お久しぶりの猫村さん

 

 ひと月近く前のことになるが、ほしよりこ著『きょうの猫村さん』最新第10巻が発売された。

 前巻の発売から実に7年ぶりの最新刊である。

 それまで平均するとほぼ1年半に一冊のペースで新刊を出し続けていたのが、ここにきて7年も間が空いてしまったのには、著者ほしよりこさんの個人的な事情があったようだ。

 ともあれ、第1巻からほぼ20年来猫村さんに付き合ってきたファン(2005年9月6日の日記参照)としては、この再開は素直に嬉しい。特に、直前の第9巻がものすごい後を引く展開で終わって(より正確には「ブツッと途切れて」)いたので、余計に。

 

 

 ということで最新巻の冒頭は、7年間のブランクなどどこ吹く風。前巻の終わりの続きから何事もなかったのように始まって、いつもの「猫村さん」のペースで話が続いてゆく。まさに「なべて世はこともなし」……と言いたいところだが、何しろ猫村さんの奉公先・犬神家の旦那様に横恋慕した編集者・表奈美(オモテ ナミ)の卑劣な策略で、猫村さんが大変な目に遭いそうになった直後(猫村さん本人は全くその自覚なし)なので、その後の展開も波乱万丈。表奈美の策略に気づいた奥様のプライドがズタズタになってペシャンコにされてしまい、卑劣な表奈美も猫村さんとか岸カオルとかから寄ってたかってコテンパンにされるという。ほのぼのなイメージの強い『きょうの猫村さん』だが、これまでのストーリーでもあれやこれやがあって、実はけっこう起伏が激しいのですよ。

 そんな中でも、猫村さんの無垢なところ、素直すぎるくらいにシンプルな思考や行動には、やっぱり癒されてしまう。絵柄の可愛らしさ、その仕草の猫っぽさはもちろんのことだが、例えば、布団の中であれこれ考える猫村さんの、掛け布団をギュッと握る小さな手の可愛らしさなども。

 でも、ほのぼの・可愛い・波乱万丈だけでなくて、『きょうの猫村さん』には、思わずハッとさせられる深遠さも時折ヒョイと顔を覗かせる。

 その意味でのこの巻で特に重要な人物は、犬神先生の元教え子でたかし坊ちゃんの先輩である岸カオルだろう。なんでもこなせてソツがなく、いろんな意味で「デキる」人として描かれる彼が、スケ子さんの料亭で猫村さんとスケ子さんを前にして心の奥底を吐露する場面は、この巻の一番の注目シーンかもしれない。どんな仕事もタスクもすぐに終わらせないと気が済まないし、実際に終わらせてしまうのだが、「一度も達成感を味わったことがない」と彼は言う(本文197ページ)。岸カオルの、自分の人生に「意味」を見出せない心境、その「空虚さ」がチラリと覗く。今を生きる我々に、どこか痛切に響く言葉だ。

 さらにその少し後で、岸カオルは猫村さんに「時間をかけるべき物事も仕事もあるのですよ。効率だけが大切なことじゃない」と言う(同199ページ)。このセリフなどはタイパ至上主義がはびこる現代社会への強烈なパンチだ。のほほんとした雰囲気の中にさりげなくこういうスパイスをピリリとを効かせてくるのが、ほしよりこさんの真骨頂といってもいい。それを極めたのが、かの名作『逢沢りく』なのだろう。

 

 

 そう考えると、猫村さんというキャラは、いわゆる「現代人」とはある意味対極の存在、わたしたち現代人にない&できない(敵わない)もののカタマリなのかもしれない。とかくものごとを難しく曲がりくねって考えて、より一層複雑にしてがんじがらめになってしまう「現代人」たる周囲の人物たちは、猫村さんという、シンプルでまっすぐな思考しか持たない存在を「異物」として捉えているのかも。その、猫村さんのある意味「昭和」な思考と行動こそが、私たち読者にある種の脱日常的な「癒し」をもたらすのだろうし。

 さらにもうひとつ。岸カオルは言う。「家族の形ってもっとそれぞれいろいろあっていいんじゃないかな…」と。そして「幸せそうな図を一つの形に収めなくても 形だけ守ろうとすると本質的なものを見失うこともある」とも(同202ページ)。この国に今もって根強くはびこる、頑迷固陋な「イエ」中心主義へのさりげなく強烈なパンチである。

 この巻の終盤で、表奈美は猫村さんから「心がさびしくて貧しい人」と言われ、「憐れまれる」という彼女が一番嫌いな最大の屈辱を味わわされてしまう。さらに彼女は、自分が何を手に入れても一度も満足できず、常に「満ち足りない」ことを強く実感するに至る。この自己認識こそは、岸カオルの抱える空虚感と本質的につながっており、同じものだと言っていい。岸カオルと表奈美は、実は同じ「空虚」を抱えたひとりの現代人の、それぞれ別の様相を描いているに過ぎないのだ。『逢沢りく』の主人公りくとその両親もまた同様で、この、現代の社会に生きる人々の心に潜む「空虚」を描き出すことが、ほしよりこさんの大きなテーマのひとつなのかもしれない。

 

 

 それにしてもスケ子さんの「女将さん」髪型がものすご〜く突き出して、ほとんどリーゼント並みでスゴイ。また犬神の奥様が表奈美にタバかられたと知って寝込んでしまい、「どよーん」と幽霊のような姿に猫村さんが心底震え上がったり。その奥様の姿を猫村さんがモノマネしたのを見て「うわっ」と大マジに怖がり、猫村さんを「芸達者」と褒める犬神のオババやら。いろいろ語りたくなる小ネタが満載。何度読み返しても楽しめる一冊だ(笑)。

 そういえば、「また、たまに助湖(注:スケ子さんの店の名前)でメシを食おう」と岸カオルが猫村さんに言う場面(207ページ)で、「あの、私、しょっちゅうは無理なんです」と言う猫村さんに「うん、たまにでいい」と返す岸カオル。この、さりげなく「粋」な感じがすごくいい。こういう、人物の内側の魅力がチラッと覗く場面の描き方が、実に「粋」だなあと思うのです。

 

nekomura.jp

 

(2枚目の写真は、2019年6月24日にイタリア・ヴェネツィアブラーノ島にて撮影)