世界対がんデー

 毎年2月4日は「世界対がんデー」(ワールドキャンサーデー、World Cancer Day)。「世界中で人々ががんのために一緒にできることを考え、約束を取り交わし、行動を起こす日」で、2000年2月4日にパリの「がんサミット」で始まった記念日だそうだ。

 http://www.worldcancerday.jp/

 私が「世界対がんデー」をはっきりと実感を伴ったものとして認識したのは、恥ずかしながら昨年(2018年)の2月4日だった。5か月前に見つかった胆管がんの状況がとても厳しくなっていた父を母とともに支え、辛く重苦しい気分を抱えた毎日(ただでさえ2月という月は一年で最も悪しき気が濃くなる季節なのに)の中、新聞を開くとがんに関する記事がずらりと並んでいるのにびっくり。片っ端から貪るように読み、それで初めて今日がそのような日だと知ったのだった。正直言って、自分の身近なところでがん患者がいなければ、ここまで真剣にがんの問題に向き合わなかっただろう。人というものは我が身に降りかからないと、世の中の様々な問題に向き合おうとしないものだ。実感。

 そんなわけで「世界対がんデー」を機に、がんについて深く考えた昨年の2月4日だったが、その時は父がそれから10日も経たずにこの世を去るとは思いもしなかった。

 父の没後は、深い悲しみと喪失感の中で山のような手続きやら、父に頼まれていたのに生前に完成できなかった父のエッセイ集の編集作業やらに忙殺されて日々が過ぎた。心の中がずっしりと重いものに潰されて周りを見回す余裕もなく、ましてやがんについて想いを馳せることもないままに、長いようで早いもので一年が過ぎ去った。

 そして2019年の2月4日、朝に新聞を開くと、そこには再びたくさんのがんに関する記事が並んでいた。

 あれから一年、「世界対がんデー」が巡ってきたのだ。一年前の押し潰されそうな切迫した気持ちはもう消えていた(いや、別のが来ているか)が、我がことで有る無しに関わらず「がん」というものに向き合ってゆくことの大切さを改めてじっくりと噛み締めながら、記事をひとつひとつ読んでいった。今すぐ何かはできなくても、いつか何かできることがあるように。

 2月13日は亡き父の命日。

 新たな「特別な日」が、自分の暦に加わった。

(2019年2月12日投稿)