【映画記録】挨拶ことばは「クー!」

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 下高井戸シネマにて、映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』デジタルリマスター版(露語題"Кин-дза-дза!"、英題" Kin-dza-dza!")を観た。

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 映画の最初の公開は1986年、今から38年前だ(日本での初公開は1989年)。伝説のカルト映画(この言葉も最近あまり見かけなくなった気がする)として名前はしょっちゅう聞くほど有名で、ずっと気になっているがなかなか観る機会の得られない映画というのがいくつかあるが、この『不思議惑星キン・ザ・ザ』はまさにその代表格。ようやく観ることができた。

 

 映画の制作国はソビエト連邦。れっきとしたソ連製フィルムである。冷戦期のソ連は米国と並ぶSF大国で、文学でも映画でも大御所の作家を多数輩出しているが、そういう意味ではこの映画もソ連SF映画の系譜に連なる一級品といえよう。まさにソ連SFの面目躍如の作品でもある。

 異星人の会話がほとんど「クー!」で終わってしまうのを始め、この映画にはバカバカしいくらいのヘンテコなノリが全編に満ち溢れ、独特の味わいを醸し出している。その辺りがカルト映画として取り上げられやすい要素なのだろう。とはいうものの、映画を観終わった私の最初の感想は「フツーにおもしろかったな」。カルト映画っぽい要素ばかりが強調される傾向があるが、物語そのものは非常に大真面目できちんとストーリーテリングされており、奇を衒うあまり観客を突き放すようなことは一切していない。友情やラストのカタルシスも込められて、非常にまっとうな娯楽作品に仕上がっている。まぁ物語の作りそのものはけっこう「ユルい」感じなので、現代のちょっと厳しい映画作りの視点からするとツッコミどころ満載かもしれない。全体の「ユルさ」とヘンテコなノリのせいで「何でもあり」感を出しているので、私自身は観ていて全然違和感はなかったけれども(笑)。

 惑星間の移動シーンもありながら、実は画面に宇宙空間が一切出てこないのも特筆すべきだろう。まぁ「特撮」に関しては、かなりの技術上の制約もあって手作り感が満載かな。それがまたイイのだが。映画のメインヴィジュアルともいうべき釣鐘型宇宙船が砂漠の上空をホワホワ飛んできて、ちょこんと短い脚を出して着陸するシーンの愛らしいことといったら!

 それは別にしても、この映画は随所に美しい場面が出てきて、その映像美を堪能するだけでも観る価値があると思う。延々と続く砂漠の中で繰り広げられる少々狂気を孕んだヴィジュアルイメージの数々は、まるでシュールレアリズムの絵画が動き出したかのようだ。特に惑星の首都において、地平線の彼方に巨大な風船のようなものが漂っている場面などは、まさにサルヴァドール・ダリの絵画の中に迷い込んだ錯覚すら覚える。

 映画に登場するキン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクが砂漠の星だというのは、巷では「スター・ウォーズ」シリーズの砂漠の惑星タトゥイーンからの影響だと言われているようだが、私はむしろフランク・ハーバートの『デューン砂の惑星』"Dune"からのイメージではないかと思った。これは昨年ドゥニ・ヴィルヌーヴがリメイクした映画版『DUNE/デューン 砂の惑星』を私が観てからそれほど時間が経っていないせいかもしれない。

 

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 別の面でこれはソ連映画だなと思わせるのが、登場する地球人のひとりゲデヴァンがジョージアグルジア)出身なので、彼の思考はグルジア語とロシア語の二つの言語でおこなうので読み取りにくいと異星人が文句を言う場面だ(この映画では、異星人は地球人の思考を読み取ることができる)。ソ連がいかに多民族連邦国家であるかの証左なのだが、もうひとつ気づいたこと。それは、この映画は実質的にジョージアの映画だということだ。

 ソ連の映画界を支えてきたのはジョージア出身の映画人達だというのは非常に有名な話だが、この映画はまさにそれ。ソ連製映画のクオリティが非常に高いのは、つまるところジョージアの映画製作のクオリティの高さゆえなのだ。この映画の監督のゲオルギー・ダネリヤは国籍こそロシアだが生まれ育ったのはジョージアだし、共同脚本のレヴァズ・ガブリアゼとその息子でゲデヴァン役を演じたレヴァン・ガブリアゼもジョージア人。音楽担当の高名な作曲家ギヤ・カンチェリ(!)も勿論ジョージア人。この映画がもし今初公開されたとしたら、当然のようにジョージア映画として世に出てきただろう。

 私は数年前にジョージア文化に俄然興味が湧いた時期があり(今もその熱は衰えていない)、その頃に何本か新旧のジョージア映画を観たことがあるが、人口が400万人に満たない小さな国とは思えないほど映画人の層がものすごく厚いのにびっくりした記憶がある。それはとどのつまり、ソ連時代は彼らが作った映画がソ連の映画として公開されていたというだけで、ジョージア人の映画の系譜はその頃から脈々と続いていたのだ。

(写真は全て2022年1月13日に東京・代官山にて撮影)

(2022年1月27日投稿)