「秘すれば花」「ストーリーテラーズ」展

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 人間ドックで疲れ果て、おまけに夕べは飲み過ぎてプチ二日酔いだったが。午後遅くには妻と私の両親と四人で六本木ヒルズへ出かけ、森美術館で開催中の「秘すれば花」展と「ストーリーテラーズ」展の、二つの展覧会を観に行った。実は私だけは開催前の内覧会で一度観ていたので、これが二度目の来展である。
 「秘すれば花」展のほうは、台湾・韓国・中国そして日本と、東アジアのアーティストの現代美術を集めた展覧会。家具などを使ったインスタレーションが多く出品されていて、インテリア好き・インスタレーション好きの私にはとても嬉しい。特に、ジァン・ウンボクの東洋風の寝具を使って、ひとつの空間を作り出している作品はとても気に入った。そこについ今しがたまで人が寝ていたかのような感覚さえ覚えるのが面白い。
 スゥ・ドーホーの、布だけを使い建築物を原寸で再現してしまう作品(しかも細部まで!)も素晴らしい。形はどう見ても(韓国の)伝統的な家の入り口と屋根の一部なのだけれど、材料はあくまでふにゃふにゃした緑色の布なんだよね。そのギャップが面白い。(布なので)向こう側が透けて見えるのも、本当の建物だったらあり得ないわけで、不思議な感覚である。
 このように、ひとつひとつの作品について書きだしたらきりがないくらい、内容の濃い展覧会であった。出品されているどの作品にも共通して言えることは、それぞれの作家が東アジアの伝統芸術や文化・生活や社会に向き合いながら、それを個人的な/現代的なコンテクストで表現しているということだろうか。珍しく“捨て曲”ならぬ“捨て作品”がほとんどなかったのが嬉しかった。(シャオ・イーの映像作品と奈良未智などのキャラクタライズされた人物を除き)人物を表現したものがなかったのも、すごく高ポイントだった。私も自分の作品には人物を一切登場させないので。そういえば小林俊哉の「現代の水墨画」といった風情のぼかされた写真作品を見て、母親が「お前の作品みたいだねえ」と言った。そんなこと言われると作品を作りにくくなってしまうではないか。やれやれ。自分でもちょっと思ったけれど(笑)。
 後半の「ストーリーテラーズ」展は、「物語」を表現の手法に取り入れた作品を集めた展覧会なので、いきおい映像作品がかなり多い。映像ってけっこう疲れるんだよねー。前半でかなり力を使ってしまったので、けっこう飛ばしてしまったものもあった。それでもがんばって鴻池朋子のファンタジックな映像は最後まで観た。“みみお”がかわいくて気に入った。最注目作家と言われているキャラ・ウォーカーの壮大な切り絵作品は、最初見たときは「すげえー」と思い、そのリズミカルな影絵群が心地よいとは思うものの、別にすごく気に入りはしなかった。むしろクリュードンやエクスラーの写真作品のほうが、私にとってはストンと腑に落ちて好きだった。
 妙に現代美術に作者の「意図」や「動機」を求める人々や、やたらと作品に意味付けをしようとしたり社会の何かへの「問題提起」を見いだそうとする論文などをよく見かけるのだが、私はそういう見方を好まない。問題提起しなきゃアートじゃないわけ? 意味がないのは作品じゃないわけ? 純粋に、目の前の作品をあるがままに楽しんで“好き”“嫌い”でいいんじゃないの? もちろん、そういう意味付けや問題提起を狙って作品を作る人もいるし、アートならではの「問題の投げかけ」はすごく有効だと思うのだが、私が作品を作るときは「面白いじゃん、いいじゃん」で作っているからかもしれないが、そんなにしかつめらしく解釈しなくても……とは思う。そういう無意味(?)な意味付け・問題提起をさせようとする一部の態度が、現代美術を人々から遠ざけてしまっているのではないかと考えてしまうのですよ。
 父親が、ウォリンジャーの空港の出口から出てくる人々を延々とスローモーションで写している映像をずーっと眺めていた。「こういうのって、じーっと観ちゃうんだよね。なんか次に何があるのかなーって気になっちゃって」とのこと。こういう鑑賞の仕方でいいのだ。しっかり作者の術中にはまっているわけだし(笑)。
 展覧会のあとは、4人で会員制クラブ「六本木ヒルズクラブ」で食事。といっても会員でもなんでもないのだが、たまたま食事券をいただいたので、めったにない機会を体験しました。写真は、レストランの窓からの夜景。