観ると元気になる映画。

 

 先日、久しぶりに手持ちのDVDで映画「プラダを着た悪魔」"The Devil Wears Prada"を観た。

 

 以前の日記にも書いたが、ただでさえ画面に目を凝らすと目がゴリゴリに疲れてばっかりだったのに、今年1月に緊急で受けた網膜剥離手術の影響で右目の視界が歪んでしまっている(2024年2月13日の日記参照)。それが気になって、特に自宅のテレビ画面で映画を観るのを躊躇ってしまう日々なのだが、映画を観たい気持ちは消えることがなくむしろ強まるばかり。

 先日、時間が空いて珍しく目の調子が良いタイミングがあったので、何度も観てお馴染み、かつ直線の少なそうな(笑)この映画なら大丈夫かもと思い切って観てみた。幸いにも目がゴリゴリすることもなく、やっと家のテレビで映画を観られた〜という喜びに包まれている。徐々に目の状態が良くなってきているのだといいが。これでようやく家のテレビで手持ちのDVDやブルーレイを再生して、大好きな映画を観ることができるかな。そう思えるだけでものすごくわくわくする。目が疲れにくいように、と一昨年末に大きい画面のテレビにせっかく買い替えたのに、なかなかその大画面を愉しむ機会がなかったのですよ。

 

 

 それもしても「プラダを着た悪魔」。めっちゃ大好きな映画です。もう何回このDVDで繰り返し観たことか。以前勤め仕事をしていた頃はよく日曜日の夜にこれを観て、その度に明日から頑張れる活力をもらって前向きな気持ちになったものだった。とにかくこの映画は、私がすごく重視する「後味の良さ」がピカイチ。今回もものすごく久々に観て、改めてそれを実感した。翌日に何もすることがなくても、すごく元気にポジティヴに、「明日からなんでもできる」ような気分にさせてくれる。何度この映画に「元気をもらった」ことか。あの、私が30代〜40代半ばだった頃はもちろん、今でも「観ると元気になる映画」を教えてほしい、と訊かれたら、私は迷わずこの「プラダを着た悪魔」と「ツイスター」"Twister"を筆頭に挙げるだろう。

 映画の公開は2006年。私たち夫婦が初めて下高井戸シネマで観たのが2007年3月なので(2007年3月31日の日記参照)、それから数えてももう17年!も経ったのか。びっくり。というより、この映画が18年前のものになってしまったことの方が驚きだ。どうりで私もその間に二つ三つ歳をとったわけだ。公開当時24歳だったアンドレア(アンディ)役のアン・ハサウェイさんAnne Hathawayも、現在41歳。

 確かに(まだスマホが影も形もない頃なので)この映画の出演者たちは皆ガラケーを使っているし、画面に映し出されるいろいろなものがゼロ年代のニューヨークの風物であるのは間違いない。きっと現在とは大きく異なるだろう。何よりこの映画で華やかに描かれているジャーナリズムや出版産業が、今では大きく変貌してしまっている。それでも、この映画は私には全く古さを感じさせない。定番の場面は何度でも楽しめる一方で、観るたびに新しい気づきを得る。

 冒頭の、メリル・ストリープさんMeryl Streep演じる鬼編集長ミランダの登場シーンは、何度観ても感心する定番シーンのひとつ。なかなか本人の顔を映さず、部分的なカットとコミカルなほどに慌てふためく人々のカットを素早く積み上げて、じわじわと「タメ」と「焦らし」の効果を高めてゆき、ミランダの「大物感」を演出する。セオドア・シャピロ氏Theodore Shapiroの疾走感溢れる劇伴音楽がその効果をさらに盛り上げて素晴らしい。映画で重要人物が登場する場面の「教科書」にしたいほどの名場面だ。

 


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 一方で、中盤の編集会議のシーンで、ミランダはスタッフのプランをことごとく退けるが、スタンリー・トゥッチさんStanley Tucci演じるナイジェルのプランだけは「パーフェクト!」と称賛する。これは別にミランダがナイジェルをえこひいきしているのではなくて、他の人のプランが漠然とふわふわした言い方ばかりで曖昧なイメージしか感じないものであるのに対して、ナイジェルの提案は具体的でイメージが明確なのだと、今回初めて気づいた。プランに関わる固有名詞(撮影する服のデザイナー「ザック・ポーセン」やロケーション予定地の「ノグチ・ガーデン」など)を挙げることで、その名前が喚起するイメージをミランダをはじめ全員と共有し、彼が実行しようとしているプロジェクトの具体的なイメージが伝わるのだ。仕事の進め方のヒントにもなる場面だ。

 

 

 また、今回初めての気づきではないが、後半の、アンディがボーイフレンドのネイトから別れを告げられる場面では、ネイトはアンディの仕事そのものではなく、彼女が「自分が変わったこと」に気づいていないことに怒っているのを改めて確認した。彼は、アンディ自身が自分の進むべき道を選択しているのに、それを「仕方ない」と人のせいにしていることを批判しているのだ。実は、アンディは同じことを終盤にミランダからも言われている。そのつながりには今回初めて気づいた。アンディはミランダの鏡像になりかかっていたのだ。あの場面で既にネイトからそのことを言われていたのに、ミランダ自身からの言葉でようやく気づいたアンディ。彼女はミランダとは違う道を歩む決意をする。なるほど〜でした。

 手持ちのDVDでは、この場面でのネイトの台詞に「俺は朝から晩までワインを煮詰める仕事をしてる」と字幕が出てくる。最初に観た時は「はて? ネイトは飲食店に勤める料理人では?」と不思議に思った。それからずいぶん経って、数年前にスクリーンプレイ・シリーズ『プラダを着た悪魔 再改訂版』を読んでここの疑問が解消。同書から引用すると、この場面でのネイトの正確な台詞は以下の通り。

Andy, I make port-wine reduction all day. I'm not exactly in the Peace Corps. 

(対訳)アンディ、オレだって一日中ポートワインを煮詰めてるんだ。平和部隊にいるわけじゃない。

(154〜155ページ)

 同書の、この台詞の解説には、以下のように書かれている。

「ポートワインを煮詰めているのであって平和部隊で働いているわけではない」とは、飢えている人のために料理を作るというような崇高な目的のために働いているのではなく、ポートワインのソースを使うような、高価なグルメ料理作りを仕事にしているのだということ。だから、アンディの仕事そのものを見下しているのではないのだと説明している。

(同書155ページ)

 つまり、このポートワイン云々は高級な料理作りの比喩だったのである。字幕は後半の「平和部隊」をまるまる省略してしまったので、元のセリフの主要なニュアンスが全く出ていないのだ。もちろん字幕には字数の制限があるので逐語翻訳などできず「意訳」が主になるのは重々承知だが、ここはポートワインの部分だけを直訳するのは台詞全体の意味としては的外れになってしまう。むしろ元の台詞の言葉から離れて「崇高な仕事をしてるわけじゃない」の主旨を強調した字幕にすべきだった、ということがよく分かる。この本のおかげである。

 

 

 スクリーンプレイ・シリーズの他の映画の本は読んだことがないので分からないが、この『プラダを着た悪魔 再改訂版』は超オススメだ。上述のように映画から直接書き起こした台詞やその正確な対訳が完璧に収録されており、その全てに英語表現やイディオム、言い回しなどの詳細な解説が付随していて、映画を通じて「生きた」英語を学ぶのにとても役立つ一冊。というより「役立つ」以前にとにかく読んでいて面白いのだ。何しろこの解説がものすごく豊富。先述の英語関係の説明にとどまらず、台詞の中に山のように出てくる実在のファッションデザイナーやフォトグラファー、店名や固有名詞の説明、さらにはカメオ出演しているモデルや有名人やこの映画にまつわる小ネタや豆知識まで、多岐に渡って徹底的に扱っている。これを読めばとことん「プラダを着た悪魔」を理解できるのは間違いない。ネット検索で内容の薄いこたつ記事を何本も渡り歩いて大した知識も得られず時間を無駄にするくらいなら、この一冊を読むほうが百倍お得だ。最近の言葉でいえば、圧倒的に「タイパ」がいい(笑)。

 もっとも、効率の面だけでしか時間の価値を語れないような人間に、ロクな奴はいないけれども。

 

(写真は2024年4月14日に、東京・上野公園にて撮影)