話すということ、書くということ

声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)
 岩波書店の「ヨーロッパの中世」シリーズ(全8巻)の第6巻、大黒俊二著『声と文字』を、本日読了。2009年から徐々に読み進めてきたこのシリーズも、ついに6冊読んだことになる。どの本も何度も再読したいほど興味深く、刺激的で面白い内容であるのは喜ばしいことだ。
 普段私たちが何気なく話し、書いている言葉・文字。現代人たる私たちはそれが一つの言語であることになんの疑問もなく暮らしているが、それが当たり前でなかったのが、この中世のヨーロッパであった。ローマ帝国の「遺産」たるラテン語が公式の「書き言葉」=文字として汎用される一方、各地それぞれに人々が日常的に話す声=「俗語」が発達してゆき、ある種の二重言語体制が確立していった時代。その「声と文字」の関わりが社会の仕組みや人々の暮らしや営みの変遷の中でどう変化していったかを辿る概説書である。
 普段、声や文字や言語の関わりについてあまり意識することがない現代人にとって、この「ことば」(と総称しても良いだろう)という切り口で中世の人々の暮らしや社会の変化、政治・宗教や経済の発展を捉え直すことは、とかく教科書的な歴史を見る程度の機会しか持たない一般の我々にとって、同じ歴史に新たな側面を浮かび上がらせてくれて、実に刺激的である。大変面白く読み進められた。
 しかしこの中世ヨーロッパの二重言語体制は、ある意味で現代の世界にも当てはまるようにも思われる。すでに全世界を覆い尽くして「世界共通語」の様相を呈している英語を筆頭に、声でも文字でも優位に立つ言語がある一方で、使う人がいなくなって世界の片隅から消えてゆくあるいは消えつつある言葉がある。「声」と「文字」の立ち位置も技術の進歩によって様々に変化してきている。この本で書かれていることは、決して遠い中世ヨーロッパだけで終わった事象ではないことが、読了した今より強く感じられるのである。