阿修羅のジュエリー

studio_unicorn20090623

阿修羅のジュエリー (よりみちパン!セ シリーズ44)
 鶴岡真弓さんの好著「阿修羅のジュエリー」を、本日読了。
 かの「阿修羅展」(4月12日の日記参照)を契機として、世の中の阿修羅ブーム・仏像ブームにあやかるように、阿修羅や仏像を扱った雑誌や書籍がこれでもかと書店店頭に並んでいるが、この本も阿修羅展に関連して刊行されたようである。さらに、この本は理論社の「よりみちパン!セ」というシリーズの一冊で、中学生くらいでも読めるように漢字は全てふりがなつき、かつ文章は平易で分かりやすい表現につとめている。
 しかし侮ってはいけない。この本の目のつけどころは、他の阿修羅本とはちょっと違う。何しろ、著者の鶴岡真弓さんは、かの有名なケルト文様の研究をはじめとして、装飾美術史の第一人者である。阿修羅像の、ともすればその顔の表情やポーズに気を取られすぎて見過ごしかねない、身につけているアクセサリーや衣の模様などの「装飾」に注目し、その文様や意匠(デザイン)、表現されているジュエリー(宝石など)やモチーフなどをカギとして、古今東西時空を越えて論じていくという、なんとも独創的かつエキサイティングな本なのである。
 阿修羅像の装飾を発端として、宝石の交易路を辿ってシルクロードから古代インド・ペルシアへ、ビザンティン帝国のモザイク画からイタリア・ルネサンス肖像画、そしてさらに19世紀末に花開いた装飾芸術にモローやクリムトの絵画、果てはケータイのストラップに至るまで自由自在。しかもそれらの全てを等価に、縦横無尽に時空を越えて、意匠が東洋と西洋をひとつに繋ぎ、古代や中世を現代と連綿と繋ぐ。現代のチンケな「グローバリゼーション」とやらとは比べ物にならないほど高度に、文化は物資や装飾・意匠に乗って伝播していったのだ。そうして、「装飾」が単なる付加物ではなく、その時々の社会状況や人々の価値観などを反映し、人々の思いや祈り、表現の意図が込められた、大切な芸術の一要素だということを我々に語りかけてくれる。
 これは、芸術にとどまらず、優れた装飾やデザインには必ず、(無意識のうちでも)そこに至る背景や系譜、あるいは考え抜かれた意図・意味があるのだということにも通じている。現代人には、このことを見誤っている人が少なからずいるように思う。全ての意匠を「単なる飾り」として片付けて「本質がよければいい」とか嘯く人は、実は「本質」の所在が見抜けていないことが往々にしてあるようだ。この本は、そのことについても目を開かせてくれる。実に示唆に富んだ一冊なのだ。読むべし!
(写真は6月12日撮影)