3年ぶりの梅まつり

 

 亡き父の誕生日であった2月22日。

 我が家の近所にある羽根木公園に、名物の梅林の梅の花を観に行く。

 折しも羽根木公園ではこの時季恒例の行事、第44回「せたがや梅まつり」が開催中。恒例といっても、コロナ禍でここ2年中止を余儀なくされたために、3年ぶりの開催である。

 

setagaya-umematsuri.com

 

 「まつり」といっても平日は近隣の商店街による出店もなく、ひたすら紅白にさまざまに咲き並ぶ梅の花々を愛でるのみ。本来の目的にかなったシンプルさが潔い。

 この近くで生まれ育った私にとっては、羽根木公園は幼い頃からの遊び場のひとつ。勝手知ったるなんとやらだが、長い年月の間に少しずつ変わってきた物事も多い。この「せたがや梅まつり」も、第1回の開催は1978年の2月で私が小学校4年生の時。十分に私の記憶の範囲内だ。

 

 

 気持ち良いくらいに雲ひとつなくすっきりと広がる青空のもと、梅林の中や遊歩道沿いに並んだ、花の色も樹勢もひとつひとつ異なる梅の樹々を眺め、写真を撮りつつそぞろ歩く。

 

 

 梅の花には、近づいて花のひとつひとつの表情をじっくりと眺めたくなる風情があるように思う。早咲きの河津桜オカメザクラも同じ。だがソメイヨシノにはそうした風情はあまり感じない。この感じ方の違いはなんだろうか。

 そう思っていたら、この数日後、2月25日の朝日新聞朝刊の「天声人語」に、

樹(き)全体でいっせいに咲き誇る感のあるソメイヨシノと違い、梅には一輪一輪をめでる楽しみがある。小さな姿で、春の訪れの近いことを精いっぱい告げているのだろう。

 という一節が載っていた。なるほど言い得て妙である。

 これはきっと、梅の花が本来的に持つ慎ましやかな風情の所以。そうではないだろうか。あるいは私たちの心情が、梅の花の佇まいに慎ましやかな美を投影するのかもしれないが。

 それに対して、ソメイヨシノの花の、時に数にものをいわせるような咲き方には、時として目に見えない「圧」のようなものを感じて辟易してしまうこともなくはない。そもそも「桜といえばソメイヨシノ以外なし」的な捉え方がはびこっているこの現代日本での、毎年3月中旬以降に日本の社会と文化にのしかかるその「圧」の、異論を許さぬかのような、有無を言わせぬ大きさよ。

 梅の花を見るとホッとしてしまうのは、その違いのせいか。

 

 

 この2月22日は、最近ではすっかり「猫の日」として定着しているようだ。だが、私にとっては、それよりずっと以前から「自分の父親の誕生日」であった。

 そういえば、今年84歳になる私の母は3月5日生まれで、かつ父よりひとつ年上であった。

 ということは父の生前には、毎年2月22日を過ぎると、私の両親は3月4日までの11〜12日間だけ夫婦同い年になっていたということだ。今更ながら気づいて少々驚く。

 というのも、偶然にも私たち夫婦も同じ状況だからだ。こちらは私の方がひとつ上なのだが、私の誕生日が5月17日なのに対し、ひとつ下の妻は5月12日。つまり5月12〜16日の5日間だけ、夫婦同い年になる。

 親子の間で、面白い偶然の一致をみたものだ。

 

 

(2023年2月27日投稿)

 

時の流れは

 

 2月13日は、私の父の命日。

 あれから5年が経った。

 しとしとと降り続く雨の中を、墓参に向かう。

 「そこ」には、もうその人はいないことを、ひしひしと感じながら。

 墓参とは、ある意味でその人の「不在」をより強く感じる行為である。

 そのように思えてならない。

 

 

 ある人への手紙の中で書いたことだが、喪失の感情は時間の経過とともに癒されることはない。

 ただ、時間はとどまることを知らない。喪失を経験したあとも、私たちの前にはたどるべき道が続いている。私たちは喪失の想いを抱えたまま、それ以降の日々を暮らしてゆかねばならない。

 そのように日々の暮らしを積み重ねていくうちに、その中で経験するさまざまな喜びや笑いや美しいものが頭の中に並んでゆく。そして、あれだけ大きく自分の前に立ちはだかっていた喪失の感情もまた、決して消えることはないけれど、いつしかその並びの中に加わってゆくのを感じる。

 そして、ほかの消えることのない想いたちと等価に並べられて、混じり合い、すべての愛しい想いの中に包まれてゆく。ひとつひとつの想いを、各々鮮明に残しながら。

 そんな心の襞の動きのようなものを、日々実感しつつ過ごしている。

 言葉にすると、そんな感じだろうか。

 

(写真はすべて、2023年1月26日に東京都内で撮影)

立春を過ぎて

 

 昨年末に前回の日記を書いてから、ずいぶん間が空いてしまいました。

 昨年末から今年の初めにかけて不測の事態(予測の事態?)が続けて起こったために、いきなり年始早々からバタバタ。新年の気分を味わうどころではなく日々の暮らしを回すことで手一杯だったため、この日記を書く余裕など全然なかった。

 ようやく息をついて周りを見回せるようになり、年が変わった実感が湧かないままに2023年も1月が終わっているのに気づく。いつの間にか立春を過ぎて、一年で最も悪しき気が集まる「凶の月」2月になっていた(2019年2月14日の日記2020年2月13日の日記参照)。

 そしてようやく久々にこの日記を書こうとしたら、またお馴染みの目のゴリゴリが(汗)。目が痛んでとても画面に向かうことができず、トホホである。1月末から通い始めた整骨院の施術がようやく効いてきて(そのほかにもあれやこれやの対策を施して)、改めての仕切り直しでこの日記を書いています。

 2月に入った途端に気温が高めの日々が続き、早くも暦どおりに春が近づき始めた予感すら感じる。今日は気温がぐっと下がって、東京ではうっすらと積もるほどに雪が降ったが、それもまた春へ近づくための一種の「儀式」のように思えてしまう。東京に長く暮らす人には言わずもがなだが、東京の本当に寒い時期は空気がカラカラに乾いて身を刺すような寒さが主役だ。雪が降るということはつまり降水なのだから、空気中の湿気が増すだけでも季節が一歩動いた、ということを感じる。

 私が小学生だった頃は、一年で最も寒いのは2月だと暗黙のうちに思い込んでいた。暦の上の「立春」なんて本当に形式、という感覚だった。それが近年は、明らかに1月が最も寒く感じて、2月に入ると早くも春の気配、などという言葉が聞こえ始める。

 まあ秋から冬に移るのが年々遅くなってきているのだから、つまりは冬が短くなってきている、ということなのだが。冬は決して最も好きな季節ではないのだが、それでも近年のこの傾向にはやれやれというしかない。

 

(写真は2点とも、2023年2月9日に撮影)

 

「生きている人間」の物語

 

 テレビドラマ「silent」(サイレント)の話、しつこく続きます(笑)。

 このドラマの人気がなんだかものすごく社会現象化してきて、世田谷代田や下北沢といった「自分ちの庭」がすっかり賑やかになったので、これはもっと書いておかないと、という気持ちになりました。

 ドラマ自体のほうは既放送分の第10話までは鑑賞済みで、いよいよ明日放送の最終話を残すのみ。先日の日記にも書いたが、明日12月22日は私たち夫婦の26回目の結婚記念日。毎年この日は恒例行事のブッシュ・ド・ノエル作りをしてから、妻が腕によりをかけたご馳走ディナーをゆっくりワインを飲みながら二人でいただくことにしている。だから、放送当日に最終話を観られるかどうかはやや微妙。録画をその翌日に観ることになりそう。

 

 

 世間での「silent」人気は、もはやとどまるところを知らず。そう思うのは、やはり私たちがその「聖地」のお膝元で暮らしているから、この辺りではその人気ぶりが余計に増幅されて感じるのかしらん。

 第10話放送の翌日(12月16日)の夕方、散歩と買い物で下北沢駅南西口前の広場を通りかかったら、広場がものすごい数の人で埋め尽くされていてびっくり。よく見ると、広場の中央に真っ白いクリスマスツリーが立っている(下の写真)。さらに目を凝らすと、ツリーの白く丸く輝くオーナメントの表面に「silent」とドラマのロゴが印刷されている(冒頭の写真)。これはドラマの最終回を宣伝するツリーだったのだ。ドラマ最終回を予告する映像を流すモニターも設置されており、Official髭男dismが歌うドラマの主題歌「Subtitle」も流れている。

 

 


www.youtube.com

 

www.shimokitazawa.info

 

 それにしてもこの人だかりの数は尋常ではない。その場で人員整理をしているスタッフの人に訊くと、みな午後6時(あと10分くらいだった)のツリー点灯を待っているのだとか。特にキャストの誰かが来たりセレモニーがあるわけではないそうで、「ホントにただ点灯するだけなんですよ」とその人は言っていた。それだけなのに、この人だかり。ドラマに関係することなら小さなイベントでさえも関わりたいと思うほど、この物語の世界に浸っていたい気持ちが、人垣の中から静かな波となって伝わってくる。先日の日記で書いた(2022年12月8日の日記参照)、私たちが世田谷代田や下北沢で見る「二つの風景」が、ここまで大きく広がってくるとは。幼い頃から、変わりつつも馴染んできた風景が、こんなに多くの人々に特別な感情を抱かせるとは。人間が作り出すものも時には捨てたものではないな、と不思議な高揚感と多幸感に包まれた夕刻のひと時であった。

 世田谷代田と下北沢という、私にとっては「自分ちの庭」みたいな場所との縁で観始めたドラマ「silent」。最終回の放送日が私たち夫婦の結婚記念日だというのも何か「縁」のようなものを感じる。そういえば「silent」が普段ドラマを観ない人たちも惹きつけている、という内容の記事を読んだ(以下のリンク先の記事です)。

 

realsound.jp

 

 これって、まさに私たちのことじゃないですか。NHK大河ドラマ以外ではここ10年近くも、テレビの連続ドラマを観たことがない私たちの。ただ、記事中で「ドラマをあまり観ない人の理由」として挙げられている、「『ドラマ作品の完結までが長いこと』と『(リアルタイムの場合)決まった時間に毎週観ること』のハードルの高さ」は、私には当てはまらないか。私は物語が長ければ長いほど喜ぶ人だし。それに決まった時間も何も、そもそも観ると決めた作品は予約録画してしまうので。そして録画したら放置せず必ず観る。放送1年後か2年後かもしれないが、ちゃんと観てます。それよりむしろ、観たい気になるドラマが少ないことと、テレビを観るより本を読んだり音楽を聴いたり映画を観るほうが好きなので、そっちの方が理由としては大きいか。それ故に、「silent」はわざわざ初回まで遡ってまで観るに値するドラマだった、ということだ。

 もうひとつ書いておくと、私たちにとっては「silent」は、この先の展開がどうなるか気になる、というのはあまりなくて(多少はあるけれど)、それよりもこのドラマの世界を、物語に登場する人たちをずっと見ていたいという気持ちが強いような気がする。いつまでもこの物語の世界を見続けていられたら、という感じ。それは、題材の新奇さや内容の衝撃性ばかりに目を奪われるのではなく、登場する人々の気持ちの流れや感情の動きを愚直なまでに丁寧に掘り下げて、リアルに存在感のある「生きている人間」として画面上に描き出していることによるのではないだろうか。生きている人間同士が混じり合うことで、物語は自然と動き出す。恋愛ドラマであることも、聴覚障害を題材のひとつに扱うことも、このドラマではあくまで生きた人間同士の物語を語るためのツールとして扱われている。

 それでいいと思う。そういう「生きている人間」たちを身近に感じながら、観る私たちがその心の動きや気持ちの流れに感情移入して物語に没入し、一喜一憂するドラマ。そういう創作物を私たちは「文学」とか「文芸」と呼んでいたのではなかったか。

 

 

 明日の最終回、楽しみに観ることにしよう。

(写真は2枚とも、12月20日に現地を再訪した際に撮影した写真です)

西洋料理と中華料理の「いいとこ取り」


 美味しいごはんの話です。

 先日手に入れた、若山曜子さんのベストセラー料理本の続編『フライパン煮込み2』(2022年11月29日の日記参照)。さっそく我が家のキッチンでも活躍しており、この日の夕食に登場した料理は早くもこの本からの5品目に当たる。

 

 

 この日の夕食の主菜に私の妻が選んだ料理は「鶏もも肉のトマトチリソース煮」(上の写真)。

 元レシピにアレンジをかけまくる妻にしては珍しく、レシピにないしめじを加えて香味野菜の分量を増やしたくらいで、ほぼレシピ通り(辛みが少々強すぎるので豆板醤の量も少々減らしたそうだ)に作ったとのこと。この日はこのレシピの初回だったので、もう一度この料理を作るときには大幅にアレンジかけるかもしれないが。

 豆板醤に長葱、にんにくに生姜とオイスターソース、と中華料理でお馴染みの味付け。これだけだとまさにエビチリそのまんまなのだが、メインの具材が海老でなく鶏もも肉を使い、さらに粗みじんにした生トマトを全面的に使用しているのが大きなポイント。つまりは西洋料理のテイストを加えているのである。片栗粉を振ってジューシーなとろみが大幅にアップした鶏もも肉の食感と、生トマトのさっぱり感と酸味が中華風の味付けにうまくマッチして、あまり食べたことのない不思議な美味しさを醸し出している。豆板醤のピリ辛感が生トマトの軽やかな酸味のおかげで、上手いことしつこくない辛みに転じているのも実にいい。

 そうそう、椎茸のお出汁もよく汁に染み出しており、これもひと味旨みをプラスしていることも書いておかねば。

 

 

 2022年11月29日の日記にも書いたが、異なった伝統を持つ料理の要素を組み合わせてアレンジするのは、若山曜子さんの得意とするところ。この料理の、西洋料理と中華料理の「いいとこ取り」をしたような組み合わせ方も、まさに若山さんならではの一品だ。いやあ、本当に美味しかった。この料理はとても気に入りました。

(2022年12月21日投稿)

そして13人がいなくなった

 

 さてさて。今年のNHK大河ドラマ三谷幸喜さん脚本の「鎌倉殿の13人」はどうしたかというと、結局ものすごく遅まきながら観始めています。

 

 

 あれだけ昨年の「青天を衝け」のことをもっとちゃんと書かないうちは「鎌倉殿〜」を観ないとかなんとかホザいていたが(2022年1月5日の日記参照)、目の周りやこめかみの激しい痛みやら肩ゴリやら精神的にダウナーな状態やらでパソコンにもテレビの画面にも向かえない日々が続くうちに月日ばかり過ぎてしまい、我が家のレコーダーが毎週律儀に予約録画している「鎌倉殿〜」の未視聴分ばかりが着実に積み上がることに(笑)。

 極め付けは7月下旬に高熱を出して2週間寝込んだこと(2022年10月17日の日記参照、おそらくコロナだったのでしょう)。回復期を含めてほぼひと月何もできず、気がつけば2022年も3分の2が過ぎようとしていた。つまり大河ドラマも3分の2が放送済みになったわけで、もう「青天〜」のことを書くまで待っていたら確実に観ないうちに最終回を迎えそうな事態に。さすがにこれはイカンと思って、観始めた次第です(汗)。

 皮肉なことに、まるひと月近く休養したことが却って幸いしたのか、あるいは何か自分の中で凝り固まっていたものが解けたのか、寝込む以前より目や肩や背中の状態が多少はマシになった。おかげで大河ドラマくらいの時間=45分程度ならさほど目を疲弊しないで観られるようになり、これは幸いであった。8月20日に第1話を観たあと二日続けて第2話、第3話と鑑賞し、そのあと二日間は無理せず目を休めようとお休みして、その翌日(8月25日)と翌々日(26日)に第4話・第5話を観た。1週間で5話分を堪能したのは、なかなかのロケットスタートぶりだ(笑)。なお、倍速視聴やシーン飛ばしは一切やっていない(2022年6月21日の日記参照)。

 しかしその後はまた目の痛みが酷かったり、時間的・精神的な余裕がなかったり、史実で何が起こるか予想がつく故に内容的に観るのがしんどい回をなかなか観なかったり(例えば第15話とか第20話とか)して進みがかなり鈍くなってしまい、11月に入るとふとしたきっかけからフジ系のドラマ「silent」も観るようになって(2022年11月14日の日記参照)、さらに進まなくなってしまった。

 ということで、本放送があと1話、明日の最終回を残すのみとなったというのに、私たちが現時点で観終わったのは第27話まで。大泉洋さん演じる源頼朝が亡くなって、ようやくこのドラマのタイトルの由来である「十三人の合議制」が成立したところである。なんと20話分溜まってる(汗)。とてもじゃないけれど、それこそ倍速視聴を使ったって(しないけど)最終回の本放送までに消化できません(涙)。それでも、第1話の録画を観始めた8月20日の時は30話分ビハインドだったことを思えば、20話分にまで詰め寄ったのだから、ずいぶんと遅れを取り戻したものだ(笑)。

 

 

 2020年1月にこの「鎌倉殿の13人」の企画が発表された時は、ものすごい期待で胸が膨らんだ私。2020年1月19日の日記に書いたように、私にとっては思い入れの強い「草燃える」を、ある意味三谷幸喜さん流に「語り直す」わけだから、これは期待せずにいられようか。その期待は、これまで観た27話分ではまったく裏切られず、歴史上の通説への独自の視点&解釈や、最新の歴史研究の成果も取り入れたストーリーを大いに楽しんでいる。時にはあまりのダークな展開に気分がダウナーになったりもするが(笑)。

 ドラマ1話分を観るごとに書く感想が毎回トラベラーズノート数ページに渡るくらいなので、このドラマの魅力や感想を詳細に語り出すとキリがない。それでも、最終回の脚本を書き終えた時点での三谷幸喜さんの朝日新聞のコラム(2022年9月8日夕刊)での、以下の文章は注目に値する。

 幕末や戦国と比べるとより神代の時代に近い分、僕は鎌倉時代に「ロード・オブ・ザ・リング」や「ゲーム・オブ・スローンズ」といった、ファンタジーの匂いを感じるのだ。特に「ゲーム・オブ・スローンズ」はお手本。あんな大河ドラマを作ってみたかった。

朝日新聞2022年9月8日夕刊コラム「ありふれた生活」第1101回より)

 これには我が意を得たりと膝を打った。私自身もまた長いこと、日本史世界史を問わず歴史の中にファンタジーの流れを感じてきた身だからだ。そもそも中学高校時代に栗本薫さんの『グイン・サーガ』や、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の原作たるトールキンの『指輪物語』に深くハマって以来大のファンタジー好きだった私が、その興味を当然のように中世ヨーロッパの歴史や美術へ広げて、大学の専攻そして自分の嗜好の根幹に据えることに繋がったのだから。

 そうなんですよ。歴史のドラマにはファンタジーになりうる要素がこれでもかと詰まっているのだ。実際に、歴史上の出来事から数々の伝承や伝説、そして伝奇物語=まさしくファンタジー!などが連綿と生まれてきているのだから。2020年の大河ドラマ麒麟がくる」も、「歴史上の出来事」がファンタジーとして「開眼」した物語だったと思う。明智光秀が主君・織田信長に反旗を翻したという人々によく知られ、かつ幾度となく繰り返し語られてきた戦国時代の物語を、これまでにないストーリーと人物と、これまでにない音楽・美術・衣裳デザインによって、まるで架空の国を舞台にした伝説であるかのような全く新しい物語の形で我々の前に提示して、大河ドラマの「常識」を打ち破ったあの物語。「歴史上の事実」から浮かび上がってくる「物語」をすくい取って大きく膨らませて、同じことを語りながら別の様相を見せる。別の視点を持ち込む。「伝説はこう作られ、歴史はこう語られる」と鮮やかに示してみせる。そんな「ファンタジーの力」もしくは「物語ることの力」のようなものを、「麒麟がくる」そしてこの「鎌倉殿の13人」に感じながら観ているのだ。

 さらに、喜怒哀楽すべてが詰まった物語の滔々たる流れの中に、三谷氏が心酔する数々の小説・ドラマ・映画の様相がこれでもかと詰め込まれていること。これも大いなる魅力だ。前出のコラムでも作者ご本人が挙げていらっしゃるが、それこそ「仁義なき戦い」や「寺内貫太郎一家」からギリシャ悲劇やシェイクスピアに至るまで、様々な古今東西の「名作」たちの要素が、ドラマの随所に顔を出して私たちを楽しませてくれる。それを通じて、私たちは物語そのものが持つ面白さがいつの時代も、どこの国でも変わらないことを肌で感じるのだ。

 

 

 明日は最終話の本放送。作者ご本人も前出のコラムの末尾で、

最終回はかなりの衝撃。今までこんな終わり方の大河ドラマはなかったはず。参考になったのは、アガサ・クリスティーのある作品。どうぞお楽しみに。

(同上)

 と書いていらっしゃる。まあ多少は最終話へ視聴者の興味を繋ぐための宣伝もあるかもしれない。それが見事に奏功したのか、ネット上などでは最終話予測が何やら喧しい。私自身は前述のようにまだ全体の半分強しか観ていない身なので、これについては語る言葉を持たない。だが、よくネット上で見かける、クリスティーの有名な作品の真相をそのまま当てはめただけの、誰でも思いつきそうな終わり方は三谷さんは採らないと思うぞ。かといって、クリスティーのことを詳しい人でないと知らないようなマイナーな作品を取り上げることもない気がする。ヒネリを利かせて予測を裏切ることにかけては天才的な三谷さんなら、もっと違う「参考」の仕方をなさるのではないか。

 

 

 アガサ・クリスティーの代表作のひとつに『そして誰もいなくなった』"And Then There  Was None"がある。実はこの作品には、作者自身の手による2通りの異なった結末がある。このことは、クリスティーについて多少なりとも知る人ならご存知であろう。すなわち先に書かれた小説版(1939年発表)では題名通りに誰もいなくなる結末なのだが、あとで書かれた舞台上演用の戯曲版(1946年)では、題名に反して「誰もいなくならない」エンディングが用意されている。その後の映像化作品もほぼこちらの結末を採用している。

 つまり、小説版を既読だったりして題名通りに「誰もいなくなる」と予想して芝居を観た観客は、それを覆す結末を目撃して驚く、という仕掛けだ。舞台で登場人物全員が死ぬのはどうかという配慮で結末が変更されたと言われているが、クリスティー本人の「観客の予想の裏をかいてびっくりさせたい」というミステリ作家魂もあったのではないだろうか。

 三谷さんもこうした形でクリスティー作品を「参考」にしているのではと思うのだが。例えば、あくまで「例えば」だが、北条小四郎は公式には死んだと見せかけて、立派な墓まで作っておいて(もちろん息子泰時の協力は不可欠)、完全に世間の目を離れ伊豆でひっそりと生きていた、とか。さて真相はいかに。

 

そして誰もいなくなった - Wikipedia

 

 それとは別に、同じ朝日新聞紙上に掲載された主人公の小四郎こと北条義時を演じる小栗旬さんのインタビューの中で、最終回を考える上でとても重要なくだりがあったことは指摘すべきだろう。

「後半で、これほど主要人物がいない大河も珍しい。最後に残るのは家族。伊豆の小四郎が北条義時になり、そしてまた小四郎に戻るというのが、三谷さんの描く大団円。ただ、そこにたどり着くまでは本当に修羅の道です」

朝日新聞2022年10月13日夕刊「コムデギャルソン着用の小栗旬、大河の大団円までは「修羅の道」」より)

 ということで、最後の最後は北条家だけの物語にまとまるようだ。それも小四郎と政子、二人だけの場面が予想される。別の小栗さんのインタビュー記事を見ると、クランクアップの日は、小栗さんと政子を演じる小池栄子さんの二人だけの撮影だったようだし。

www.lmaga.jp

 

 

 いずれにせよ、私たちが最終回を観るのは年明けくらいかしらん(苦笑)。それまでにまだあと20話分残っているし。楽しみにしておきましょう。

(写真は3枚とも、2015年10月9日に北鎌倉の円覚寺にて撮影)

二つの「世田谷代田」、あるいは二重写しの風景

 

 昨日の日記の続きを。というか、昨日書きそびれたことを書いておかねば。

 現在放送中のテレビドラマ「silent」(サイレント)と、我が地元の馴染みの場所にして「自分ちの庭」こと小田急線・世田谷代田駅周辺のことだ。

 それはそうと、偶然にも昨日の朝日新聞の夕刊(東京版)で、社会面のトップに当の世田谷代田駅と「silent」にまつわる記事が載っていた。

 

www.asahi.com

www.asahi.com

(上記2点のリンク先の記事は、朝日新聞デジタルの有料会員のみが全文を読めるようです。ご注意ください)

 

 記事の見出しは「地味駅 突然の活況」。まあそりゃあ地味な駅ですけどね。2022年11月14日の日記にも書いたが、駅舎を改築して綺麗になる前の世田谷代田駅とその周辺といったら、「閑散」という言葉そのものだったもの。その閑散な世田谷代田が「silent」の重要な場面に駅名を出して登場したおかげで、この周辺がロケ地を巡る「聖地巡礼」の人々で賑わっている、という内容の記事だった。「silent」の仕掛け人たるプロデューサーへのインタビューや、小田急電鉄のこうした方面への取り組みも併せて紹介している。

 

www.fujitv.co.jp

 

 かくして私たちが暮らすご近所の馴染みの場所が、大新聞も注目する人気ドラマの「聖地」となったワケだが、これってけっこう不思議な感覚だ。「聖地」の近辺に実際に暮らしている地元民であり、かつ、実際に「silent」を観ている私たちのような人にとっては。

 つまり、地元民としては、この代田・北沢地域の街並みは、日々の暮らしの中の風景として映っている。実に何気ない、日々繰り返し見ている馴染みの景色だ。ところが、その同じ風景を、ドラマを観てわざわざ「聖地巡礼」のためにやってくる人々は、それとは全く異なる、物語という虚構の世界の舞台として同じ風景を眺めているのだ。代田も北沢もリアルに存在している(だって私たちはその中で暮らしているんだもの)街で、その意味では彼らは初めて訪れる「訪問者」もしくは「よそ者」である。だが、テレビで観るドラマの舞台としてはとてもよく知っている場所で、むしろ物語の世界へ彼ら自身を引き入れてくれる触媒もしくは「入り口」として見ているのだ。世田谷代田の駅前に立てば、「silent」の中で青羽紬と佐倉想とが再会したあのとき、あの空間に自分を重ねることができる。そうやってドラマの世界を反芻しつつより身近に感じられ、物語を追体験できる、特別な場所。夢とうつつを繋ぐ、聖なる空間。「ナルニア国物語」での、あの衣装箪笥のように。あるいは「ハリー・ポッター」シリーズでの、キングズ・クロス駅の9と4分の3番線のように。

 だから、私たちのような、地元民の視点とドラマの鑑賞者=「巡礼者」の視点を両方持ってしまった存在にとっては、この場所はそれらの両方の意味を持ち、ひとつの風景の中に、日常生活のリアルと物語中の虚構の二つの世界が重なって映っているのだ。
 今や私たちにとって世田谷代田の駅前は、日々の散歩で通る場所であり、晴れた日には富士山の眺めが素晴らしい場所である一方で、確かに紬と想とが出会って物語を紡いだ場所でもあるのだ。この二重写しの風景、夢とうつつの境界が曖昧な、不確かな世界に踏み込むこと。そのギャップを肌で感じながら、世田谷代田や下北沢の空間で日々を過ごすこと。これがなかなか面白い。

 

 

 どっちにしろ世界というのはとても不確かで、私たちが世界を認識するやり方もとても曖昧で移ろいやすい、不安定なものなのだ。ほんとうに今見ている「それ」だけが、唯一の「現実」なのか? おそらく違う。世界はもっと曖昧で複雑だ。ひとつの風景、ひとつの場所にいろいろなリアルや虚構が紐付けられて、何重もの意味を孕んでゆくこと。そうして「新しい顔」に更新し続けること。私たちが暮らす世界というのは、案外そうしたものだという気がする。

 

 

(写真は全て、本日の私たちの聖地巡礼、もとい世田谷代田〜下北沢の夕方の散歩の写真から。最後の富士山のシルエットは世田谷代田駅前から撮影。今日のような空気が澄んで雲のない晴天の日は、駅前から富士山がよく見えます)