・・・のごとく

studio_unicorn20090412

 上野の東京国立博物館・平成館で開催中の、たいへんに話題の「国宝 阿修羅展」を、妻と観てきた。
 最初は「奈良の興福寺国宝館に行けばいつでも(は大げさか)観られるものを、何でそんなに大騒ぎするの〜?」とバチ当たりなこと(笑)を思っていた私だったが、阿修羅像をはじめ、かの「八部衆」の像が横から後方からも(阿修羅像は真後ろからも)観ることができる機会はめったにないことに気づいた(笑)。
 ので、タダ券が手に入ったこともあって、「八部衆が揃っている4月19日までに行かねば」と、いそいそと観てきた次第だが、観て本当によかったです。展示方法や素晴らしい図録も含めて、これは非常にいい展覧会だ。
 激混みということで、多くの人が早く帰りたがる日曜日の夕方なら多少は余裕をもって観られるだろうと踏んで、根津方面から歩いて午後4時ごろ博物館に着く。と、入り口に「開館時間延長のお知らせ」が。それによると、土・日・祝日の開館時間が午後6時までから午後8時までに延長されているとのこと。なんだあ〜、6時閉館だと思って4時に来たのに、これならもう少し遅く来てもよかったな。そうと知っていれば、谷根千を寄り道散歩して、根津神社の「つつじ祭り」も見てこれたのに。まあ、入場の行列はまったく無かったからよしとするか。それに8時までなら、中でゆっくりと鑑賞の時間が取れるし。
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 というわけで、まったく待たずに会場には入れた。が、まだ4時台の段階では第1部の展示がけっこう人が多く混んでいる。しかし「これはきっとあと1時間もしないうちにすいてくるに違いない」と踏んで、第1部のちまちました展示はすっ飛ばして、いきなり第2部(というより今展覧会のメイン)の阿修羅&八部衆十大弟子の仏像を鑑賞。しっかり後半の展示まで堪能して売店で図録などを購入してから最初の展示に戻ると、果たしてすいていた。今度は最初からゆっくりと鑑賞してさらに一巡。開館時間延長のおかげで時間を気にすることもなく、心ゆくまで鑑賞できたのはまことにラッキーであった。
 阿修羅像もさることながら、私が最も楽しみにしていたのは「阿修羅を含む八部衆」像との再会であった。もう20年以上も前、高校時代の修学旅行の際に、興福寺の国宝館でこの八部衆像を初めて見たときの興奮と感動、ワクワク感が甦る。あの頃はファンタジィが大好きで、神話・伝説に目がなかった(今も大好きだな)ので、「八部衆」という名前とそのヴィジュアルだけで想像力が湧き上がりまくり、いろんな異世界モノの設定やらイマジネーションやらが思い浮かんで、ロマンを感じながらものすごく楽しかったものだ。
 懐かしい〜。といいつつ、今回はもっと細部に注目しつつ鑑賞。その物静かな佇まいに、1,200年以上の年月に積もった静謐な"美"を感じる。不思議なものだが、後半に展示されていた鎌倉時代の四天王像のほうが、奈良時代初期の八部衆像よりも、技術的にも表現的にも進歩していてポーズとかも大振りになっている(当時はそのほうが好まれ、良しとされたのだろう)のだが、現代人の多様化した「目」からすると、八部衆像のある意味「つたない」直立不動のポーズやアルカイックな表情のほうが、却ってミニマルな静謐さを醸し出して「イイ」と思ってしまうのは、私の好みのゆえだろうか。
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 興福寺八部衆像は、以下の8体。

  • 阿修羅 あしゅら
  • 緊那羅 きんなら
  • 沙羯羅 さから
  • 鳩槃荼 くばんだ
  • 五部浄 ごぶじょう(頭部と上半身の一部のみ残る)
  • 畢婆迦羅 ひばから
  • 乾闥婆 けんだつば
  • 迦楼羅 かるら

 鳥の頭を持つ迦楼羅インド神話のガルーダが起源)をはじめとして、蛇、獅子、象、一角の角など、獣のモチーフが入っている像が多い。その最たる阿修羅だって六本の腕が妙に細長く、見ようによっては昆虫のイメージにも見えてくる。いや、足を入れると8本になるから蜘蛛、か。
 その阿修羅像は八部衆の一員なのに、ひとり別室で展示されて特別扱い。衣装も阿修羅だけ鎧姿ではなく、八部衆のチームリーダー的な位置づけだろうか。インドの神話ではかなり位が高かったようだし、VIP待遇も当たり前か。今風に言うと仏教界に「ヘッドハンティング」されたようなものだし(笑)。この阿修羅の部屋は前の部屋から入るスロープがあって、そこから少し見下ろす感じになっているのだが、そのスロープから阿修羅像を取り囲むようにして観る人々を眺めるのがまた面白い。像を取り囲む人々が少しずつ渦を描くように移動しているので、尚面白い。移動しつつ、まるで拝むように鑑賞する人々。神無き世に、いにしえの神像を再びあがめるかのように見つめる現代人たち。新しき世の"偶像"は古き神、なのか。
 八部衆ほどの昂奮はないが、十大弟子鎌倉時代の四天王の像もけっこう気に入った。特に、四天王の足元に踏みしだかれている邪鬼の苦悶(それとも「恍惚」? 笑)の表情がとても可笑しい。中のひとつなんか、完全に「アッチョンブリケ」の顔になっていて、すんごく笑えた〜。
トルコの軍楽
 というわけでとても堪能した展覧会だったが、図録(カタログ)がまた素晴らしかったので購入した。写真家・金井杜道氏が撮り下ろした写真がふんだんに掲載されており(しかも八部衆十大弟子などの重要な像は写真の数が多い)、その写真のクオリティが非常に高い。図録というよりは素晴らしい写真集、という感じだ。装丁も非常に上品でとてもよく、これは永久保存版だ。これで2,500円は、ある意味とても安いよ。書店売りの市販品でこれと同じクオリティの本を作ったら、確実に4,000円近くは(あるいはもっと)するだろうから。この展覧会がすごく気に入った人は、この図録はぜひとも買うべきです。阿修羅像のフィギュアは結局買わなかったけれど(あとでちょっと後悔。笑)。
 ところで、阿修羅というと、どうしてもオスマン・トルコ軍楽隊のメロディ(「ジェッディン・デデン」という曲だそうだ)が思い浮かんでしまい、展覧会を観ている間中、「にゃーにゃーにゃ タカタッタッ」と頭の中で鳴り響きっぱなしだった(笑)。というのは、ある年齢以上の人の、分かる人にだけ分かる連想です(笑)。