土と星

 国立新美術館で開催中の企画展『イケムラレイコ 土と星』"Leiko Ikemura: Our Planet"を観てきた。会期末が近づいて少々焦ったが、見逃さずに済んで本当に良かったと思える展覧会だった。

 現代美術家の展覧会を観ることは、その作家の頭の中に入ってゆくような感覚が非常に強く伴うのだが、今回のイケムラレイコ氏の展覧会はそれが特に強く、まさに作家本人の頭の中や心の内側に分け入ってゆくような体験だった。これはひとえに、作家自身による会場構成の故だろう。イケムラ氏自らが、これまでの自身の作品をテーマごとにインスタレートして、再構築された展覧会場。自らの軌跡と自作への温かいまなざしとともに、自作を通して自身を客観視する冷静な視線。それこそが寧ろ作者の内面性を強く観客に印象付けることに繋がっているのだろう。

 絵画、デッサン、彫刻に塑造、写真に版画と多岐にわたるメディアによる作品群。そして言葉も駆使して詩や文章も綴られ、多角的なイケムラ氏の活動を概観できる回顧展。

 彫塑作品の素朴で慎ましやかな佇まいは、東日本大震災への鎮魂を契機として制作された「うさぎ観音」に結実する。穏やかな、永遠を秘めたその表情、全てを抱擁するかのようなその造形に深く心を動かされる。

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(この記事の写真は、全て会場内の撮影可能エリアで撮影されたものです)

 だが、私が最も見所だと思うのは、やはり絵画作品、それも中期以降の帆布でなく目の粗い麻布であるジュート布に描かれた作品群だろう。水平線や横たわる少女や様々に展開するイメージが、ジュートの布目の効果と相俟って、輪郭線や境界線がとても朧に表現され、絵の全体がぼんやりと淡いタッチに仕上がっている。慎ましやかで、どこか闇の中に浮かび上がる薄明の世界、夢の中に溶け込もうとするかのような、誕生以前の未分化の世界。あるいは、骸と化したのちに土へ帰る始原の世界。「生命の根源」とでも呼びたくなるような淡い画面を、我々は吸い込まれるように見つめるのだ。

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 特に、上の写真のような、「コズミック・ランドスケープ」とテーマづけられた最近作の輪廻転生を描いた大画面の絵画群。一貫してヨーロッパで活動し続けたイケムラ氏が、常に日本そして東洋のアイデンティティを持ち続けたように、これらの作品でも東洋の山水画の構図や技法が生かされている。巨大な空間の四方に桃源郷を描いたこれらの絵画を掲げた最後の展示室は、まるで巨大な屏風絵に囲まれた日本建築の空間に佇んでいるかのようだ。

 この展覧会は残念ながら4月1日で会期が終了してしまうが、展覧会の図録は一般書店で流通する書籍として発行されているので、会期後も書店で購入することができる。この図録を見るだけでも、イケムラ氏の内面世界を追体験できるので、一見の価値ありだ。

イケムラレイコ 土と星 Our Planet

イケムラレイコ 土と星 Our Planet

 

 (2019年3月30日投稿)

失われた日々

 大崎善生著『ロストデイズ』を読了。『指輪物語』を読んだ直後なので、こういう「現代的」な文章の小説がするすると読めてしまう(笑)。

ロストデイズ

ロストデイズ

 

 大崎善生氏の小説は、映画化された『アジアンタムブルー』をはじめとして何冊か読んだが、どうにもこの作者の言葉の選び方に疑問を感じてしまうことが多い。言い回しとしてその言葉選びは正しいのか?とか、ついつい気になってしまい(するする読んでいる中であっても)読む手が止まってしまう。更に、物語中で明らかにとても重要なモティーフ(この小説だとマーティンのギター)が物語の途中で唐突に出てきてとってつけたように感じてしまったり、起承転結は整っていてもその中でのエピソードの並べ方に作者が頓着してないように思われたり。連載時の文章がそのまま残ってしまって複数の章に重複した文章や表現が見られたり。同じモティーフを別の小説でも登場させることが多いのだが、それがかなり直球で似たような使い方なので、つい「使い回し」感を感じてしまったり。

 ついつい不満ばかり並べてしまったが、それらの不満を押し返して余りある「凄さ」が大崎善生氏の小説にはある。それは大崎氏が常に人が「生きる意味を問う」姿を小説の中心に描いていることだ。この非常に難しく抽象的な主題に、氏は常に挑戦している。そして最後に、登場する人物それぞれのやり方でその「答え」にたどり着く姿を描いているのだ。

 この『ロストデイズ』の場合だと、頂点を極めてしまったあとの「人生の下り坂の生き方」と「夫婦としての人生の歩み方」という、非常に抽象的で、その疑問に至る過程すらかなり繊細なエピソードを積み重ねてしか表現できない問いを、テーマとして設定している。そして、物語の中で、これ見よがしの派手な事件やあざとい展開を使わずに主人公たちを「答え」にたどり着かせているのは、ある意味感動的でさえある。その終着の舞台が南仏のニースであったのは偶然ではないだろう。「旅」の非日常に身を置かないと、人生の根源を問う命題を見つめ通すことはできない。

(2019年3月19日投稿。記事を書いてから2週間以上も放置してしまいました…。)

旅の仲間。滅びの風。

 J・R・R・トールキン著『指輪物語』"The Lord of the Rings"の第1部『旅の仲間』"The Fellowship of the Ring"を読了。

指輪物語 第1部 旅の仲間

指輪物語 第1部 旅の仲間

 

 『指輪物語』をきちんと再読したのは本当に久しぶりだ。現在流通している新訳版にきちんと取り組むのは初めてかもしれない。中学〜高校生の時に初めて読んで(あの頃は旧訳版だった)以来、大学生の時には授業でエッセイ執筆のため原書にも挑戦したこともある。世に「正典」「古典」と呼ばれるものがあるとすれば、まさにこの『指輪物語』がそのひとつに挙げられる。そう思うほどに(心ある方ならば、当然皆そう思いますよね?)この作品への愛着は強いのだが、それ故なのか、読む際にはどうも相当の「構え」が必要になってしまう。きちんと背筋を伸ばさないといけないような気持ちになってしまうというか。いや、今回読んでいるのが、1992年のトールキン生誕百周年記念に出版された大型愛蔵版であるから、かもしれない。「大型」なので、何しろ大きいし、ずっしりと重い。大きく重いこと百科事典の如し。当然、外出時に持ち歩くわけにゆかず、自宅にてある程度時間がとれる時に座卓(「こたつ」ともいう)に正座して書物を繙くことになる。当然のことながら、読み進めるにも時間がかかることになり、この第1部『旅の仲間』を読了するのに20日以上も費やしてしまった。

 改めてこの第1部を読むと、この物語が実に端正かつ、たゆたうような悠揚迫らぬ語り口の文章で綴られていることに気づく。それが瀬田貞二氏による訳文によって更にクラシカルな言い回し(何しろ初訳は1971年刊、今から50年近くも前だ)で滔々と語られる。いわゆる「文学的」な美文ではなく、朴訥でさえある言葉遣いで淡々と事物を描いているために、ある種の「神話的」な印象を読者に与えているように思う。事実、このあと第2部・第3部では物語そのものが実に「神話的」になってゆくのだから、その意味ではこの語り口こそが相応しいと言えるし、作者も訳者もまさにその効果を狙っていたのかもしれない。だから、この本を読む時には、自然と背筋が伸びようというものだ。

 第1部に限って言えば、特に前半は前作『ホビットの冒険』"Hobbit"からそのまま続くような、のんびりとした牧歌的なエピソードに満ちているのに気づく。前作の持つ児童文学的なノリに近い感じなのだ。冒頭の誕生パーティに始まり、マゴットじいさんの歓待の場面やトム・ボンバディルの不思議な館での体験にエルフとの遭遇など、実にお伽話的な場面が連続する。しかも食べる場面の多いこと(笑)。『ホビットの冒険』は子供向けとして明確に意識して書かれたので、前作から違和感なく移行できるようにという作者の配慮が働いたのだろうか。第1部の前半は、ほとんどホビットたちだけのホビット庄の中での物語が大部分を占めるので、シリアスで深刻な事態もホビットたちが立ち回るとどことなくコミカルに見えてしまうから、だけなのかもしれないが。ホビットたちの視点なので、食べ物と詩に溢れ、「外の世界」の珍しいものへの彼らの驚きが素直に表現されているのだろう。

 それが「馳夫」ことアラゴルンの登場で物語の雰囲気が少し変わり、裂け谷の滞在以降の後半では、このあとラストまで物語を支配するシリアスでダークなトーンが覆い尽くす。『ホビットの冒険』にない、『指輪物語』の主要な色調は「滅び」だ。物語の序盤から滅びや終末が幾度となく(特にエルフたちから)語られることか。エルフの女王ガラドリエルの美しさは、滅びゆくものの美しさだ。最終的に正義が勝利しても、滅びゆくものたちがこの世界を去らねばならぬ運命は変わらない。予め定められた終末に向けて、この壮大な物語は走り続けるのだ。

 この「神話的」な「第2世界」にしばらく身を置いたので、こののちは、他の本でワンクッション入れてから、改めて第2部『二つの塔』に没入するとしよう。

(2019年3月7日投稿)

「百ちょ森」を「てんけん」する

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 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『クマのプーさん展』"Winnie-the-Pooh: Exploring a Classic"を観てきた。

 昨年の映画『プーと大人になった僕』"Christpher Robin"が予想外に素晴らしかったおかげで、ちょっとした「プーさんブーム」(もちろん原作=オリジナルの児童文学のほう。断じてディズニーキャラのほうではありません)が来ていた私はかなり楽しみにしていた展覧会だ。うまいことタダ券をゲットして観に行くことができたのは幸いだった。

 何しろロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)で昨年開催された展覧会の巡回展である。展示物や展示内容のクオリティの高さは言うまでもなく、A・A・ミルンA. A. MilneとE・H・シェパードE. H. Shepardが作り上げた物語の制作過程や背景などをきちんとキュレーションして展示構成に反映している。作品を鑑賞するのみならず、『クマのプーさん』の物語世界を体感できるような会場構成の工夫も凝らされている。

https://www.instagram.com/p/Bt7luJugn3b/

(上の写真は、会場内に限定設定された撮影可能スポットにて撮影しています)

 ただ、英語圏でない日本での開催ということへの配慮なのか、ロンドンでの展示とは構成を変えたようだ。その結果、日本ではミルンによる文章や物語制作への言及の比重が軽くなってしまった印象は拭えず、シェパードの挿絵原画や鉛筆スケッチなどの展示ばかりになってしまったような印象は拭えない。展覧会の図録はV&Aの発刊した英語の図録を忠実に日本語訳した本なので、おかげでV&Aでの展示構成を窺うことができるのだが、それを見ると、あるいはV&Aサイトのアーカイブで確認できる展示会場の様子を見ると、ミルンが「プーさん」の文章での言葉の使い方の面白さや言葉遊びに、一章を割いてスポットを当てている。だがこの日本展の実際の展示では、その言葉に対するパートがそっくり省略されていた。

 まあこれは、原作が英語で書かれているのである程度仕方がない、とも言える。原語で読んでいない日本人の観客(私自身もその一人)へのアピールが弱くなるだろうという配慮が働いたのだろうな。

 ではあるのだが、例えば「ミッフィー」や「ピーナツ」のように資格的要素の比重が圧倒的に大きいケースならともかく、「プーさん」はミルンの文章とシェパードの挿絵とが比重としては半々であるのだから、もう少し日本ならではの工夫ができたにも思うのだが。ただ、その代わりというか、石井桃子さんによる日本語訳の文章はかなり頻繁に展示原画と関連して掲げられていたので、その意味ではディズニーキャラとしての「プーさん」しか知らない人には、格好の入門にはなっているようには思った。

クマのプーさん 原作と原画の世界 A.A.ミルンのお話とE.H.シェパードの絵

クマのプーさん 原作と原画の世界 A.A.ミルンのお話とE.H.シェパードの絵

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クマのプーさん プー横丁にたった家

クマのプーさん プー横丁にたった家

 

  というわけで、かなりサイズの小さい原画やスケッチが詳細な解説や物語からの文章とともに並んでいるために、観客が一点ごとの鑑賞する時間が長くなる。おまけに、さすがプーさんの人気ぶりというべきか、会期が始まって間もないのにかなりの混みようだ。いきおい会場内で作品鑑賞を待つ人の行列があちこちでできていた。正直言って私などは、会期初期の平日の昼間だから空いているだろうとタカを括っていたものだから、この混雑ぶりに出くわしてびっくりしてしまった。この伝だと、春休みに入る会期後半や、特に終了近くにはものすごい大混雑になってしまうんじゃないの? この展覧会が気になっている方は早めの鑑賞をお勧めします。

 それでも、やっぱりシェパードによる挿絵の原画や、特に鉛筆スケッチ画の実物をたくさん直に観られたのは素直に嬉しい。シェパードは鉛筆スケッチからトレースをして印刷に使うペン画挿絵を制作していたそうだから、鉛筆スケッチは最終的な挿絵そのものに近い内容のものが多い。間近に見る、強弱も太さも自在な鉛筆のタッチが息づいている。その中で、何度も描き直したり描き加えたりしてキャラクターのポーズや絵の構成を試行錯誤した跡も窺えて、挿絵の制作過程がほの見えてくるのも興味深い。なんでもシェパードの鉛筆画は保存上の理由から、一度展示したら以後10年は公開されないそうだ。非常に貴重な機会であったのは間違いない。ぬいぐるみらしさを失わないことを心がけたというキャラクターたちの造形も心和ませるが、それ以上に背景に展開する英国の田園風景、特に植物の描写の正確さは注目に値する。ささっとスケッチめいた描き方ながら、きちんとその植物の特徴を正確に捉えているのだ。シェパードはミルンとともに、物語の舞台であるアッシュダウン・フォレストを実際に巡り歩いたそうだから、詳細な観察の成果なのだろう。中でも、ぐねぐねと枝が曲がった灌木やアカマツの樹々の描写の英国らしさと言ったら! 私もかつて英国に一年間留学した経験があるので、その時に見た田園風景を如実に思い出してしまって、実に懐かしい思いに包まれたなあ。

 昨年、映画『プーと大人になった僕』を観てから、当然のように私が持っている岩波書店版の原作(もちろん石井桃子さん訳!)を読み返し、これはぜひにもオリジナルの英語版を読まねばと原書の購入を検討したのだが、未だ果たせないでいる。せっかく展覧会を観たのだから、今度こそ手に入れるとしよう。

(2019年2月22日投稿)

二月の鬱

 「二月という月は、私にとっていつからか凶の月となっていた。」

 御年96歳の作家・瀬戸内寂聴さんが朝日新聞で連載なさっているエッセイ「残された日々」の、2月14日の書き出しである。瀬戸内さんの身の回りの大切な人が亡くなったり人生の厳しい出来事が2月に集中して起こっている、という文章が続く。この日の題も「二月の鬱」。

 以前もこのブログで書いたが、2月が好きな方々には申し訳ないが、私は一年の中で2月が一番嫌いだ。というより、2月は一年の中で悪しき、忌むべき「気」が最も濃厚になる季節だと常々感じている。毎年2月になるとバイオリズムが乱れるというのか体調がどことなく優れず、気分も訳もなく落ち込み鬱々とした日が続く。日数が少ないのを幸いと(だから2月は28日しかないのか?)早く3月になるのを待ち焦がれる日々だった。それは春の到来を待ち望む心という、多くの人に共通する気持ちとも言い換えられるかもしれない。

 特に昨年2018年は、私の父親が2月13日に亡くなり(父は誕生日も2月だった。2月22日生まれ)、それから幾らも経たずに私の家族の身近な大切な人が急逝され(しかも痛ましいことに自死だった)と、立て続けに死の影が私の周りを色濃く覆いつくした。誠に忌まわしい「気」が極まった、深い悲しみと喪失感に満ちた2月であった。「死」が私の頬を撫でていくかの如きであった。

 が、瀬戸内さんのエッセイを読んで、2月に対してそう感じるのは、どうも私だけでないようだと思った。

 良くないことが起こる数や頻度が実際に2月に多くなる、というのではないのだろう。良くないことが起こった際に、あるいは起こらなくても予感や「気」だけで、それが2月であることでより「負」の度合いが深まるように受け止める(私や瀬戸内さんのような)人が多いように思われるのだ。

 もちろん、科学的な根拠があるわけではなく、かなり主観的な「感覚」のことを言っているので、それを実証できるわけではない。ただ、いわゆる「冬季うつ」などの影響はあるのかな、とは思えなくもない。冬の間に少しずつ積もった「負」の感情や感覚が2月にその頂点に達するというか。

 2月14日がヴァレンタインデーとして、恋する人・愛する人の日として定められているのも、もしかしたらこの「二月の鬱」に対抗するために決められたのかもしれない、などと想像してしまう。敢えて「愛」を賞揚しポジティブな感情を高めることによって、2月に増大した「負」の蓄積を抑えるために。

 ヴァレンタインデーの起源は、ローマ帝国の女神ユノーJunoの祝日が2月14日だったことにまで遡るらしい。ユノーは家庭と結婚の神でもあったので、この日は結婚を祝うルペルカリア祭が行われる日だったと、Wikipediaには書かれていた。なるほど。

 「二月の鬱」を打ち負かすのは、愛の力。目の前に広がる虚無の闇を覆い尽くすほどに愛の力の温かみを広げて、前を向いて歩んでゆくのだ。

(2019年2月17日投稿)

そして一年。

 2019年2月13日。

 私の父が胆管がんでこの世を去ってから、ちょうど一年が経過した。

 今日は亡き父の初めての命日。一周忌だ。

 長いようで早いもので、あれから一年経ったのか。呆然とするばかりだ。

 そして、「死」は私たちとともに常に在ることを想う。 

    https://www.instagram.com/p/BtyYSkOAaUm/

 

(2019年2月13日投稿)

世界対がんデー

 毎年2月4日は「世界対がんデー」(ワールドキャンサーデー、World Cancer Day)。「世界中で人々ががんのために一緒にできることを考え、約束を取り交わし、行動を起こす日」で、2000年2月4日にパリの「がんサミット」で始まった記念日だそうだ。

 http://www.worldcancerday.jp/

 私が「世界対がんデー」をはっきりと実感を伴ったものとして認識したのは、恥ずかしながら昨年(2018年)の2月4日だった。5か月前に見つかった胆管がんの状況がとても厳しくなっていた父を母とともに支え、辛く重苦しい気分を抱えた毎日(ただでさえ2月という月は一年で最も悪しき気が濃くなる季節なのに)の中、新聞を開くとがんに関する記事がずらりと並んでいるのにびっくり。片っ端から貪るように読み、それで初めて今日がそのような日だと知ったのだった。正直言って、自分の身近なところでがん患者がいなければ、ここまで真剣にがんの問題に向き合わなかっただろう。人というものは我が身に降りかからないと、世の中の様々な問題に向き合おうとしないものだ。実感。

 そんなわけで「世界対がんデー」を機に、がんについて深く考えた昨年の2月4日だったが、その時は父がそれから10日も経たずにこの世を去るとは思いもしなかった。

 父の没後は、深い悲しみと喪失感の中で山のような手続きやら、父に頼まれていたのに生前に完成できなかった父のエッセイ集の編集作業やらに忙殺されて日々が過ぎた。心の中がずっしりと重いものに潰されて周りを見回す余裕もなく、ましてやがんについて想いを馳せることもないままに、長いようで早いもので一年が過ぎ去った。

 そして2019年の2月4日、朝に新聞を開くと、そこには再びたくさんのがんに関する記事が並んでいた。

 あれから一年、「世界対がんデー」が巡ってきたのだ。一年前の押し潰されそうな切迫した気持ちはもう消えていた(いや、別のが来ているか)が、我がことで有る無しに関わらず「がん」というものに向き合ってゆくことの大切さを改めてじっくりと噛み締めながら、記事をひとつひとつ読んでいった。今すぐ何かはできなくても、いつか何かできることがあるように。

 2月13日は亡き父の命日。

 新たな「特別な日」が、自分の暦に加わった。

(2019年2月12日投稿)