夏の青空

 

 深く、碧い空をバックに、静かに伸びる鱗雲。

 上の写真は、この日の午後遅く、というより夕方近くに、近所を散歩中に撮った空の写真。

 下北沢と世田谷代田の中間辺りにある「シモキタ雨庭広場」で撮影した、印象深い空模様である。

 なんだかとても印象的だったので、この日記に挙げてみた。

 細かい鱗雲が空に描く模様や形が刻々と変わるさまが面白く、見ていて飽きない。

 東京とその周辺では、梅雨の時季は終わったようだ。

 今日は最高気温こそ35度を超えて今年初の「猛暑日」だったそうだが、強い風が終日吹いていたおかげで湿度がそれほど高くなく、日陰や風通しの良い場所ではかなり過ごしやすい。上の写真を撮影した夕方近くなどは、むしろ爽やかな空気に心地よさを感じたくらいだ。

 

 

 こちらの写真は、上の写真の少し前に下北沢と東北沢の間にある「reload」にて撮影。

 ちょっと日本離れした、旅先でのスナップショットのような雰囲気。

 最近の私たちの日常には、こういう光景が当たり前のように紛れ込んでくる。

 きらめきに満ちた季節の始まりだ。

梅しごと19年目


 6月といえば「梅しごと」の季節。

 今年も、私たち夫婦の毎年恒例・梅酒作りの時季だ。

 この日記で調べてみたら、我が家で初めて梅酒を漬けたのは2005年だった(2005年6月20日の日記参照)。なので、今年で19年目になる。一昨年の、実家を改築した新居への引っ越し(2021年12月30日の日記参照)を挟んでも途切れず(暮らす環境が変わると継続していたことが切れてしまうことはよくある)、よく続いたものだ。継続は力なり。

 

 

 梅酒を漬けるのに適した青梅が安く出回る時期は、それほど長くない。毎年6月の第1週にはスーパーの店頭で青梅の価格と状態を頻繁にチェックし、両者ともに最適な時を逃さぬように買うようにしている。今年は早くから気温が上がり降水量も多かったそうで、梅の実が膨らむのが通常より早く、収穫量も例年以上だとか。一昨年の引っ越し以来私たち夫婦がチェックするスーパーは自宅から近い下北沢の「オオゼキ」なのだが、確かに早くも5月末からかなり安い値段の梅を見かけ始めていた。

 そんなわけで、今年の第1回の梅酒作りは6月2日に早々に完了。我が家で作る梅酒は、毎年ガラスの保存容器2個分(4リットルと5リットル1個ずつ)で、それを数日の間隔をあけてひとつずつおこなう。なので第2回をいつにするか思案していたが、この前日の6月5日に、2Lサイズのふっくらと丸く青々とした梅の実が、1キロで本体価格299円という、ここ数年見たことのない安い値段で店頭に並んでいるのを発見。機を逃さずこれを購入。

 買った梅の実を一晩水に浸けて(冒頭の写真)、翌日にヘタを取ってからひと粒ずつ布巾で拭いて水気をしっかり除去。そしてガラスの保存容器に氷砂糖600グラムとホワイトリカー1升とともに投入して(2枚目の写真)、梅酒作りの作業が完了。今年の「梅しごと」も、無事に済ませることができました。

 梅酒の容器は、キッチンのパントリーに収納(下の写真)。じっくり漬けこんで、来年の夏の飲み頃を待ちます。

 

 一番右のがこの日漬けたばかりのもの。その左は6月2日に漬けた、今年の第1回の梅酒。早くも色が変わり始めている。そしてさらにその左の二つが、昨年の同時期に漬けた梅酒。実にいい具合に色づいている。もうすぐ、頬に触れる風の中に「夏」の気配をしっかり感じるようになったら、開栓して飲み始めることでしょう。

 ちなみに、この6月6日は「梅の日」だとか。その由来の故事は、16世紀・室町時代にまで遡るという。知らなかった〜。

www.tanabe-ume.jp

 

(2023年6月9日投稿)

 

「出会い」の愉しみ〜東京蚤の市

 

 東京・立川市国営昭和記念公園ゆめひろばで開催された「第19回東京蚤の市」に行ってきた。

 東京蚤の市もこのところ開催ごとに行っており、すっかり最近の私たち夫婦の恒例行事になってきた感がある。

tokyonominoichi.com

 

 

 「アンティーク」よりも「ブロカント」。古美術や伝統工芸の領域に繋がる骨董の品々をじっくり見るのはとても楽しいし、何より年月を重ねたものだけが持つ重みをじっくりと堪能する悦びはとても深いと思う。だが、骨董品はどうも向き合うのに襟を正してしまうことが多い。そして自宅に迎え入れるにもかなり二の足を踏んでしまうような、手の届かないお値段のものがほとんどだったり。まあもちろん、本気で我が家に迎え入れたくなるような骨董品にいまだ出会えていない、というのが大きいとは思うが。

 それよりも、たとえ骨董的な価値は乏しくても、庶民の暮らしの中で年月を重ねてきた食器や家具、雑貨などの「古道具」のほうに、より身近なものを感じる。名もなき人々が日々営々と繰り返し、積み重ねてきた暮らしや営みの温もりが伝わる「古道具」たち。年を重ねた枯れ具合などの風合いや独特な存在感、レトロな風情などの様々な魅力。値段も手に届きやすいものが多く、工夫次第で日々の生活の中に取り入れやすいことも、古道具の魅力だ。

 

 

 そんな古道具との「出会い」を求めて、いつからか年2回開催の、この東京蚤の市に足を運ぶようになった。コロナ禍による2年半もの中断をくぐり抜けて、昨年6月にめでたく第17回が開かれて復活し、以後は順調に回を重ねている。会場も国営昭和記念公園内の、この「ゆめひろば」ですっかり定着した感じだ。ここは広々と開放感に溢れた空間で、晴れた日は最高に清々しく気持ちがいい。以前の会場だった京王閣はやたらと入り組んでジメジメと薄暗いところが多く、私はあまり好きではなかったので、会場としてはこちらの方がはるかに良いと思っている。

 最近の開催日程は金曜日から日曜日の3日間が多く、これまでは私たちは週末の混雑を避けて初日の金曜日に行っていた。今回もそのつもりで、かなり早くから6月2日(金)の入場券をオンライン購入しておいたのだが、その当日は関東地方に線状降水帯が頻発して記録的な大雨になってしまい、あえなく開催中止に。入場券は残りの2日間のどちらかの入場券として使えることになったので、気を取り直して最終日の6月4日に行ってきた次第。

 

 

 この日は朝からすっきりと青空が広がり、まさに蚤の市日和。しかも午後はいい感じに薄雲が広がって、陽射しを浴び続けて身体が必要以上に消耗するのを防いでくれた。お天道様に感謝だ。

 昼前に入場してから終了時刻の5時まで、あれやこれやに盛大に目移りしつつ、たっぷりと蚤の市の魅力を堪能。古道具やクラフトにドライフラワー、食べ物に飲み物や豪華アーティストのライブパフォーマンスまで。もちろん、東京蚤の市の広大かつ多岐にわたる内容の全てを味わい尽くすのは到底不可能なので、終わった端から早くも「次は今回見られなかったアレを…」なんてあれこれ考えてしまう。それもまた、このイベントの魅力だ。

 

 

 次の第20回は、今年2023年の11月2〜4日に、同じ昭和記念公園ゆめひろばにて開催予定。金曜日も祝日なので、さてどの日に行くとしようか。

 

tegamisha.com

↑東京蚤の市を主催する手紙舎のオフィシャルサイトです。

 

(2023年6月7日投稿)

 

お久しぶりの猫村さん

 

 ひと月近く前のことになるが、ほしよりこ著『きょうの猫村さん』最新第10巻が発売された。

 前巻の発売から実に7年ぶりの最新刊である。

 それまで平均するとほぼ1年半に一冊のペースで新刊を出し続けていたのが、ここにきて7年も間が空いてしまったのには、著者ほしよりこさんの個人的な事情があったようだ。

 ともあれ、第1巻からほぼ20年来猫村さんに付き合ってきたファン(2005年9月6日の日記参照)としては、この再開は素直に嬉しい。特に、直前の第9巻がものすごい後を引く展開で終わって(より正確には「ブツッと途切れて」)いたので、余計に。

 

 

 ということで最新巻の冒頭は、7年間のブランクなどどこ吹く風。前巻の終わりの続きから何事もなかったのように始まって、いつもの「猫村さん」のペースで話が続いてゆく。まさに「なべて世はこともなし」……と言いたいところだが、何しろ猫村さんの奉公先・犬神家の旦那様に横恋慕した編集者・表奈美(オモテ ナミ)の卑劣な策略で、猫村さんが大変な目に遭いそうになった直後(猫村さん本人は全くその自覚なし)なので、その後の展開も波乱万丈。表奈美の策略に気づいた奥様のプライドがズタズタになってペシャンコにされてしまい、卑劣な表奈美も猫村さんとか岸カオルとかから寄ってたかってコテンパンにされるという。ほのぼのなイメージの強い『きょうの猫村さん』だが、これまでのストーリーでもあれやこれやがあって、実はけっこう起伏が激しいのですよ。

 そんな中でも、猫村さんの無垢なところ、素直すぎるくらいにシンプルな思考や行動には、やっぱり癒されてしまう。絵柄の可愛らしさ、その仕草の猫っぽさはもちろんのことだが、例えば、布団の中であれこれ考える猫村さんの、掛け布団をギュッと握る小さな手の可愛らしさなども。

 でも、ほのぼの・可愛い・波乱万丈だけでなくて、『きょうの猫村さん』には、思わずハッとさせられる深遠さも時折ヒョイと顔を覗かせる。

 その意味でのこの巻で特に重要な人物は、犬神先生の元教え子でたかし坊ちゃんの先輩である岸カオルだろう。なんでもこなせてソツがなく、いろんな意味で「デキる」人として描かれる彼が、スケ子さんの料亭で猫村さんとスケ子さんを前にして心の奥底を吐露する場面は、この巻の一番の注目シーンかもしれない。どんな仕事もタスクもすぐに終わらせないと気が済まないし、実際に終わらせてしまうのだが、「一度も達成感を味わったことがない」と彼は言う(本文197ページ)。岸カオルの、自分の人生に「意味」を見出せない心境、その「空虚さ」がチラリと覗く。今を生きる我々に、どこか痛切に響く言葉だ。

 さらにその少し後で、岸カオルは猫村さんに「時間をかけるべき物事も仕事もあるのですよ。効率だけが大切なことじゃない」と言う(同199ページ)。このセリフなどはタイパ至上主義がはびこる現代社会への強烈なパンチだ。のほほんとした雰囲気の中にさりげなくこういうスパイスをピリリとを効かせてくるのが、ほしよりこさんの真骨頂といってもいい。それを極めたのが、かの名作『逢沢りく』なのだろう。

 

 

 そう考えると、猫村さんというキャラは、いわゆる「現代人」とはある意味対極の存在、わたしたち現代人にない&できない(敵わない)もののカタマリなのかもしれない。とかくものごとを難しく曲がりくねって考えて、より一層複雑にしてがんじがらめになってしまう「現代人」たる周囲の人物たちは、猫村さんという、シンプルでまっすぐな思考しか持たない存在を「異物」として捉えているのかも。その、猫村さんのある意味「昭和」な思考と行動こそが、私たち読者にある種の脱日常的な「癒し」をもたらすのだろうし。

 さらにもうひとつ。岸カオルは言う。「家族の形ってもっとそれぞれいろいろあっていいんじゃないかな…」と。そして「幸せそうな図を一つの形に収めなくても 形だけ守ろうとすると本質的なものを見失うこともある」とも(同202ページ)。この国に今もって根強くはびこる、頑迷固陋な「イエ」中心主義へのさりげなく強烈なパンチである。

 この巻の終盤で、表奈美は猫村さんから「心がさびしくて貧しい人」と言われ、「憐れまれる」という彼女が一番嫌いな最大の屈辱を味わわされてしまう。さらに彼女は、自分が何を手に入れても一度も満足できず、常に「満ち足りない」ことを強く実感するに至る。この自己認識こそは、岸カオルの抱える空虚感と本質的につながっており、同じものだと言っていい。岸カオルと表奈美は、実は同じ「空虚」を抱えたひとりの現代人の、それぞれ別の様相を描いているに過ぎないのだ。『逢沢りく』の主人公りくとその両親もまた同様で、この、現代の社会に生きる人々の心に潜む「空虚」を描き出すことが、ほしよりこさんの大きなテーマのひとつなのかもしれない。

 

 

 それにしてもスケ子さんの「女将さん」髪型がものすご〜く突き出して、ほとんどリーゼント並みでスゴイ。また犬神の奥様が表奈美にタバかられたと知って寝込んでしまい、「どよーん」と幽霊のような姿に猫村さんが心底震え上がったり。その奥様の姿を猫村さんがモノマネしたのを見て「うわっ」と大マジに怖がり、猫村さんを「芸達者」と褒める犬神のオババやら。いろいろ語りたくなる小ネタが満載。何度読み返しても楽しめる一冊だ(笑)。

 そういえば、「また、たまに助湖(注:スケ子さんの店の名前)でメシを食おう」と岸カオルが猫村さんに言う場面(207ページ)で、「あの、私、しょっちゅうは無理なんです」と言う猫村さんに「うん、たまにでいい」と返す岸カオル。この、さりげなく「粋」な感じがすごくいい。こういう、人物の内側の魅力がチラッと覗く場面の描き方が、実に「粋」だなあと思うのです。

 

nekomura.jp

 

(2枚目の写真は、2019年6月24日にイタリア・ヴェネツィアブラーノ島にて撮影)

よく晴れました

 

 5月17日。

 私の誕生日である。56歳になりました。

 毎年同じことを書くが、5月17日は私の誕生日であると同時に、ノルウェーの最も重要な祝日「憲法記念日」で、事実上の国の誕生日だ。ノルウェーの人々がとりどりの民族衣装を着て、国を挙げて私の誕生日をお祝いしてくれる日だ(これもまた毎年書いているお約束…ということで。笑)。

 さらにこれまた毎年の記述だが、5月17日は超個人的認定の「晴れの特異日」である(2020年5月17日の日記参照)。

 といいつつ、この2年ほどはすっきりと晴れなかったので、そろそろこの認定も終わりか?などと考えていたのだが、今年の誕生日は見事に青空が広がった。「晴れの特異日」の復活である。

 ただ、晴れたのはいいのだが、少々気温が上がりすぎ。東京の最高気温は30度を大きく超えて「真夏日」になったらしい。やれやれ。いくら私の誕生日だからといって、そこまで頑張らなくてもいいのだが(笑)。

 ただまあ、湿度は低いので陽射しの直撃がなければかなり過ごしやすい。夕方などはすっきりと爽やかな空気が気持ちよく、涼やかな初夏の夕暮れの風情であった。

 晴れて気持ちの良い日和なので、午後は妻と二人で自転車に乗って出かけ、代官山から目黒川沿いの界隈を散策する。

 

 代官山の西郷山公園にて。

 

 目黒川。

 目黒川は川沿いのソメイヨシノが有名だが、桜の季節よりはこの新緑の季節に来る方が、気候が良くてよほど気持ちがいい。訪れる人も少なくて妙な人混みもないし。

 

 同じく目黒川沿いの、涼やかな情景。

 

 私の妻が作ってくれた苺のショートケーキ。今年で4年目だ。

 4年目ともなると慣れたもので手際もよく、今年も二日間に分けて作ったおかげでスムーズに作業できたとのこと。見た目も味もいい仕上がりになった。

 

 切り取ったあとの断面がなかなか美しい。

 

 今年も美味しくいただきました。

(2023年5月20日投稿)

街の洋菓子屋さん

 

 5月12日。

 私の妻の誕生日である。

  毎年同じことを書いて恐縮だが(そしてこれからも書くだろうけれども)、私の誕生日5月17日までの5日間だけ、夫婦で同い年になる。

 12日当日は私の体調が悪く特に何もしなかったので、翌13日に「自分ちの庭」こと下北沢の老舗洋菓子店「つくしや」でケーキを買って、二人で夕食後にいただいた(下の写真)。

 

 

 手前の「いちごフラワー」は苺がたっぷり仕込まれて、ふわふわしたクリームが優しい味わい。奥の「クラシックショコラ」は正統的なチョコレートケーキで、オレンジピールと胡桃が混ざったチョコレートのケーキ生地がみっしりと詰まっており、食べ応え十分だ。

 この「つくしや」は1958年の開業以来、お店の位置と形態は変化しつつも実に75年もの間、この下北沢の地で営み続けてきたという、本当の意味で老舗である。お店の移り変わりが実に激しい下北沢の地にあって、これほど長いこと営業し続けていられるのは容易なことではない。

 

tsukushiya.com

 

 それだけでもすごいことだが、「つくしや」が作るケーキ類は「普通に」美味しい。特に派手さはなくオーソドックスなものばかりだが、どれも見た目の期待に応える美味しさをちゃんと備えている。「街の洋菓子屋さん」として長らく親しまれている秘訣は、存外このような、奇を衒わぬ普遍的な美味しさをしっかり保ち続けていることにあるのではないだろうか。

 

(2023年5月14日投稿)

間奏曲

 

 またもや前回の日記から2か月近くも、更新しないまま過ぎてしまった。

 2月という悪しき季節をようやく潜り抜けてから、3月4月と暖かさを増して、空気の中に春の色合いが徐々に濃くなってゆくこの季節。

 ようやく、自分の中の何かが目覚め始めて。

 少しずつ、少しずつ動き出そうと感じて。

 まずは溜まりまくった自分のタスクを、ひとつひとつ焦らず片付けることから始めている。その「自分の立て直し」活動を優先しているために、この日記がどうしても後回しになってしまう。書きたいことは例によって山のようにあるのですが。

 さらには暖かい季節になっても、自分の身体と精神の中に波のように様々に現れる、なんとない不調が途切れることなく続いている。その大なり小なりの不調が「自分の立て直し」の進み具合を著しく滞らせているのもあって。少し画面に向かって少し文章を書くだけで激しい目の痛みとゴリゴリに襲われる状態も、例によって例のごとく頻繁に私を悩ませる。今もまさに、激しい目の痛みを抱えながらこの文章を書いています(汗)。

 そんなわけで、この日記ももう少しお休みかしらん。

 今日のこの日記は、インターミッション(間奏曲)的な投稿ということで。

 といって、来週あたりから、更新が突然頻繁になったりするかもですが(笑)。

 未来のことは分からないのですから。

 

(写真は全て2023年4月10日に撮影)