「写真」とは

studio_unicorn20080429

Mario Giacomelli
 晴れて湿度が低く爽やかな一日。春らしい、ちょうどいい気候の穏やかな日だ。こんな素敵な日が休日なのは嬉しい限り。
 このGWも何気にいろいろと予定があるうえに、どうもここのところ寝不足気味で調子が今ひとつなのだが、東京都写真美術館で開催中の「マリオ・ジャコメッリ展」のタダ券があるので、これは無駄にしたくない。会期が5月6日までと残り少ないので、今日ぐらいしか行く日がないと、えいやっと昼過ぎに妻と出かけ、恵比寿へ向かう。
 マリオ・ジャコメッリ氏Mario Giacomelliについては、展覧会の「知られざる鬼才」という惹句どおり、私は寡聞にしてまったく知らなかった。写真技法と表現法を駆使して、さまざまなモノクロ写真の傑作を残したイタリアの写真家なのだそうだ。タダ券がなかったら彼の作品を観に行くことはなかっただろうな〜。
 それでも、観に行ってよかった。さまざまな技法を駆使して、「撮られた」というよりは「作られた」と呼ぶに相応しい写真作品の数々。時には非常に絵画的で、まるで版画作品を眺めているような気になる作品も。思わず「これって写真なの?」と問いかける人がけっこういそうだ。しかし、写真はその言葉の由来とは裏腹に、必ずしも「事実」を写してはいない。ましてや「真実味」やら「リアリティ」やらを、「作品」としての写真に求めるのはお門違いもいいところだ。それこそ、キャパ氏の有名な崩れ落ちる兵士の写真が、本当に死ぬところを撮ったのかそれとも「ヤラセ」なのかなどという議論は、作品として観るときには本当にどうでもいいことの極致であって、あの印画紙に写しだされたこと、それから見る我々が何を受け取るか、何を感じるかが肝心なのだ。そのことが分からない人がけっこういたりするのは、とても残念なことだ。写真だって「表現」の一端なのだから。ジャコメッリ氏の作品を観ながら、そんなことなどを考えたりしていた。
 「事実」かどうかは別にしても、力のある写真作品はある種の「真実」は我々に伝えてくれる。これらのジャコメッリ氏の作品も、死や孤独、生きることの苦しみや喜び、などなどさまざまなものが伝わってくる。実に見応えのある展覧会であった。タダ券を無駄にしなくて本当に良かった。

(写真は、恵比寿ガーデンプレイスにて撮影)