2か国代表

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 先週末に知った復活劇。2度の日本代表の後、12年ぶりに違う国籍でのオリンピック出場を決めるなんて、まさに不死鳥のごとし、という感じだなあ。

井上、全米優勝で五輪へ 日本初の2カ国代表
 【セントルイス13日共同】フィギュアスケートトリノ冬季五輪代表選考会を兼ねた全米選手権第4日は13日、当地でペアのフリーなどを行い、昨年9月に米国籍を取得した29歳の井上怜奈が32歳のジョン・ボルドウィンと組んだペアでフリー1位の逆転優勝を果たし、日米通算で3度目の五輪代表を決めた。
 井上は千葉・新松戸南中3年の15歳で1992年アルベールビル五輪のペア、94年リレハンメル五輪の女子に日本代表として出場し、これが12年ぶりの五輪となる。日本スケート連盟によると、日本の五輪代表が他国で五輪代表になったのは初めて。
 井上組はショートプログラム(SP)4位と出遅れたが、フリーで高難度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)のスロージャンプなどを決め、181・05点で2年ぶり2度目の全米制覇。2位のマーシー・ヒンツマン、アーロン・パーチェム組も五輪代表に決まった。川口悠子、デビン・パトリック組は15位に終わった。
共同通信) - 1月14日11時57分更新

 私が井上怜奈さんの活躍をよく覚えているのは、1994年のリレハンメル・オリンピックで、フィギュア女子シングルの日本代表に選ばれたときのことだ。当時まんが雑誌の編集者をしていた私は、仕事の関係で1993年の後半は、いくつものフィギュアスケートの大会を取材で観に行っていた。
 リレハンメル・オリンピックの女子シングルの代表枠は2人。それを、佐藤有香八木沼純子小岩井久美子の3人が有力候補とみなされ、このうちのどの2人が選ばれるかと注目を集めていた。代表選考は難航し、最後の全日本選手権大会までもつれ込んだ。この大会の結果を見て決めようじゃないか、ということだったらしい。
 新横浜プリンスのアイスアリーナで行われた全日本選手権大会のフリー演技は、私も担当の作家さんと一緒に取材で観に行った。何しろオリンピックの代表選手がこの大会で決まるのだ。観ないでおくものか。大会の後には、ホテルの一室で代表の選考会と発表会ももう予定されていた(当時は、今のようなリンク上での発表ではなかった)。
 この大会のフリー演技で素晴らしい演技を見せたのが、あまり注目されていなかった、当時17歳の井上怜奈さんだったのだ。全くのノーミスで次々にジャンプを決め、リンク狭しと生き生きと滑る。何か"神がかった"といってもおかしくないくらいの非の打ち所のない演技。リンクサイドの観覧席で見ていた私などからは、その演技のすごさと迫力は圧倒的だった。専門家でなくても明らかにこの日の最高の演技なのは間違いないくらいだった。そんなわけで井上怜奈さんは逆転で2位に入り、当然オリンピックの代表に選ばれるという逆転劇を見せたのだった。
 残念ながら、オリンピックの本番では十分な力を出し切れず、転倒もあってあまり芳しくない結果に終わってしまったが、あの全日本大会の演技は、深く私の心に残った。
 その後は、あまり活躍の知らせも聞かず、彼女のことは忘れてしまっていたのだが、今回のアメリカ代表選出の報道から、リレハンメルの後は本来目指していたペアに戻ったこと、アメリカに渡って米国籍を取得したこと、そして肺ガンを克服して今回の栄誉に輝いたことを知った。
 す……すごすぎる。まさに波乱万丈だ。そしてその波乱の果てに今回の代表の座を獲得したとは、まさに不死鳥と呼ぶに値するような気がする。井上怜奈さんのトリノでの活躍に注目したい。
(写真は、夕食にいただいた、妻の作ったハンバーグ。ものすごく美味しかった。本文とは関係ありません)