めくるめく映像美の中で

 「21世紀の映像の魔術師」の異名を取るイタリアの映画監督パオロ・ソレンティーノPaolo Sorrentino。私はこの監督の代表作でアカデミー外国語映画賞の受賞歴を持つ『グレート・ビューティー/追憶のローマ』"La Grande Bellezza"がものすごく好きで、DVDを買って何度も繰り返し観ている。ローマの街を舞台に映し出される、様式美ばりばりの映像がとにかく美しいのだ。そして、その映像美と野卑なまでに俗を極めた人々の言動との対比。さらに聖歌やクラシックからクラブ・ミュージックまで、次々と縦横無尽に使用される幅広いジャンルの楽曲の数々。静と動の対照の鮮やかさ。それに深く心を動かされ、同監督の他の作品も折に触れていくつか観てきた。

 そのソレンティーノ監督の昨年イタリアで公開された最新作『LORO 欲望のイタリア』"LORO"が、今年の11月15日から日本の映画館でも公開される。幸いなことに試写会の抽選に当たったので、10月31日、ハロウィンの晩にひと足早く観ることができた。

 試写会の会場は、東京・九段下にあるイタリア文化会館。ここの地下にある「アニェッリ・ホール」にて上映された。

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 上映に先立ち、漫画家のヤマザキマリさんと朝日新聞の映画担当記者・石飛徳樹さんによる対談が30分ほどおこなわれた(下の写真)。言うまでもなく『テルマエ・ロマエ』で有名なヤマザキさんはイタリア在住歴が長く、この映画の主人公ベルルスコーニが首相だった頃のイタリアを肌で感じていたお方。良くも悪くも存在感がとてもビッグだったベルルスコーニへの、イタリア人のアンビヴァレントな国民感情(?)についてたっぷり語ってくださった。かたやソレンティーノ作品の大ファンを自認する石飛さんも、作品の華麗な映像美などについて熱く語ってくださったので、上映前の期待感は嫌が応にも高まる。

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 その対談に引き続いて、本編の上映。

 上映時間2時間37分。

 ソレンティーノの、華麗な色彩と音楽に彩られた、聖と俗が混沌と交じり合う爛熟の映像絵巻。たっぷりと堪能しました。映像と音楽を山のように積み上げて、ここまで圧倒的な存在感を現出できるのか。観終わって暫し茫然と佇むより他なし。

 この作品は、イタリア共和国の首相を9年の長きにわたって務めた、「怪物」シルヴィオ・ベルルスコーニSilvio Berlusconiを主人公とした映画である。

 となると「政治もの」なのか!?

 「いやー私、政治ものは苦手で」と言って去ろうとしている人、ちょっと待った! 自分もそういう一人なのだからよく分かるが、トークヤマザキマリさんが「全然政治ものじゃない」と仰っていた通り。ハリウッドで作られる「政治もの」の映画、例えば『バイス』とか『ペンタゴン・ペーパーズ』あたりを連想・期待してこの映画を観ると、大いなる肩透かしを食らうこと間違いなし。

 まず、監督がソレンティーノだよ? 彼の作品を観たことのある方はお分かりだと思うが、ソレンティーノがハリウッドの「ああいう政治もの」の映画を作るわけがない。当然ながら、ベルルスコーニの「怪物」ぶりは描いても、彼を糾弾したり賞賛したりは一切しない。そして、ソレンティーノ作品なので、いわゆる起承転結のある「物語」は、まず存在しない。ましてやハリウッド的マーケティングの成果バリバリの、観客を甘やかしまくりでご親切な「分かりやすさ」など露ほども期待しないほうがいい。この作品は、正統的なまでにヨーロッパの映画だ。冒頭から結末まで映像を見せることに徹底した、映画のための映画なのだ。

 そもそもパオロ・ソレンティーノは、この映画が描いている2006〜2009年ごろのベルルスコーニの「感情の蠢きに興味を持った」のが、この映画を作るそもそもの動機だったらしい。あらゆる映画的技法を駆使してこの怪人の「本質」を描き出し、それを「作品」に昇華させることを狙ったのだと思う。「汚濁にまみれた聖人」たるベルルスコーニの比喩として、実に様々な象徴的モチーフや「絵」が映画の中に込められている。冒頭の羊のエピソードと、最後の瓦礫の中から引き上げられるイエス・キリスト磔刑像との対比は言わずもがな。中世ヨーロッパの図像学では「犠牲の仔羊=救世主イエス・キリスト」なのは常識中の常識。イエスは「神の仔羊」なのだ。それをベルルスコーニの映画に持ってくるあたり、大真面目なのか人を喰ったジョークなのか、ソレンティーノの曲者ぶりが窺われる。

 というわけで、この映画は過剰なまでに色彩に溢れ、権力に群がる人々とブロンド&ナイスバディの露出度過剰美人たちに溢れ、古今東西のあらゆる音楽に溢れ(サントラ盤は例によってCD2枚組の大ボリューム)、まさにソレンティーノらしい爛熟を極め欲望にまみれた人々の映像絵巻にどっぷりと浸るのが、正しい鑑賞法だと思う。そのめくるめく世界をそのままに受け取って味わうこと、そこに私はヨーロッパの長い歴史の中を脈々と貫いてきた「芸術」の精神を見る思いがするのだが、いかがであろうか。

 主役ベルルスコーニを演じるのは、ソレンティーノ作品ではお馴染みの名優トニ・セルヴィッロToni Servillo。今やイタリアのみならずヨーロッパの中でも大俳優としてすっかり有名になってしまった彼が、容姿から何から見事にかの「怪物」を演じ切っている。この映画のベルルスコーニは70代前半だが、トニ・セルヴィッロは1959年生まれ。この映画が公開された昨年の時点では、まだ59歳になるかならないかの若さだったのだ。すんごい老け役。前回主演した2013年の『グレート・ビューティー/追憶のローマ』の時も、主人公のジェップは65歳という設定だったが、演じたトニ・セルヴィッロはまだ55歳にも届いていなかった(笑)。特殊メイクなどに頼らず、実年齢より10歳以上も老けた役をこれほどまでに演じられる俳優も、そうそういないような気がする。きちんと演じ切っているあたり、さすが名優と言うべきか。

www.transformer.co.jp

 (2019年11月14日投稿。映画公開前にアップできてよかったです)


【2020年1月16日追記】(すぐに追記するつもりが、ボーッとしているうちに年を越してしまいいました。トホホ)

 というわけで、長大ながら無駄な場面はひとつもない『LORO 欲望のイタリア』だが、実はソレンティーノ作品では初めて、観ていてほんの少しだけダイジェスト感(!)を感じてしまった。大河ドラマの本放送分を一年間観たあとに、恒例の総集編を観た時に近い感覚、と言えば分かる人には分かっていただけるだろうか。ひとつの場面の中や前後に、省略された会話やエピソードや場面の存在を知覚するような感覚だ。

 これも実在の人物を題材にした映画だからかな、とも思ったが、それだけではない。この映画は、元々本国イタリアでは、前後編合わせて3時間24分の二部作として公開されたのだ。それを米国公開の際に、2時間25分の一本ものとして再編集したらしい。日本公開版はそれより少し長い2時間37分だが、それでもオリジナルのイタリア版二部作より47分も短いことになる。

 この省略された47分の映像がどんなものか、ぜひとも観たいところだ。ソフト発売の際には、ぜひオリジナル版二部作も観られるように収録してほしいなあ。

 それで思い出したが、私が大好きな『グレート・ビューティー/追憶のローマ』にも、英語版のウィキペディアによると、劇場公開版より30分以上長い、2時間53分のディレクターズ・カットが存在するらしい。版権のもつれのせいで、この作品は日本ではDVDしか出ておらず、誠に残念なことにブルーレイは未発売なのだが、もし発売できるようになったら、こちらもぜひこのディレクターズ・カットを収録してほしいぞ!

en.wikipedia.org