「ビル・ヴィオラ はつゆめ」展

studio_unicorn20061022

 私の実家でタダ券(正確には六本木ヒルズのショッピング券)をいただいたので、私の両親と妻の4人で六本木ヒルズへ出かけ、森美術館で開催中の「ビル・ヴィオラ はつゆめ」展を観に行ってきた。
 ビル・ヴィオラBill Violaについては、私は「米国出身のビデオ・アーティスト」という以外に全然予備知識がなかった。まあ森美術館でピンで展覧会が開かれるくらいだから、きっと非常に有名な現代アーティストなのだろう、とは想像していたけれど(笑)。
 そんなわけで、ほとんどまっさらな状態で展覧会を観たのだが、これがとても面白かった。いやあすごいすごい。
 まず、スケールの大きなビデオ・インスタレーションに圧倒される。会場に入っていきなり、部屋の中央にモノリスのように聳え立つ巨大画面の表と裏に、燃えさかり消える人と滝のような水飛沫を浴びて消える人が映し出される"Crossing"を初めとして、巨大な映像インスタレーションがとても面白い。もう"観る"というより"体験する"映像だ、これは。
 そして、後半の比較的小さな作品群がまた素晴らしい。ルネサンス肖像画を思わせる、壁にかかった黒枠の画面に映される人物。あるいは祭壇画か屏風かというような画面に映され、あるいは動かず(超スローモーション映像なので動いて見えない)あるいは感情の限りに激しく身悶える人々の肖像。当然これらはルネサンスマニエリスム絵画の現代版だ。その美術史的な"繋がり"を感じて楽しむのも興味深い。気に入った作品が多かったぞ。
BILL VIOLA Hatsu‐Yume First Dream
 また、津波のような激しい水飛沫に翻弄される人々を映した"Raft"には、なぜか、ああ人間だなあ、人間ってこうやってさまざまな困難に翻弄され立ち向かって、時には助け合いながら種として生きてゆくのだろうなあ、としみじみ感慨にふけってしまった。数年前の大津波災害を思い起こしたのかもしれない。
 この"Raft"、鮮明な大画面の映像に、津波のように襲いかかる水の轟音が5.1チャンネルサラウンドの大音響で響きわたる。特にビデオ・アートにおいて、アートはテクノロジーと切り離すことはできない。むしろ、テクノロジーの発展がアートの可能性を広げるという側面があるんだなあと、これまたしみじみと思う。何しろ私も、コンピュータという、非常にテクノロジーの産物であるメディアを使って作品を制作しているので、なにか力づけられるような気がした。
 その一方で、東洋的な死生観も取り入れた映像世界を、時に観客の目を驚かせてはっと惹きつけ、時には美術史を遡って着想を得ながら茶目っ気を出したりと、ある種の"演出"をきちんと計算して行なっているところは、アーティストとしての主張と役割を、実によく心得ていると思わせる。
 作品数にしてたった15点、作品に向き合おうとしない人にとっては5分で終わってしまう展覧会だろう。だが、ビル・ヴィオラの提示する映像作品に対峙して、「対話」して、世界をある意味「共有」していこうとする人にとっては、実に興味深く素晴らしい展覧会であるのは間違いない。とてもいい"体験"であった。

(写真は、六本木ヒルズにて)