【映画記録】装幀者の姿

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 下高井戸シネマにて、映画『つつんで、ひらいて』(2019年)を観る。新型コロナウイルス禍による営業自粛などの影響もあって、映画館で映画を観るのはほぼ4か月ぶり。やはり映画館で、大きなスクリーンと本格的な音響設備のもとで映画を鑑賞するのは、本当にいいものだ。それが、私がよく通うこの下高井戸シネマのような、小ぢんまりとした「街の名画座」であっても。

 1万5千冊の本をデザインしたという装幀者・菊地信義氏に密着したドキュメンタリー映画。多くの本好きの人がそうであるように、私もまた本好きと同時に本の装幀が大好きなひとりなので、菊地氏が装幀を手がけた美しい本が次々と画面に映し出されるだけで感涙もの(笑)。それだけでも、観る価値十分の幸せに満ちた映画だ。さらに、映像はテキストにしっかり向き合いながらデザインをおこなう菊地氏の姿を映し出し、製作過程や思想意識にまで踏み込む。

 私はドキュメンタリー映画を頻繁に観る人ではないので確とは言えないが、この映画は極力説明を排し(最小限の説明をテロップで流す)、ひたすら映像に「語らせ」ようとしている印象を持った。菊地氏の活動を追った映像の積み重ねから、彼の日常に寄り添うような臨場感を創出している、というか。ということは、この公開用の最終版を編集するために、膨大な時間の使われなかった映像が存在することになる。ものすごい量の映像的積み重ねを広瀬奈々子監督はおこなっているのではないか、と思わせるものが映画の全編から漂っているのだ。この装幀者の本質に迫るために、実に多くの時間を費やしてカメラを回して彼の仕事ぶりを追い、共に過ごす時間を積み重ねることで信頼を勝ち得ていく。そしてそこから、編集力の妙でエッセンスを切り出していく。まさにこの「編集力」がポイントだ。ドキュメンタリー映画とは、編集の力が最も大きくものをいうのではないだろうか。

 画面から伝わってくる菊地氏は、いかにも一途な職人らしさを滲ませて、とてもシャイな人という印象だ。映画の前半では仕事に打ち込む彼の背中か横顔を写すばかりで、菊地氏もこちらを見ることはほとんどなく、インタビューらしきものもない。ようやく映画のラストにおいて、ほぼ唯一のインタビュー場面があり、菊地信義氏は画面を(私たち観客の方を)まっすぐに見つめる。ここに至るまでの、その積み重ねと苦闘(?)の軌跡が、画面の端々から伝わってくるような気がするのだ。

 オープニングの映像で、本が製本機で次々と製本されてゆく。その過程を眺めるだけでも本好きとしては嬉しいものだが、ある本の装幀のために特殊な紙を開発してもらったり、工場で印刷・製本をいろいろ試したりする現場も出てきて、まさに狂喜乱舞だ。この映画を観ると、本を「買いたく」なるな(笑)。

映画『つつんで、ひらいて』公式サイト

(このブログは「装丁」表記で統一していますが、この記事では映画の表記に合わせて「装幀」表記にしています。私はどちらの表記もとても好きなのですが)

(2020年8月21日投稿)