17年ぶりの分厚い驚き

 

 いやあ、正直な話、本当に出るとはもう思っていなかったので、すごくびっくりしました。

 何がって、京極夏彦著『鵼の碑』。

 氏の「百鬼夜行」シリーズの、17年ぶりの本編、長編小説。

 数日前、9月14日の木曜日。書店に入った私の目の前で、平台に山積みになっている最新刊を見て(すごく分厚いので、数冊だけでも「山」になってしまうのがスゴイところ)、驚きのあまり「うわあ本当に出たんだ……」と思わず呟いてしまった私。

 最近とみに世の中の情報に疎くなっている私は、事前情報や前知識が一切ないままいきなり現物と対面したので、ここ数年来味わったことのない「嬉しい驚き」を久しぶりに体験したのでした(笑)。

 

 

 実のところ私は、前作『邪魅の雫』を読了した時、つまり17年前に「次はもう出ないかも」という妙な予感(?)が浮かんだのだ。だから例によってカバーの袖に次巻予告として『鵼の碑』が記されている*1のを見ても、なんとなく「これを読むことはないかもしれない」という思いを抱いた記憶がある。なぜそう思ったかはっきりと言葉にすることはできない。『邪魅の雫』を読んでいく途中において、物語の質とは別の意味での違和感というか、このシリーズとしては不自然に思えるものを行間から嗅ぎ取ったから、としかいいようがない。

 そして実際に、短編集やスピンアウトが出ることはあったが、肝心のシリーズ本編たる長編作品が発表されることはないまま17年が経過したのである。その間、著者の京極夏彦さんはこのシリーズ以外では精力的に様々な作品を執筆・発表なさっている。それゆえ単にこのシリーズに行き詰まりを感じた、もしくはこのシリーズへの興味もしくは仕事上の関心が薄れたのかもしれないと思い、諦めに似た気持ちになっていたのは確かだ。『鵼の碑』は予告のみなされて語られずに終わった、「幻の作品」になるのだろうと。別に珍しいことではない。文学史・文芸史を繙けば、著名作家の「幻の作品」はゴロゴロしている。人の想うこと目指すことは、実に様々なところで、そして様々な形で、果たされずに終わることがあるのだ。

 だからそれを思うと、現にその本が書店の店頭に並んでいるのを目の当たりにして、ある種の奇跡が起こったとさえ感じたのは、決して大げさなことではない。著者のインタビューを読む限りでは、この17年間の「空白」は決してそのような「奇跡的」な経緯ではないようだが、それはあくまで著者の舞台裏であって、ひとりの受け手=読者たる私の個人としての思いは、そんなところにあったのだ。

 

ddnavi.com

 

 何はともあれ、嬉しい驚きとともに、その場で『鵼の碑』を購入。たまたまこの日(2023年9月14日)が発売日だったらしい。なんの目的もなしに書店に入ったので全くの偶然だったが、結果的に発売日に即買いできたわけで、これまた「嬉しい偶然」だった。同時刊行でハードカバーの単行本(重さ1.2kgとか)も出ていたが、これまでシリーズ全巻を講談社ノベルスの新書版で揃えていたので、迷わず新書版の方を選んだ。

 

 

 総ページ数は800超。さすがの分厚さ、さすがのボリューム感。この分厚さを見ているだけでワクワクする。巷では「鈍器」だの「煉瓦」だのといわれているようだが。全ページにおいて改行がページを跨がないように、本文の組版まで著者が手がけており、細部への徹底したこだわりぶりは健在のようだ。目次を見るだけでかなり複雑な構造の小説であることを窺わせる。実に嬉しい限りだ。さすがはグラフィックデザイナー出身の著者である。

 さっそく読み始めるとしよう。ちょうど一冊本を読了したばかりのタイミングだし。実をいうと、このあと3冊ほど読む本の順番が決まっていた。だが京極さんの「百鬼夜行」シリーズの本編最新刊とくれば、これは「割り込み」させる以外にあり得ない。

 

 

 さあて800ページ超の大作、読むのにどれくらいかかるか。前作『邪魅の雫』の時は、遅読で有名な私でもページをめくる手が止まらず、後半400ページを一日で走り抜けてしまった(2006年9月26日の日記および2006年10月15日の日記参照)。だが、それから17年経っており、私もいくらか歳をとったのは確かだ。あの頃よりは一冊の本を読了するペースが落ちているのは間違いなく、体力的にも集中力的にも多少の衰えを感じざるを得ない。特に目の力の衰えが著しい。いわゆる「視力」ではなく(そちらも生来とても弱いのは事実だが)、目を使うのに必要な力のことである。この数年、散々この日記で愚痴っている「目のゴリゴリ」のことだ。それでも、紙の本を読む分には、目の余計な力を込めすぎず疲れにくいので、まだマシなのだが。画面を(特にほどよく小さいのを)見るのがすごくダメなんです。

 それはともかく、この『鵼の碑』を買って気づいた最大の驚きは、なんといっても本の帯に「次作予定」(!)が記されていたことだ(下の写真)。

 

 

 『幽谷響の家』(やまびこのいえ)。

 ということは、京極さんは本気(マジ)なのだ。この『鵼の碑』が、ついうっかり前作のカバー袖に次作予定で載せてしまったので、この一冊だけを「ケリをつける」ために書いたワケではないってことだ。これからも本腰を入れて「百鬼夜行」シリーズを続けていくぞ、という著者の並々ならぬ決意を、この予告からひしひしと感じる。ただ、前巻までのようにカバー袖、つまり書物の本体ではなく、あくまで本の「宣伝物」=付属物である帯で予告しているというのが、後から撤回できそうなニュアンスを含んでいるように感じるけど(笑)。

 長らく愛読してきたシリーズなので、何より続いてくれるのは嬉しいものだが、さて読後にてその想いは変わらず持ち続けられるだろうか。どうであろうか。

 何はともあれまずは、初めの1ページ目をめくるのみ。

 千里の道もはじめの一歩から、だ。

 

osawa-office.co.jp

*1:翌日追記訂正:『邪魅の雫』のみ、予告掲載はカバー袖でなく本文末尾のシリーズ宣伝ページ内でした。記憶違い失礼しました。

「自然」と「文明」とのせめぎ合い

 

 妙にしつこくて申し訳ないが、映画『イニシェリン島の精霊』"The Banshees of Inisherin"について、あと少しだけ書いておこうと思う。

 なお、この作品に関して、先行して9月5日の日記9月6日の日記を書きました。ここからご覧になった方は、上記2つの日記を先にお読みいただけると幸いです。また9月6日の日記とこの日記には、映画の結末に触れている箇所があります。未見の方はご注意ください。

 

 

 この映画での主人公二人、パードリックとコルムの対立には、人間社会の中での「文明と自然のせめぎ合い」のようなものも投影されていると思う。人類という、元は大自然の中より出でてきた生き物の一種なのに、これだけの文明社会を築き上げてしまった存在。だから、全ての人間の人生には、その拠ってきたるところである「自然」と、既にその所属であること久しい「文明」(もしくは「文化」)の間のせめぎ合いが常に作用している。今さら私が説明するまでもなく、多くの人が話題にしていることではあるが。例えば生物学者福岡伸一さんは、「ロゴス」と「ピュシス」という言葉を用いてそのことに言及なさっている。

 『イニシェリン島の精霊』で語られている寓話性が高い物語の中に、そのせめぎ合いが織り込まれているように思う。最果ての孤島の大自然の中で描かれる、それまで親友であった二人の「ちっぽけ」な対立の物語。その背後には、自然と文明の間での果てしない押し返しが、通奏低音のように響き続けているのだ。

 コリン・ファレル氏が演じる主人公パードリックは、この島の大部分の住民と同じく貧しい農民だ。農民は自然と向き合って暮らし、働き、収穫を得ている。人間の中では最も自然に近く暮らす人々、より自然に近い存在だ。人によっては「原初的」な人間と言い換えるだろう(正直、私自身はこの文脈で使うのを躊躇する言葉だが)。中世ヨーロッパの農民は、いや場所によっては近世(それどころか現代)でも、人間と家畜が同じ家の中で寝起きするのは当たり前だった。パードリックが可愛がるミニロバのジェニーは家畜というよりは愛玩動物的な存在だが、彼はジェニーや家畜を当たり前のように家の中に入れては、一緒に暮らす妹のシボーンに嫌がられている。彼のこの家畜を家の中に入れる行為は、彼の「自然」との距離の近さを直接的に表している。

 一方でブレンダン・グリーソン氏演ずるコルムは音楽家であり、この島の中では数少ない「文化=文明」の代表として描かれている。彼が孤島の雄大な風景の中でフィドルを弾く姿は、大自然に押し包まれながらも人間文明を守る小さなともしびを灯す姿であるかのように映る。コルムの家の中は壁に絵画が飾られ、世界各地から集められた仮面があちこちにぶら下がっており、家主の幅広い文化的関心を物語る。ともすれば家畜で犇くパードリックの家とは対照的だ。そしてもちろん、コルムの職業であり主たる関心=音楽。演じるグリーソン氏は実際にフィドルの名手だそうで、その手腕は映画の中で遺憾無く発揮されている。彼の服装も他の島人よりはやや「文明的」だ。「進歩的」と呼ぶ人もいるかもしれない(これまた私自身は使いたくない言葉であるのだが)。

 大地に這いつくばって生きるのに精一杯で食べる手段が全ての「農民=自然=原初」と、より文化的である種クリエイティヴな「文化民=文化・文明=進歩」との対比、そのせめぎ合いと断絶。もともとその立場の違いを超えて気のおけない親友だった二人が、ある時にその違いが明らかになって先鋭化する。その過程が、この物語の中に込められているように思われるのだ。

 実はこの島にはコルムの他にもう一人、彼よりさらに「文化的」な人物がいる。ケリー・コンドン氏Kerry Condonが演じる、パードリックの妹シボーンだ。彼女の知性と教養の高さは、彼女が本を読んでいる場面がとても多いことからも直感的に窺われる。それと、兄が家の中にロバや家畜を入れることをひどく嫌うことも、彼女が「文明」の側に属していることを指し示している。それでも兄思いのシボーンは島にとどまって兄と暮らしている。だがもちろん彼女の「文明」性は本人が最もよく認識していて、本心はアイルランド本土に渡ってより「文化的な」仕事をしたいと熱望しており、実際に映画の終盤で島を出ることになる。この、物語の中で最も「先進的」な存在が女性として設定されているのは、もちろん偶然ではあるまい。ここにも映画の作者たるマーティン・マクドナー氏のある「意図」が込められているような気がする。

 「原初的」な農民ばかりで閉鎖的な孤島の中で、シボーンとコルムだけが「文化」を理解している。コルムにもそれが分かっており、彼女の言葉には冷静に耳を傾ける態度を見せる。「自然」と「文明」の橋渡し。彼女の存在がコルムとパードリックの間の「かすがい」の役を果たしているわけだが、彼女が島を去ることで二人の関係は破滅的事態に向かうことになる。

 

 

 全く話が変わるが、この映画は「ブラック・コメディ」という種類の映画だそうだ。寡聞にして初めて聞く言葉だ。どうも頭の固い私は、この物語に「コメディ」という言葉を当てはめることに躊躇を感じてしまう。といって主人公二人がカタストロフィの末に死ぬわけでもないので(むしろ一歩引いてみれば、物語そのものがいい大人同士の他愛もない喧嘩に過ぎない)、悲劇とも違うのかな。まあジャンル分け自体がそもそも無意味なことだと思っている私なので、どうでもいいといえばどうでもいいけれども。9月6日の日記で記したように、抽象的寓意を物語全体に滲むイヤ〜な雰囲気とともに描き出すことを目指した作品だということを踏まえておけば、ジャンル分けなどどうでもよろしい、と私は思う。

 それにしても、散々二度と観ないとかいっておきながら、映画の舞台や背景に論考まで収録した秀逸なパンフレットまで買って、これだけああだこうだと論考したのだから、ある意味「元は取った」というべきか。

 というか、益田ミリさんが「好きじゃない映画でも、好きなところがひとつもない映画はない」(朝日新聞2023年6月3日朝刊コラム「オトナになった女子たちへ」より)と仰っているのが、本当にその通りだと深く共感する。まさに至言。

 

(これ以外の写真は、2014年7月にアイルランド西部沖合のイニシュモア島にて撮影)

(前回日記の翌日くらいに大部分を書いたのですが、例によって目のゴリゴリに悩まされてしまい……。ネット上に上げるのが遅くなってしまいました)

 

「寓話を物語る」ということ

 

 昨日の日記に続き、マーティン・マクドナー氏の脚本・監督による映画『イニシェリン島の精霊』"The Banshees of Inisherin"について書く。本日の文章は結末などのネタバレに触れておりますので、映画を未見の方はご注意ください。

 

 

 様々な捉え方が可能な作品だと思うが、私はある種の「寓話」である、と思った。単に寓意性の高い物語というだけでなく、寓話=ある抽象的な意味や教訓を寓意で表現するのを最大の目的として創作された物語。よく物語の中で、止むを得ず悪いことに手を染めようとする人物の内面の葛藤として、その人の良心を表す天使と悪い心を表す悪魔とが争う場面が出てくるが、あれが抽象概念の擬人化という寓意表現の分かりやすい一例だと思う。この映画はそのような単純な寓意の表象ではないが、物語中の登場人物や事件などすべての事象は、ある抽象的(教訓的?)寓意を物語の形で提示するために作られているように思われるのだ。登場人物はそれぞれある種の人間の典型をベースに創造されているし、物語はどう転んでも作家が意図する方向(ここでは主人公二人の仲違いがエスカレートしてゆくこと)へ向かってゆくように展開する。そのためには、現実世界での人間や出来事だったらあり得ないようなことも起き得る(例えば、草食動物であるはずのロバが人間の指を食べたり、とか)。それを「現実と違うじゃん」と問い詰めるのは、もちろん間違っている。これは寓話なのだから。

 映画の時代を今から100年ほど前の1923年にしたのも、物語が寓話として機能する上で絶妙な設定だと思う。ひとつは、この時代はアイルランド内戦の真っ最中で、まさにこの物語の寓意を向ける先である「戦争」が目の前で起こっている状況だったこと。もうひとつは、100年ほど遡れば現在とほどよい距離が生まれて、物語がある種の「説話」的要素を強めるので、寓話として描きやすくなることだ。あまりに現在に近い時代設定だと、配慮すべき要素が過多になりリアリティのハードルが上がりすぎて、物語が寓話として機能しにくくなる恐れがある。

 ただ、マクドナー氏は主要な登場人物を、単なる寓話的典型を超えてとびっきり人間味ある存在として描き出している。それはインタビューの中でマクドナー氏ご本人も言及しているように、主人公二人をそれぞれコリン・ファレル氏とブレンダン・グリーソン氏に当て書きしていることが大きい。さらに映画の中でその二人の名優が実際に演ずることによって、さらに人間臭い存在へと息を吹き込まれているのだ。だから私たちがスクリーンに目撃する彼ら登場人物たちは、本当に存在してもおかしくないリアルな人物として私たちの眼に映ることになり、その「リアルさ」が逆に寓話としての説話めいたストーリーとのギャップを広げる。そしてそれ故に観客たる私たちは、物語のゆくえにおののくことになる。

 実際、この「人間的肉付け」のリアルさといったらない。まさにマクドナー氏の手腕というべきなのだろう。グリーソン氏演ずる音楽家のコルムが、ファレル氏演じる長年の親友パードリックに絶縁を宣言するその理由が「これからは作曲と思索に人生を使いたいので、お前のつまらない無駄話に時間を取られたくない」というもの。これって、私などにはすごく身につまされる思いがする。自分もだらだらと人生の大切な時間の無駄遣いをしていないだろうか?と。もちろん、自分の時間の使い方がまるで上手くないのは重々承知ではあるが、それはともかく残された時間の長さを数えるような年齢になればなるほど、この命題はより一層に切実に響くのではないか。それに対して、パードリックの気のおけない人々と過ごす時間を大事にしたい心情や、己が本当につまらない人間なのかと徐々に不安に陥るさまも、すごく心に染みてよく分かる心地だ。

 マクドナー氏は、コロナ禍を契機として「世界中の人々が感じていること」で、「観客がコルムとパードリックのどちらに共感するのかには、とても興味が」あるという。私から見ると、全ての人の中に(程度の差はそれぞれあれど)二つの心情が共存しているように思われる。

 

 

 で、この物語が描こうとする「寓意」とは何か。それは島の対岸の「本土」で起きているアイルランド内戦とこの物語が照応していることからも明らかなように、「いかに人と人は分かり合えないか」だ。「人は他者を本当に理解しているのか」と言い換えてもいい。どんなに深い友情の二人であっても、互いの全てを知るわけではないし、お互いの心の裡を全て理解しあっているわけでもない。実際には、些細なところで互いにすれ違ったり、ふとしたことで相手の心に「跡」を刻みつけることも多い。その些細なすれ違いや押し殺した互いへの不信・不満が長い年月の中で積み上がり、積み上がった果てにそれが露呈した時には、もう戻れないところまで来てしまっている。修復しようという努力が無駄なあがきになって、事態をさらに悪化させる。それは「戦争」という不条理を寓意的に表象してもいる。二人の不毛な争いは、「戦争はこうやって起きる」ことのメタファーなのだ。

 そしてさらに重要なのは、マクドナー氏が提示した結末が「それでもなお、人と人は繋がり合える」と説いていることだ。完全に理解し合えなくても、対話によってお互いを繋ぎ続けようと努めることができる、その努めるさまを互いに認め合うこともできる、と。なぜなら「それでも人生は続く」のだから。二人はこれからも、同じ世界の中で顔をつきあわせて生きてゆくのだから。

 だからパードリックに口を聞かないと誓うコルムは、彼への深い友情そのものは抱き続けていて、苦境に立ったパードリックを助けることになる。そしてパードリックが可愛がっていたミニロバのジェニーが自分のせいで死んでしまった際には、彼に深い喪失の悲しみを味わわせてしまったことを深く後悔する。そのためパードリックがコルムの家に火をつけた時は、コルムは彼への償いのために家の中に留まるのだ。もちろん、そのまま焼け死んではパードリックをさらに深い悲嘆に落とすことになるので、家が焼け落ちる前にコルムは脱出するのだが。

 そしてラストの場面、二人の海辺での横並びで互いを見ない対話の場面では、愛犬を預かってくれたことに礼を言うコルムに、パードリックは"Anytime."(いつでもどうぞ)と返す。これは彼の「いつまでもお前の友達でいるぞ」宣言であり、友情の「再確認」である。そしてこれが映画の最後の台詞になる。口をきかなくても争いに発展しても、以前と全く同じ形でなくても、それでもなお消すことができない友情があること。これがこの映画のラストにマクドナー氏が託した「希望」である。まさかここで「この結末で、これまでのアレコレは一体何だったのか?」とか問うトンチンカンはいないよね? この物語の道筋があったからこそ、友情のある部分が損なわれずに残ったことが活きるのだから。

 

 

 互いの最も大切なものを犠牲にしてまで争った二人が、かけがえのないものを失って初めて「我に帰る」。喪失を受け入れた上での、より深い相互理解と歩み寄り。そして残った友情のかけらという「希望」。これこそが、この物語のメタファーが向けられている「戦争」をも終わらせることができるかもしれない、とマクドナー氏は説いているように思うのだ。

 ラストの場面において二人の背後で炎上するコルムの家は、これまでの二人のすれ違いや諍いのゴタゴタを浄化する「みそぎの炎」のようにも見え、浜辺に並んで佇む二人の表情は憑き物(ある種の「精霊」のようなものか)が落ちて呆然と、あるいはせいせいした表情になっていた気がする。そして二人は、昨日までとは少し違う形ではあるが、日常に立ち返って「人生」を続けてゆくのだろう。

 

www.20thcenturystudios.jp

 

(写真は全て、2014年7月にアイルランド西部およびイニシュモア島にて撮影)

 

最果ての島の物語

 

 2か月以上前のことだが、我が家からほど近いお馴染みの下高井戸シネマにて、映画『イニシェリン島の精霊』"The Banshees of Inisherin"を観た。脚本・監督はマーティン・マクドナー氏Martin McDonagh。

 

 

 アイルランドの、とりわけアラン諸島を連想させる風景と、アイリッシュ・トラッド音楽がふんだんに出てくる映画なのでものすごく興味をそそられていたが、肝心の物語の内容がもしかしたら自分の好きではないタイプの話かも……というイヤな予感があって二の足を踏んでいたが、機会があったので観てみた。

 が……。

 予感が的中、というべきか。観ている最中はとてもイヤ〜な気持ちにさせられる映画であった(それが製作者の狙いか)。どうやってもカタストロフィに向かっていくようにしか見えない物語の行方は精神的に甚だ宜しくないし(一緒に観た妻は「ホラーものみたいな感じだった」と言っていた)、人間のイヤな面をこれでもかと見せられて正直気持ちのいい作品ではなかったな〜。コリン・ファレル氏Colin Farrellとブレンダン・グリーソン氏Brendan Gleesonという二枚看板を始めとする、アイルランド出身のトップレヴェルの出演者たちの演技力がとんでもなく高いだけに、それが余計に増幅されて(汗)。二度は見たくないおぞましい場面に、哀れを誘われて胸が締め付けられる場面も。ラストがまだ救いがあったので私の最大重視ポイント=後味がまあまあ悪くなかったが、もう一度観たいかどうかは正直、微妙だ。

 物語を彩る映像は素晴らしく、それだけでも観る価値があるのは確かだ。全編にわたって、アイルランドの最果ての孤島に広がる素晴らしい風景が満ち満ちている。水平線に沈む夕陽。荒涼たる浜辺にポツンと佇む一軒家。心動かされる風景の数々。そして、パブでのセッションをはじめ随所に挟まれるアイリッシュ・トラッド音楽。それらは本当に素晴らしい。

 そして、ファレル氏演じる主人公パードリックがかわいがるペットのミニロバ・ジェニーがとてもかわいい。登場するたびに、その愛らしい動きに思わず目尻が下がる(それだからもう、もうアレはヒドすぎる……涙)。アイルランドでは、ロバはその昔から庶民の間でとてもポピュラーな家畜だったそうで、今でも家畜や愛玩動物として人々に親しまれているという。現に私たちがアイルランドを旅した時にも、地方の田園地帯では小さなロバ=ミニロバが牛や羊などとともに放し飼いされているのをよく見かけた(最後の写真)。

 物語の舞台になるイニシュリン島は架空の島だが、その名前から容易に連想されるイニシュモア島Inishmoreに代表される、アイルランド西部沖合のアラン諸島が念頭に置かれているようだ。実際に映画の主たるロケ地のひとつがイニシュモア島であり、この島の代表的な古代遺跡「ドゥン・エンガス」Dun Aengus(Dún Aonghasa、下の写真)も映画のある場面で背景として登場している。

 

 

 私たち夫婦が一度だけアイルランドを旅行したのは2014年のこと(もう9年前か〜。つい数年前だと思い込んでいたのに)。その時は首都ダブリンに数日滞在してから西部に行き、アイリッシュ・トラッド音楽を夜な夜な演奏するパブが点在することで有名な村ドゥーランDoolinに3泊した。この村から景勝地モハーの断崖The Cliffs of Moherへトレッキングに参加したり、港からフェリーに乗って当のイニシュモア島へも日帰りで訪れた。まさに、この映画の風景の只中を訪れたわけだ。これを観たことで、映画そのものは二度は観ないかもしれないが、もう一度実際のアイルランドへ、特にこの映画の舞台になった西部地方やアラン諸島へ旅行したくなったのはいうまでもない。旅への憧憬。

 そして、帰宅してから数日間、家にあるアイリッシュ・トラッド音楽や、エンヤなどアイルランド人アーティストのCDを片っ端から聴き返したのも当然の行為だ。もちろん黒ビールを飲みたくなったし。

 そして更に、二度と観ないかもといっておきながら、この映画について深掘りしたくなってパンフレットまで購入してしまった。しかも観た翌日に、わざわざもう一度映画館に行って。それほどまでに、気になるところの多い作品でもあり、いろいろと論じたくなる作品であるのは間違いない。

 というわけでもう少し書きたいのだが、どうしても結末などのネタバレを含んでしまうので、続きは稿を改めてということで。次回の日記にて書くことにいたします。

 

www.20thcenturystudios.jp

 

(写真は全て、2014年7月にアイルランド西部およびイニシュモア島にて撮影。ミニロバかわいいな〜)

 

みょうがLOVE

 

 みょうが。ミョウガ。茗荷。

 今年の夏の私は、みょうが愛が止まらない。

 数年前にも突然生姜が大好きになって、それ以来生姜を使った料理が我が家の食卓に毎日のように登場するようになったことがある。私のその生姜愛は数年間全く途切れることなく続き、現在に至っている。

 だが、今年の私はそれに加えて、突然(本当に突然、としか言いようがないのだが)みょうがの美味しさに目覚めてしまった。

 ことの起こりは5月18日(私の誕生日の翌日だ)の夕食時に、食卓に登場した主菜おかず「牛肉の香味おろしのせ」(冒頭の写真)。料理家ワタナベマキさんの、我が家ではとても頻繁に引用される著書『つまみサラダ100』に掲載のレシピだ。

 

 

 我が家では牛肉はあまり食卓に上がらない。総じて値段が高いし、特に国産和牛の肉はさらに高額な上に脂が多くてお腹にくるので。だがこの日はよく行くスーパーで、豪州産牛のカルビ肉がとても安かった。オージービーフなら赤身メインでカルビ肉でも比較的脂少なめなので、アカミニストの私でも大歓迎だ。

 ということで久々に牛カルビ肉を買って何を作ろう、と妻が目をつけたのがこの料理。予め肉に塩胡椒でしっかり下味をつけてフライパンで焼き目をつけ、上から大根おろしに刻みみょうがと紫蘇を混ぜて醤油とレモン汁で味を付けたものをどっさりのせて食べる。実に夏向きの一品だ。

 この刻みみょうががとても美味しくて、私の心身に染み入ったのですよ〜。口の中でほんのりと広がる、独特の香りとえぐみ。軽いシャキシャキ食感。それがすごく美味しくて。大根おろしと紫蘇とみょうが、という夏に相応しい組み合わせもよかったのかもしれない。さらにレモン汁で、さっぱりと後味もよろしい。

 小さい頃から夏の食卓にはみょうがが、多くは薬味として刻みで頻繁に出てきた記憶がある。積極的に嫌いだったわけではないが、好んで食べた記憶もない。まあ子どもの味覚では、みょうがはあまり好まないだろうなあ。それが50代後半になった今頃になって突如「大好き」な香味野菜として、日々スーパーの広告で値段をチェックするほどの大きな存在(大げさか)になるのだから、人生何が起こるか分からない。

 

 

 これ以来、今年の夏はしょっちゅうこの「香味おろしのせ」を美味しく食べている。もう10回以上食卓に出てきただろうか。のっかるものは牛肉に限らず様々で、豚肉だったり(上の写真)厚揚げだったり(末尾の写真)。結局どれにのせても美味しいのだ。だが香味おろし自体には、常にみょうがと紫蘇は必須。みょうががなければ成り立たないのだ。刻みみょうがと紫蘇だけを冷奴にのせたこともあったが、これまたみょうがの風味をダイレクトに味わえて美味しかった。

 数年前からずっと生姜好きだと先述したが、生姜は季節問わずいつでも安く買えてオールマイティに美味しく食べている。それに対して、みょうがは同じ香味野菜でも収穫時期が初夏から初秋ごろまでと限られているので、やはり「夏が旬」のイメージだ。今年の夏も、まだまだ暑い盛りの8月。もうしばらくはみょうがの味覚を楽しむことができそうだ。

 

 

「脱クルマ社会」への取り組み

 

 私たちが暮らす東京都世田谷区の保坂展人区長が、任期を新たにするごとに区内の各所を巡回して、区民と直接対話する「車座集会」。

 長らく世田谷区に住む人にはお馴染みの車座集会だが、今年4月に行われた区長選で保坂氏が4選を果たした。それに従い、区内全28地区に設置された「まちづくりセンター」を区長たちが数か月かけて巡回し、この車座集会を順次開催している最中だ。

 私自身も、区長自ら区民と直接対話の場を持ち、しかも「車座」というからには上下の差なく対等に意見を交わす集会だろうから、以前から興味があって一度は参加してみたいとは思っていた。だが機会が合わなかったり雑事にまぎれて機を逸したりしてしまい、なかなか果たせないでいた。

 だが、今回の車座集会はこちらも相当意識していたのもあって機会を逃すことはなく、半月ほど前の7月16日に私たちの地元である「新代田まちづくりセンター」で開かれた車座集会に、私の妻とともに参加することができた。

 大変残念なことに、保坂区長はその数日前に新型コロナウイルスに感染してしまったそうで、会場にはおいでにならずオンラインでの参加であった。もう他の人に感染すリスクは消滅しているそうだが、万が一を懸念して念のために、ということらしい。ということで区長ご本人は不在ながら、会場前方の大きなスクリーンに区長のお顔が映し出され、区長の側からも会場の様子がこちらからと同様に見ることができるそうなので、なんというか「不在感」のようなものは全く感じない。私は恥ずかしながらオンライン会議の類にはほとんど参加したことがなく、今回がほぼ初めての体験なのだが、けっこう同席しているような雰囲気になるものだなあと変なところで感心していた。

 せっかくの滅多にない機会なので、ずっと長いことモヤモヤと考えていたことを区長に直接話したかったのだが、参加者の発言時間がひとり3分以内と短く、話し下手な私にはとても要領よく時間内にまとめて話をするなんてできない。なので車座集会の時間中は別のことでは短く発言したが、この懸案のことについては特に触れなかった。参加者の皆さんがなかなかに身近かつ切実な事案のことを話されるので、私の考えていたやや「大きなこと」が迂遠なことのように思われていささか気が引けてしまった、というのもある。

 そして終了後に会場で参加者に配られた後日提出用の「意見・質問票」に、改めてこのことについて書いて(正確にはワードで書いて出力した紙を添付して)、提出したのだった。

 「『脱クルマ社会』への取り組み」と題した文章である。区長や区役所の方々に読んでもらえればこの文章の役目は果たしたことになるのだろうが、より多くの人にご覧いただくのも良いかと思い、ここに再掲します。文末の日付・署名を省いた以外は、区役所に提出した文章そのままである。よって誤記・誤認識の類が多かろうと思われるが、ご寛恕及びご指摘いただければ幸いである。

 

 

 自動車の排出する二酸化炭素など温室効果ガスが地球温暖化の大きな要因である以上、これからの持続可能な社会を作り出すには「脱クルマ社会」への取り組みは必須です。自動車業界の方々は飛行機だけを悪者にしようと躍起になっているようですが、国土交通省のデータなど国が開示している資料でも明らかなように、利用者あたりの二酸化炭素排出量は自動車が飛行機を大きく上回っており、その中の多数を自家用乗用車が占めています。昨今もてはやされているEVにしても結局は化石燃料を消費するわけで、自動車が地球環温暖化を押し上げている主要因の一つであることに変わりはありません。

 このように地球上の自動車の絶対数を減らす取り組みが喫緊の課題なのですが、辺境地域など人口が非常に少なく公共交通を整備できず、自動車が人々の生活に欠かせないエリアが存在するのもまた確かです。さらに都市部でも、介護分野の送迎車両や流通・輸送配達関連など、住民の幅広い利便のために自動車輸送の必要性が年々増大しています。となりますと、これからの社会に欠かせないこれらの需要を優先させるために、公共交通やインフラが発達した都市部での自家用乗用車削減の取り組みが一層重要になります。まさに世田谷区はそうした地域の典型です。区民一人一人が「自分ごと」として自家用車をできるだけ持たない、「脱クルマ社会」への取り組みをおこなう必要があります。自家用車を所有することは都市住民にとっては最早ステータスではなく、むしろそれが都市の生活において本当に必要なものかどうかを問うべきなのです。区内の公共交通網を整備してこれまで以上に充実させ、さらにカーシェアリングなどによって自家用自動車の総数と走行数を下げて、少しでも長く持続できる地球環境を保つための施策が欠かせません。

 ほぼ待ったなしの状況になりつつある、この「脱クルマ社会」への取り組みの姿勢や、具体的な道筋についてお伺いできれば幸いです。

 

 「脱クルマ社会」への取り組みに併せて、道路整備事業の柔軟な運用も肝要になってまいります。60年前に策定された都市計画は、その当時の社会的・政治的情勢を反映したものであり、現在の状況にそのまま当てはまるものではないことは明らかです。具体的に申せば上記の「脱クルマ社会」への取り組みを反映した形に変えてゆく必要があると思われます。

 例を挙げると、私たちの地元である下北沢周辺の再開発に絡んで何かと話題に上がる補助54号線です。60年前の計画時から大きく変貌した、現在の下北沢という街が置かれている唯一性を鑑みると、平常時の公共交通や災害時の緊急車両のための新しい道路としては片側1車線ずつで十分です。下北沢の街中に自動車を溢れさせることも、道幅の広い道路を作ってその両側に高層ビルを建てることも、私たち地元住民がこの街に求めていることではありません。一部の利害関係者やその後援者たちは異なる考えをお持ちかもしれませんが。

 補助54号線の道幅計画を拝見する限りでは、車道は片側1車線のみに抑えて、十分な広さを備えた歩道が確保されているようです。計画図からは詳細に読み取れませんでしたが、実際の現場図面にはさらに自転車専用レーンと植栽スペースが確保されていることでしょう。自動車のための道ではなく、これまでの下北沢の再開発の計画が実践してきたように、環境と人間に優しい道を作る方向性はこのように進めてゆくべきです。道を作りながら「脱クルマ社会」を推進する方向に持ってゆくのです。それくらいのことをせねば、もう地球はこれ以上持たないという危機感をもって臨むことが肝要です。

 補助54号線の現在に至る経緯の詳細と今後の見通し、そして道路計画においての「脱クルマ社会」へ向けた取り組みもお伺いできれば幸いです。

 

 車座集会を開いて直接区民との対話の場を持ち続けようとする保坂区長の姿勢は、とても大切なことだと存じます。区役所のスタッフの方々の、集会の実施に向けての多大なるご尽力にも深く御礼申し上げます。様々な区民の声が区長や区役所の方々の元に届きますように願っております。

 

 

 これだけ地球レベルでの環境意識が高まっている現在ではこのような話はかなり「今更」な気もするが、私が都市における自動車の弊害を懸念し始めた20年以上くらい前では、まだそれほど社会の中に浸透していなかったようにも感じたし、今でもその頃と大して意識が変わっていない人々も多数存在するように思われる。そうした想いもあったので、改めて文章に記してみた次第だ。回答を要請したので、どのようなお応えが返ってくるのか楽しみにしている。

 残念ながら私はこの方面のどの分野の専門家でもないし、かなり感覚的に書いているので議論の余地は多々あるのは私自身重々承知している。建設的な議論はむしろ歓迎したい。

 私の過去の日記をご覧になったことのある方はご存知のように、私自身は自動車が嫌いだ。だがそれ以上に、東京という大都市の中で生まれ育ち、日々の暮らしの中で肌で感じてきた実感の方が大きい気がする。20年以上も前の世紀の変わり目の頃に、東京の夏の気温が年々上昇してゆくのをみて、この「ヒートアイランド現象」が将来取り返しのつかないことになる前に対策が必要になるなあ、と漠然と思い始めたのが最初だったように思う。

 東京の夏の温度を押し上げている3つの大きな要因として、エアコンの室外機が発する大量の熱、自動車が発する熱と排出する排気ガス、そして東京湾の空気の流れを塞ぐ湾岸のタワーマンション群が挙げられていた。だが現実問題として、これだけ東京の夏が異常なほどに(20年前でさえ!)上がってしまうとエアコンなしでは人々は生きてゆけない。また建てられてしまったタワーマンションを今すぐ引き倒すこともできない。

 となると、(他の2つも長期的に対処してゆくことは重要だが)まず我々が手っ取り早く手をつけることができるのは、自動車の発する熱と排気ガスを減らすこと=東京にある自動車の数を減らすこと、それだけだ。例えば当時ヨーロッパのいくつかの都市で導入されていた自動車の総量規制。あるいは自家用車への課税を強化して集めた税金を、公共交通網の充実とサービス拡充に投入するなど。そういった施策を行使して東京のクルマの数をを減らしてゆくことしか、この街の「ヒートアイランド化」を少しでも遅らせることはできないのではないか。

 あの頃は漠然とそう思っていたし、より事態が地球規模で深刻化した今は、変わらないどころかむしろ同じ思いを強くするばかりである。その割には、飛行機ばかり責める声が大きく、データを見れば分かる通りに本当に重大なはずの自動車への追求はあまり聞こえてこないのが実に不思議だ。いわゆる「大人の事情」なのでしょうか? だとしたら、そんな手前勝手な「大人」とやらは、地球にとっては害にしかならないので、要りませんけどね(笑)。

 多くの人々にとって飛行機よりはるかに身近にある分、自動車を問題視する方が私たち一人一人の「自分ごと」として捉えやすいはずなのだが。

 

 

 参考までに、関連するサイトのリンクをいくつか貼っておきます。ご興味のある方はリンク先をご覧くださいませ。

 

www.mlit.go.jp

 

www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp

 

kuruma-toinaosu.org

・上の記事は、1995年から活動する市民団体「クルマ社会を問い直す会」によるものです。

(写真は全て2023年7月〜8月に、下北沢の各所にて撮影)

 

 

 

夏野菜の味噌汁

 

 ふと気づけば、今年も暑い盛りの季節。

 今年の夏も例年に増して猛暑極まりない日々が続くが、洗濯物の乾きが非常に早いのと、店頭で野菜の値段がとても安く、かつ質が良いことはありがたいと思う。

 数日前の夕食の食卓に、夏野菜の味噌汁が登場した(上の写真)。

 味噌汁の具はミニトマトに茄子、ズッキーニ。

 今やどんな野菜もいつでも手に入ってしまうご時世ではあるが、それでもこの3つは夏こそ本領、という趣きの野菜ばかりである。

 さらに、食べる直前には、刻んだみょうがを散らす。

 これまた「夏こそ」な香味野菜だ。

 ひと月前くらいに突然みょうがに「目覚め」て大好きになった私。おかげで今年の夏の食卓はすっかりみょうが三昧なのだが、それはまた別の日記で書くことにしよう(追記:8月9日の日記に書きました)。

 

 

 ちなみに、この日の夕食の主菜はゴーヤチャンプルー(下の写真)。

 これまた「夏が主役」の野菜がメインのおかずである。

 

 

 夕涼みの風が吹き抜ける食卓の上に、こうして夏ならではの味覚が広がってゆく。

 夏ならではの味覚を目で鼻で舌で味わって、心ゆくまで愉しむ。

 移ろいゆく季節を、生活の隅々でじかに感じながら暮らす、その悦び。