2月13日は、私の父の命日。
あれから5年が経った。
しとしとと降り続く雨の中を、墓参に向かう。
「そこ」には、もうその人はいないことを、ひしひしと感じながら。
墓参とは、ある意味でその人の「不在」をより強く感じる行為である。
そのように思えてならない。
ある人への手紙の中で書いたことだが、喪失の感情は時間の経過とともに癒されることはない。
ただ、時間はとどまることを知らない。喪失を経験したあとも、私たちの前にはたどるべき道が続いている。私たちは喪失の想いを抱えたまま、それ以降の日々を暮らしてゆかねばならない。
そのように日々の暮らしを積み重ねていくうちに、その中で経験するさまざまな喜びや笑いや美しいものが頭の中に並んでゆく。そして、あれだけ大きく自分の前に立ちはだかっていた喪失の感情もまた、決して消えることはないけれど、いつしかその並びの中に加わってゆくのを感じる。
そして、ほかの消えることのない想いたちと等価に並べられて、混じり合い、すべての愛しい想いの中に包まれてゆく。ひとつひとつの想いを、各々鮮明に残しながら。
そんな心の襞の動きのようなものを、日々実感しつつ過ごしている。
言葉にすると、そんな感じだろうか。
(写真はすべて、2023年1月26日に東京都内で撮影)