなくなったのか、なかなか最終回まで観通すことができないでる。一番最近で最終回まで観通したのは、2016年放映の「真田丸」。それも、録画したのを合間を見つけて少しずつ観て、2年以上かけて最終回に辿り着く有様(笑)。よく挫折しないで観たなあ、自分。やっぱり「真田丸」が面白かったから、なのだが。あれで初めて三谷幸喜さん脚本のドラマを観たので、興味が湧いて三谷さんが作った過去の映画作品を何本かレンタルして観たほどだ。

 視聴率の低さゆえに悪い意味で話題になった昨年の「いだてん」はというと、これが最初のうちはけっこう面白く観ていたのだが、10回ほど観たところでなんとなく途切れてしまった。

 やや余談になるが、ドラマの中で物語が頻繁に明治時代と昭和30年代とを行き来するのが分かりにくいとか批判されたと聞いたが、「はああ?」って感じ。レヴェル低すぎ。あの程度の初歩的な時制の飛躍で分かりにくいとか、どんだけ理解力と読解力が低いんだよ。今の日本人の、物語の受容能力の低さに唖然としてしまった。それはともかく、面白く観ていたのに、特に理由もなく途切れてしまったのは事実。昨年は「毎週大河ドラマを観る」という習慣が一年を通して根付くには至らなかった、ということか。残念。

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

麒麟がくる 前編 (1) (NHK大河ドラマ・ガイド)

  • 作者:池端 俊策
  • 発売日: 2020/01/11
  • メディア: ムック
 

 そこで、今年の大河ドラマ麒麟がくる」である。主人公が明智光秀と聞いて、正直のっけからかなり観る気が失せてしまった。だって明智光秀って、本能寺の変からの転落ぶり=「明智の三日天下」の印象が強すぎて、天下取りに失敗した「負け組」の人というイメージで固定なんだもの。「主君を裏切った報いを受けた謀反人」という、因果応報的な道徳的に悪いイメージもある。そんな謀反人の負け組人生を一年かけて観たいとは、正直思わないぞ。それよりも2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が数日前に発表されたばかりで、そっちの方が遥かに興味津々だ。だって北条義時ですよー、小6の時に全部観て激ハマった「草燃える」ですよー。それだけでかなり興奮度高いのに、三谷幸喜さんが脚本を書くというので、これは相当期待してしまう。もう明智光秀どころじゃない、早く再来年にならないかしらん(笑)。

 だが、前日に掲載された朝日新聞のレビューで、「麒麟がくる」の脚本を担当する池端俊策氏が「本能寺から逆算しない光秀」を目指したと書かれていて、興味がピクリと動いた。池端氏は、歴代観た大河ドラマの中でも、私の思い入れがとても強い作品の一つである「太平記」の脚本を書かれた方なので、本当のところかなり期待度が高くていいはずなのだ。さらに、これまでの大河ドラマであまり掘り下げることのなかった、1540〜60年代のいわゆる「戦国ビギニング」が中心になると知り、俄然「観たいかも」と気分が高まった。もう信長秀吉家康の「三英傑」には正直飽き飽きしているし、前田利家(とまつ)や山本勘助直江兼続などといった「部下たち」を主人公にしても、結局「付き従う人たち」なので、三英傑の軌跡を焼き直す感じが強かった。そこへいくと、応仁の乱室町幕府が弱体化して、各地で土豪たちが勢力を盛り上げ、下剋上に群雄割拠そして泥臭い小競り合いを繰り返すこの初期の戦国時代は、まだまだあまり語られずに「手付かず」で残っていたと言ってもいい。

 この、ある意味「プレ戦国時代」「プレ三英傑の時代」で、なおかつ信玄・謙信以外を描いた大河ドラマといえば、1973年の「国盗り物語」の、斎藤道三が主人公だった前半(後半は織田信長が主人公)くらいしか思いつかない。だが「国盗り物語」放送当時、私は5歳〜6歳だった。両親とともにいくらかは観ていたはずだが、ウルトラマン仮面ライダーに興味が集中していたその年齢では当然だが、あまり興味もなくほとんど記憶がない。

 というわけで、この辺りは私にとってほぼまっさらな(?)状態。さらに、「戦国時代の揺籃期」を最新の歴史研究や時代考証を踏まえてドラマ化して、なおかつ若き日の光秀を中心に「戦国の英傑たちの源流をたどっていく群像劇」(放送当日の朝日新聞テレビ欄のレビューより)なのだそうだから、群像劇が好きな私にはたまらない惹句だ。光秀の若き日の物語をかなり丹念に描くらしいから、それなら少なくとも前半は末路のことは気にせず楽しく観られそうだ。考えてみれば誰だって、人生の終わり方をあらかじめ定まったゴールにして、それに自覚的に向かって生きているわけではない。特に若い時は先の見えない人生を闇雲に突き進むものだから、真っ直ぐな明智十兵衛と人々の、その時々の「今」のドラマをシンプルに楽しめばいいのだろう。何より光秀の前半生はほぼ謎に包まれているそうだから、史実に合う範囲内で自由に動かして都合よく物語を盛り上げるのに役立ちそうなのは、「真田丸」の前半とかなり似た「美味しい」シチュエーションと言えるかな。というわけで、初回の放送直前に急遽気分が盛り上がって、録画の設定をした次第。そしてその日のうちに初回放送分を観てしまった。

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 初回の感想としてはまず、放送当日の朝日新聞テレビ欄のレビューで「少年漫画の主人公のような青年、明智光秀」と評された通りに、なんとも真っ直ぐで素直、実に真面目で演じる長谷川博己さんのイメージそのままの明智光秀、いや「明智十兵衛」であったなあ、と。ホント、典型的な「主人公タイプ」。初回で繰り広げられた物語は、史実の裏付けがないほぼ100%創作であろう(もちろん時代考証はかなり綿密になされているようだが)。史劇の体裁を借りた、社会を世の中を見て歩く一人の青年の、遍歴と冒険の物語。大河ドラマとしては邪道? いやいやそんなことは全く無い。歴史上の人物を題材に「きっとこういうこともあったかもしれないよね」と語るこの冒険物語を、私はけっこう楽しく観たし、妙な既成概念や固定概念に囚われずにどんどん奔放に物語を展開してほしい。

 あちこちで指摘された、4K映像の眩しいほどに鮮やかでカラフルな衣装やセットなどの色彩、そしてドローンを使った空中からの映像や地上からのカメラ視点など、画面作りの工夫を凝らしているのも実に楽しい。特にカラフルな衣装は、時代考証の裏付けをもとに徹底しているのが気持ち良い。主要な人物はもちろん、背景の農民やむさい盗賊どももみんなカラフル。画面の隅々まで色彩豊かに徹底して鮮やかに飾っている。キャスティングも含めて、映像表現こそテレビの華だ。大いにこだわるべし。

 まあ初回の物語の造り自体は予測可能な、ある意味「ありがち」な展開で、特に山場の火事の場面はいかにも盛り上げます、という作り手の意図が見え見えだったかな。けっこう効いてはいたけれども。物語全体のメインテーマを提示、みたいな回なので、それはそれでいいかな。楽しめたし。

  ジョン・グラム氏John Grahamの音楽は、大げさなくらいに壮大な雰囲気がちょっとRPGゲームの音楽みたいにも聞こえるが、そこがまたカラフルな映像の斬新さと相俟って、この物語の「無国籍感」を高めているように思われる。日本の時代劇のドラマ、というよりは全く異世界のファンタジーの物語のようにも錯覚してしまうくらい。個人的には、この音楽、特にテーマ曲の、物語の大きなうねりを感じさせる壮大さは好きだ。

 何をいうにも娯楽として面白いかどうかなのだから、ツボさえ押さえておければ、いろいろな試みがあっていいと思う。この初回を観る限り、「本能寺」なんておくびにも出さずに明智十兵衛(「光秀」でなく)と周りの人々の群像劇が続くのであれば、少なくとも前半は期待できそう。そのくらいは途切れずに観続けていきたいなあ。

(鑑賞当日に書いたメモをもとに、2020年3月19日投稿。ようやく書けた〜。こういう未ブログ化のメモが、山のようにあるのです(笑))