書いておくべきこと

 秋田で起きた小一児童殺害事件の報道で思うこと。
 「子を持つ母親がなぜ」という意味の見出し・記事が多く見受けられる。
 数年前に佐世保で起きた、小学生女子が同級生を殺害した事件を、我々はもう忘れてしまったというのか。
 「子を持つ母親が子供を殺すはずがない」「小学生が人を殺すはずがない」……どうして、ひとつふたつのカテゴリー分けだけで、そうやって人を決めつけようとするのか。世の中には、他人の子供を殺す"子を持つ母親"や人を殺す"小学生"、それに誰も殺していない"不審者"もいるのだ。
 ひとつふたつのカテゴリーで人を決めつけて、カテゴリーに押し込めて思考停止してしまうのがそもそもの問題だ。カテゴリーで言えば、それぞれの人が何百、何千というカテゴリーを自らのうちに持っているはずだ。それなのに、いくつかのカテゴリーだけで人を分かった気になって思考停止している。考えることをやめたら人間はおしまいなのに。
 それと、そうやって自分(たち)の外側に"不審者"・"殺人者"のカテゴリーを作って、自分とは関係ありませんという"安心感"を持とうとすることの何たる愚かしさ。さも自分(たち)だけは、健全で正しいと言わんばかりだ。凶悪な犯罪を犯した人のうちの、なんと多くが「ごく普通の人だった」という証言の多いことか。
 "心の闇"は全ての人の中にある。健全な家庭を営んでいる人の中にも。私にも、あなたにも。
 その、自らの内なる"心の闇"に、逃げることなく向き合うことこそ何よりも大切なのに。