静物画の秘密。

食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む (光文社新書)静物画
 昼間は、小雨の降る中、妻と六本木(というより乃木坂?)にある国立新美術館へ行き、開催中の「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密」展を観てきた。ウィーン美術史美術館も、日本初公開とやらのベラスケス「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」もどうでもよくて、専ら私の目的は「静物画」。
 いやもちろん、ウィーン美術史美術館は全然どうでもよくない素晴らしい美術館です。特にブリューゲルの主な名作はここの美術館に集結しているし。英国留学時代に一度行って、素晴らしい名品の数々を堪能したこともあります。それに、ベラスケス(ヴェラスケス)の作品も私は大好き。その中でも、なんといってもプラド美術館の至宝「ラス・メニーナス」(女官たち)は人類の至宝とさえ言ってもいいくらいかと。ええ、素晴らしい画家です。
 でもこの展覧会は、タイトルが示すとおり「静物画」の展覧会じゃないですか。なのにポスターもチラシもチケットの絵柄も図録の表紙さえもマルガリータ王女だなんて! これは「肖像画」であって「静物画」じゃない! 展覧会の主旨から見事に逸脱した宣伝活動がなされていたのでした。まあ、国立美術館といえども今や独立行政法人。しっかり入場者を稼いで自活しなければならないこのご時勢。当然人を呼べそうな"目玉"を前面に出して、たくさんの人を呼びたい気持ちも分かります。多くの人にアピールできるのは人物画だしね(私の嗜好はマイナーだし。笑)。でもちょっとやりすぎのような気がしたぞ、これに関しては。
 まあ、それはともかく「静物画」。今回の展覧会の最大の楽しみである。6、7年くらい前から17世紀オランダを中心として盛んに描かれた静物画が、私の中で静かなマイブーム(死語)になっているのだ。美術史を専攻する学生時代は全然興味がなかったのに、不思議なものだ。やはり私自身が作っている作品の影響だろうか。ここ10年ばかり、とみに"静謐なもの"への志向が自分の中で非常に強いから、というのはあるだろう。描かれ方にもよるが、17世紀頃の静物画は、まさに"静謐"そのものといった作品が非常に多く、そこの社会的背景や込められた意味など云々以前に、観ていて非常に心地よいのだ。
 そんなわけで非常に楽しみにしていたこの展覧会、期待通りとても堪能して鑑賞できました。嬉しいことに、作品の横に社会背景や象徴物・込められた意味などの解説が掲示されていて、より深く作品を味わうことができる。果物・野菜・食肉などの食物や食器、"死"や"虚無"を表す品々、楽器や世界図……。どれも素晴らしい写実性と質感を持って描かれ、額縁の中に佇んでいる。素晴らしい。花の絵や人物と一緒に描かれた絵もあったが、私としてはもっともっと、人のいない純粋な"静物画"が観たかったくらいだ。が、それでも、非常に満足して会場を出ることができた。あ、ベラスケスのマルガリータ王女も、それ単体は非常に素晴らしい作品でした。私にとっては、あくまで静物画を楽しんだ後の"つけたし"でしかなかったけれど(笑)。
 それにしても、それまで人物画や歴史画が中心の絵画史において、風俗画のいちジャンルとして(とも一概には言えないが)静物画が描かれるようになった社会的・歴史的な背景はまことに興味深い。例えば食物が描かれた静物画には、以前読んだ宮下規久朗氏の「食べる西洋美術史」(この本オススメ!)でも触れられていたように、裕福な人々でさえ必ずしも食物が充分に得られなかったという厳しい"現実"が背景にあったのだろう。
 さらに、この静物画の系譜は、拡散や変容を経て、確実に現代まで続いている。私の作る作品の多くも、かなり静物画的だと思うし。例えば椿野恵里子さんの作る写真作品は、被写体である日常の品々の背後に、素敵な生活をほのかに映し出すという、優れて静物画的なものだろう。もっといろいろ静物画について知りたくて、図録を購入してしまった。どうも「静物画」熱が再燃しそうだ。ワクワク。

 それにしても、こういう、いわゆる美術史的な"絵画"の展覧会を観たのは、えらく久しぶりのような気がしてしまう。観たい気持ちは、いつでもあるのだけれどな。