飛鳥山にて「栄一詣で」

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」が最終回を迎え、ドラマが終わった今頃になって「渋沢栄一巡り」をしたくなり居ても立ってもいられなくなった(2022年1月5日の日記参照)私。

 さっそく渋沢栄一ゆかりの地のひとつ、東京都北区の区立飛鳥山公園を訪れた。この公園は江戸中期に8代将軍徳川吉宗が桜の名所として整備したのが始まりだそうだが、公園内の一角に、栄一が後半生を過ごした自邸が建っていたのである。

 ドラマでも再三にわたり登場した邸宅そのものは、残念ながら第二次世界大戦中の空襲によって消失してしまったそうだが、その跡一帯は現在も「渋沢庭園」として一般に公開されており、たいそう立派な建造物の「渋沢史料館」がそのすぐ脇に建っている。

飛鳥山公園|東京都北区

飛鳥山公園 - Wikipedia

渋沢史料館|公益財団法人 渋沢栄一記念財団

 史料館の向かいにあった大河ドラマ館は、昨年12月26日の最終回放送日に終了してしまったが、私たちのような遅れ馳せの「巡礼者」たちがけっこう多いらしく、史料館や関連施設はなかなかの賑わいを見せていた。

 もとより飛鳥山公園そのものがJR王子駅のすぐ近くに位置する、地元の北区の人々の憩いの場である。この日は日曜日ということもあって、実に多くの幅広い年齢層の人々が公園内のあちこちで過ごしていた。その様子を見るにつけ、この飛鳥山公園がいかに地元の人々に愛され、親しまれてきたかを実感する。そしてそこに暮らした「渋沢翁」こと栄一も、また。

 

f:id:studio_unicorn:20220116140731j:plain

 渋沢史料館にてパネルと史料の展示にて栄一の生涯を辿った後に、渋沢庭園内に残る「青淵文庫」を訪れる(上の写真)。

 1925年(大正14年)に、栄一の傘寿と子爵昇進を祝って竜門社(現・渋沢栄一記念財団)から贈られたという、煉瓦及び鉄筋コンクリート造の建物である。田辺淳吉という建築家の設計によるもので、大正期の代表的な洋風建築のひとつだとか。こちらは戦災を免れて、現在までその姿をとどめている。

 「青淵文庫」はドラマの中には登場しなかったが、栄一の論語関係の書籍を収蔵する書庫として、また接客の場として大いに使用されたという。

 

f:id:studio_unicorn:20220116145902j:plain

 モザイクタイルやステンドグラスを使い、細部までこだわりを尽くした意匠が実に見事だ。

 

f:id:studio_unicorn:20220116150245j:plain

 内装にも随所に繊細で優美な意匠が施されていて、じっくり観ていても見飽きない。決して過剰な華美に走ってはいないが、滲み出るような豊かさに満ちた往時のセンスの良さが偲ばれる。

 

f:id:studio_unicorn:20220116150812j:plain

 

f:id:studio_unicorn:20220116151819j:plain

 

f:id:studio_unicorn:20220116151842j:plain

 

 飛鳥山で栄一の在りし日々の残影を堪能したあとは、好評につき延長開館中だった「渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館」で買った栄一の故郷・血洗島(現・埼玉県深谷市)の名物「煮ぼうとう」を買い、翌日の夕ごはんにいただく。

 

f:id:studio_unicorn:20220117212110j:plain

 

 味噌仕立ての甲州山梨県)のほうとうと異なり、こちらは汁が醤油ベース。それでもほうとうの素朴な舌触りと味わいは変わらず、ほうとう大好きな私たち夫婦は大満足。大いに舌鼓を打ったのだった。

(2022年1月23日投稿)

 

 

みんながうれしいのが一番

 大丈夫だい。私が言いたいことはちっとも難しいことではありません。手を取り合いましょう。困っている人がいれば助け合いましょう。人は人を思いやる心を、誰かが苦しめば胸が痛み、誰かが救われれば温かくなる心を当たり前に持っている。助け合うんだ。仲良くすんべぇ。そうでねぇと、とっさまやかっさまに叱られる。みんなで手を取り合いましょう。みんながうれしいのが一番なんだで。

 吉沢亮さん演ずる91歳の渋沢栄一が、生涯を閉じるほんの少し前にラジオで発する最後のメッセージ。素朴な郷里のことばも交えながら語りかける。当たり前のことなんだけれど、私たちがなかなかできないこと。今日でも大いなる課題。それに向かって走り続けた栄一の生涯は、その生涯の軌跡そのものが私たちに向けた大いなるメッセージだったことに、最終回になってようやく気づく。

 

f:id:studio_unicorn:20220102164237j:plain

 

 大河ドラマ「青天を衝け」の最終回(第41回)の録画をこの日、ようやく観た。

 先述した通り昨年秋に新居への引っ越しに伴う前後のドタバタがあって、そのせいで録画したまま観ていない回が相当溜まって大幅に遅れてしまった。それでも頑張って消化して、最終回の本放送が流れた昨年12月26日の時点では残り4話まで追いついた。

 その一方でこの年越しの時期は、これも先述の通り住環境の著しい変化でプチ適応障害っぽくなって新しい暮らしに慣れるのに精一杯で、とても年末年始気分を味わう余裕もなくそれらしいことは何ひとつしなかった。このところ目の疲労度が再び悪化して画面を長時間見続けていられず、一日に観ることができるのはせいぜい1話分が限度なので、何もしなかったのが却って幸いして年末に連日まとまった時間を取れて数話分を続けて鑑賞できたのは大きく、残すは最終回のみ、というところで年を越した次第。

 

 昨年夏にこのテレビドラマについて書いて(2021年8月15日の日記参照)以来、もっと書こう書こうと思うだけで先述の通りのバタバタの渦中でもがくばかり。全く書けないうちに最終回を迎えてしまったのは非常に残念。それでも、幕末から明治への激動の時代をこれほどの新しい視点から描き切ったこのドラマを、最終回まで観ることができただけでも誠に幸いであった。それほどに、「青天を衝け」は、素直に「観てよかった」「一年近く付き合うことができて本当に幸せだった」ドラマだ。

 一年近くの期間を、週に一度とはいえひとつのドラマを観続けて「付き合う」ということは、ある意味ではそのドラマを生活の伴侶というか一部として、一年近くの期間を共に過ごすということでもある。勿論その人にとって、何らかの面で付き合い続けるに足るドラマでなければならないのはいうまでもない。「青天を衝け」は、まさにそれに値するドラマであった。

 唯一不満、というよりは本当に惜しかった&勿体無かったと悔しく思う点がある。それは、このドラマを高く評価するほぼ全ての人の意見として一致しているようだが、とにかく話数が少なすぎた(たったの41話!)、物語が短すぎたということだ。

 

 いやしかしそれにしても、今頃になって渋沢栄一の足跡を辿ってあちこち訪ねてみたくなってきたぞ。都内ですぐに行けそうなところでは、飛鳥山公園東京商工会議所は行くべきか。そして何より栄一の故郷・血洗島(埼玉県深谷市)に行きたくてたまらない。あの地平線に延々と畑が続く、日本人の原風景のような農村の景色は現代ではもう望めないのかもしれないが、東京で生活しているとまず感じることができない「武蔵野の地平線を眺める暮らし」に触れるだけでも、栄一たちの青春の息吹を感じ取ることができるような気がして。

 というより、これはきっと「青天ロス」「栄一ロス」の私なりの表れなのだろう。要するに、最終回を迎えてしまって、もうテレビではあの物語の世界を味わうことができないので、他の何かでその欠如を補填する必要がある、というか。そこでDVDなどでドラマをもう一度観返すという方向にはすぐにいかないのが、天邪鬼な私(笑)。小説版とかサントラとか活躍の舞台を訪問とか、微妙にドラマの周辺のものを当たることが多いのである。これはきっと、私がドラマそのものもさることながら、より以上にそのドラマの世界そのものに浸っていたいからなのだと思う。ドラマの中の世界に身を置いて、特に何もしないで佇んでいるだけでもいい、というか。

 ちなみに、これを書いている2022年1月13日の時点では、新しい大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第1話の録画は、まだ観ていない。今回の日記を書くまでは観ないつもりだった。うっかり観てしまうと、すっかり頭の中が「鎌倉殿」に占領されてしまってそっちのことばかり書きたくなって、今更「青天」のことを書く気が萎んでしまうかもしれないので……(笑)。

 うん、でも、最終回を終えて年が改まって、すっかり世の中が新しい大河ドラマ一色に染まってしまっている今こそ、私はむしろ「青天を衝け」についてもっともっと大いに語りたいのだ。今回はずいぶんと取り留めもなく書いてしまったが、それは書きながら「これも書かないと、あれも書かないと」と次々に浮かんでくるから(笑)。語りたいこと、語るべきことは山ほどある。毎回観るたびにメモを書いて、そのメモが全41話分でトラベラーズノートのリフィル一冊分に相当するくらいの分量はあるのだ。そうは言っても目の疲労が激しく画面を長時間見ていられないので、まあ大して書くことはできないとは思うけれども。何かの折に触れてでも、書く機会が持てれば何よりなのだが。とりあえず話数が短すぎたことについては書かないとな(怒)。

 

f:id:studio_unicorn:20220103155641j:plain

 

 「みんながうれしいのが一番」という、栄一が生涯胸に抱き続けて全ての行動の指標として掲げ続けたモットーは、今なお私たちに、私たちが向かう道が正しいのか問う時の指標であり続けていると思う。栄一たちが日本の近代に向かって開いた道は、私たちがこれまで歩いた道であり、これから歩んでゆく道に続いているのだから。

(写真は2022年1月2日と3日に撮影)

(2022年1月13日投稿)

住所が変わりました

f:id:studio_unicorn:20210907160003j:plain

 そんなわけで(どんなわけだ)、新しい家で暮らしている。

 私が生まれ育った東京は世田谷区代田にある実家を、独立型二世帯住宅に建て替える新築工事を今年(2021年)の頭から進めていた。私たち夫婦と私の母とが同じ屋根の下で個別に暮らせるようにとのことで、独立型の二世帯住宅にしたのである。その新居が9月に完成して引き渡しを受け、すぐに引っ越してから3か月半ほど経った。

 建物のプランそのものはいわゆる「コロナ以前」に出来上がっていたのだが、新型コロナ禍の影響による大幅な進行遅延に遭い、大きな障害を乗り越えて完成したので、ようやく、という感慨が強い。設計・監理をお願いした建築家さんとの最初の打ち合わせから数えると、完成までに2年以上かかったことになる。

 新居の場所はともかく家そのものは全くの新築なので、勿論3か月少々という短い期間ではとても新居での暮らしに慣れるはずもない。四季でいえばまだ季節ひとつ分だ。やはり一年通して暮らして、四季折々をひと通り体感してからでないと、「慣れる」ためのスタートラインにさえ立てないと思う。

 

f:id:studio_unicorn:20210907143914j:plain

 

 とはいえ、3か月経つとさすがに幾らかは新しい家に「落ち着いた」気分になるのは確かだ。引っ越して新居で暮らし始めた当初は、借り物感というか、どこかのホテルに長期滞在しているような錯覚にしょっちゅうとらわれていた。慣れていないのだから当たり前だが(笑)。

 だが、多少は落ち着いたといっても、現在でもけっこう心理的に負担を感じることもあるので、プチ適応障害になっているのかもしれない。

 そのせいもあるのだろうが、3か月半経っても今の自分の中に、クリスマスとか年の瀬とか新年とかを迎えられるだけの心の余裕が、1ミリもないのだ。今日が大晦日の前日だという実感が全くない(笑)。時間を流す人(そんな人はいないけれど)に向かって「ちょっと待って、ストップ! 年の瀬を迎える気持ちの余裕ができるまで止めておいて!」と叫びたいくらい。

 そんなわけで、今年はクリスマスも年末年始も、それらしいことは一切しません(笑)、というよりできません。私たち夫婦の結婚記念日だけはきちんと、二人だけで祝いましたが。年賀状もこれから作ります。出すのは年明けかしらん。

 

【2021年12月31日追記】

 その年賀状だが、元日に出すつもりで今日は気合を入れて作業したところ、我が家にある2台のプリンタが揃いも揃って不具合を起こす始末。用意したハガキ用紙の9割以上を印刷に失敗するという、自分史上前代未聞(?)の災難に見舞われてしまった。

 ほんの数枚だけなんとか見栄えがついたので今日投函したが、残りは年が明けてからプリンタを買い替えて、さらにハガキ用紙がなくなってしまったので買い足してからでないと作業できなくなった(泣)。波乱(?)の年の瀬になりました。やれやれ。

(写真は2枚とも2021年9月7日に撮影。まだ引っ越しの前なので、家具も何もなくてすっきりしています)

冬至の銀婚

f:id:studio_unicorn:20211222162801j:plain

 12月22日は、私たち夫婦の結婚記念日。

 この日は、毎年ではないがほとんどの年において冬至の日に当たる。

 今年(2021年)の12月22日も、冬至の日。

 さらに今年は、私たちの新しい家で迎える初めての結婚記念日になった。

 

f:id:studio_unicorn:20211222135506j:plain

 毎年結婚記念日に作る、恒例のブッシュ・ド・ノエルも、午前中のうちから作り始めて早々に完成。

 今年のは、新居のキッチンに備え付けのAEGオーブンで初めて焼いたブッシュ・ド・ノエルになった。そのためか、ケーキの生地が、今までのものよりふんわり仕上がったように感じる。

 

f:id:studio_unicorn:20211222173420j:plain

f:id:studio_unicorn:20211222173615j:plain

 結婚記念日の食卓を彩る花々。

 今年は、私たち夫婦の25回目の結婚記念日でもある。

 世にいう「銀婚」だ。

 ここまで二人で歩んできました。

 ずいぶん遠くまで歩んできたような気も。

 まだまだ、二人の道は続きます。

 

f:id:studio_unicorn:20211222192026j:plain

 記念日の夕食が始まるのを待つ、我が家の食卓。

 25年目にして、新居での初めての記念日の食卓です。

 

f:id:studio_unicorn:20211222204146j:plain

 本日の主菜、ローストポーク

 もちろん、これもAEGオーブンでじっくり焼き上げられた一品です。

 豚肉と一緒にローストした林檎とじゃが芋にも、豚肉の旨みがしっかり沁みています。(食材はどれも安いものばかりですが。笑)

 幸いなるかな、幸せに満ちた食卓よ。

(2021年12月26日投稿)

人生の「ヒマつぶし」

 数日前に、下高井戸シネマにてジム・ジャームッシュ監督Jim Jarmuschの2003年の作品『コーヒー&シガレッツ』"Coffee and Cigarettes"を観た。

 下高井戸シネマで映画を観るのはほぼ9か月ぶりだ。これまでも自宅から自転車で15分という近さがたいへん便利だったが、この度実家に戻って新しい家で暮らし始めたことによりますます近くなった。この日は試しにぶらぶら散歩がてら新しい自宅から下高井戸シネマまで歩いてみたが、ちょうど30分で到着。雨の日でも気軽に行けるようになってますますありがたい(この日もしとしと雨が降っていた)。

 この下高井戸シネマで、ジャームッシュ作品の80〜00年代前半の作品をまとめて上映する「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021」という企画が行われ、その一環として件の作品を観た次第。ジャームッシュ作品は何本か観たことがあるが、これは未見だった。

 コーヒー(時に紅茶)と煙草のある11篇の短編オムニバス。短編映画がけっこう好きな私としては、短編の集合体=オムニバス作品も勿論好きだ。

 

 

 綺羅星の如き出演陣やジャームッシュ作品ならではの妙な間合いやズレた会話など、ある意味同監督のこれまでの作品群の集大成とも呼べそうな内容だ。

 初公開から20年近く経った作品なので、様々なところで議論され尽くしているであろう。今更私が何か語ることもないだろうが、ひとつだけ言えることがある。コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりするときは、(勿論一話ごとにそれぞれヴァリエーションはあるものの)基本的に「ヒマつぶし」だ、ということだ。

 そして、そのヒマつぶしの中で交わされる会話やアクションもまた「ヒマつぶし」である。その他愛もない「ヒマつぶし」をする人々をスクリーンに映し出し、観客に凝視させる。他愛もないはずのひとときの中に、かけがえのない美や思わぬ人生の真実が露呈する……こともある、かもしれない。そのくらいの力の抜け加減を装いつつ、11の形の「ヒマつぶし」をジャームッシュは軽やかに、しかし大真面目に撮影・演出しているのである。

 

f:id:studio_unicorn:20211202165046j:plain

 

 考えてみれば人生そのものだって、大いなる「ヒマつぶし」に過ぎないとも言えるのだから、コーヒーと煙草を伴った他愛もない(ように見える)会話の中にも、人生そのものに匹敵する価値を持つ「何か」に出会うこともある。そう考えると、壮大な「ヒマつぶし」たる人生も捨てたもんではない、と思えてくる。最終話「シャンパン」は、その意味で非常に象徴的なエピソードだ。

(写真は12月2日に、下北沢にて撮影)

紙の本の「効用」

f:id:studio_unicorn:20211206171301j:plain

 朝日新聞の毎週木曜日夕刊に掲載されている脚本家・三谷幸喜氏のコラム「三谷幸喜のありふれた生活」。毎週楽しみにして欠かさず読んでいるのだが、先日(12月2日)のエッセイ(第1064回)に、思わず我が意を得たりと膝を打った。

 前週のコラムでは三谷氏は、現在執筆中の来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の脚本で壁に突き当たってしまい、筆が進まなくなったごく最近の経験を書いていらした。今回はその続きで、停滞からの脱出について書いている。払暁の書斎で悶々とするうちに、ふと書棚で目についた『向田邦子全集』別巻の対談集を手にとって読み始めると、そこには向田氏の語る苦境への対処法が。「まるで今の僕」と驚き、思わぬ先輩脚本家からのアドヴァイスに心を明るくした三谷氏は再びパソコンに向かう、という主旨の内容だった。

 私がピピッときたのは勿論、「自分の書棚の本に救われる」という部分。ふと目にした書棚の本を何気なく手にとって開き、読むことにより、思わぬ活路が開かれるという体験。三谷氏のみならず、本を持つ身であれば誰でも一度は経験したことがあるに違いない。私にも勿論ある。その「本の効用」を、三谷氏が他でもない多くの人が目にする新聞コラムに書いてくれたことが、同じく本を愛する者としてすごく嬉しく感じたのだ。

 ここでものすごく大切なのは、紙の本でなければその「効用」が発揮できないということだ。電子書籍では絶対に発揮できない類の「効用」であり、私が紙の本は電子書籍より遥かに勝ると考えているたくさんの理由のひとつでもある。

 特に重要なのは、三谷氏が書く以下の部分。

 毎日背表紙は目にしているのに、なぜその時に限ってそうしたのかは分からない。吸い寄せられるように本を摑み、ぱらぱらとめくってみる。(中略)読んだはずだが、どんな内容だったか忘れている。

(「三谷幸喜のありふれた生活」第1064回 朝日新聞2021年12月2日夕刊掲載)

 これである。

 この「毎日背表紙は目にしている」というのがキモなのだ。

 何気なく本棚に並ぶ「向田邦子全集」別巻の背表紙を眺めるという日常の中の無意識の行為。それは意図せずにその本の存在を、その中身を(既読か未読かを問わず)認識する行為でもある。意識の上では内容を全く覚えていなくても、その行為が日々繰り返されることで、氏の意識下では「向田邦子全集」別巻の存在感が、内容も含めてしっかり蓄積されている。そしてその積み重ねがあるからこそ、まさにこの時にその本に手が伸びたのだ。他人の頭の中のことなので定かには言えないが、私はそのように想像するのだ。

 読んですぐ手放した本ではこういうことはまったくできないし、そもそも物理的に存在する紙の本でなければ起こり得ない。電子書籍でも蔵書一覧を画面上に表示できるのかどうか、使用経験のない私は知らない。だが、仮にできたとしても、毎日生活の中で何気なく本の背表紙を目にする=なんの意思も意図もなく目を向けるだけで、自分が持つ本の背表紙が目に入る=「自分の日常の中に本が存在している」ことは、逆立ちしたって電子書籍にはできない。

(もし仮に電子書籍でそれができる人がいるとしたら、つまりなんの意思も意図もなく画面の中に目を向けるのが当たり前の日常になっている人がいるとしたら、それは決して人としてありうべき「日常」ではなく、むしろなんらかの異常を自分の中に疑うべきだ、と私は思う)

 

f:id:studio_unicorn:20211206181912j:plain

 

 もしかしたら、このコラムの三谷氏と同じ種類の行為があって初めて、人は一冊の本を「自分のものにした」と言えるのかもしれない。本当の意味で。もちろん本を読むこと自体はとても重要だ。だが、一回読了したことは実はその本への「最初の挨拶」程度に過ぎず、本当に「血となり肉となる」ためには、その後にその本とともに過ごす長い「日常」の年月が必要なのではないか。真に大事なものごとは長い時間をかけてのみ行われる、と私は考えるのだが、いかがであろうか。

 これは、よく言われる「積ん読」効果にも通ずることだろうか。そちらも私は大いに賛成かつ言いたいことがたくさんあるのだが、このことはまた稿を改めて書かねばならないだろう。少なくとも、ここで言いたいのは、「それは紙の本でなければならない」ということだ。三谷氏の今回のコラムは、それをはっきりと示しているように、私には思える。

(写真は12月6日に、代官山T-SITEにて撮影)

(2021年12月8日投稿。それにしても、ずいぶん久しぶりの投稿になってしまいました)

中世は「暗黒」ではない

 引っ越しを目前に控えたバタバタのせいでなかなか読み進まないが、ウィンストン・ブラック著『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』(大貫俊夫監訳、平凡社)を少しずつ読んでいる。

 

 大学時代は中世ヨーロッパの美術史を専攻していて、中世の重要さをその頃からひしひしと感じ続けていた私なので、読む前からとても期待していた本であった。だが読み始めた途端にこれは期待通りの、というより今年の最も重要な書物のひとつなのではないかという思いにとらわれている。

 そのことは本文46ページの次の一説に端的に窺えると思うのだが、いかがであろうか。

中世の著述家、聖職者、科学者、建築業者、そして農民は、みな地中海とゲルマンの文化をキリスト教的な主題とイメージに結びつけ、完全に新しい中世社会を作り出したのだから、ローマ帝国やイタリア・ルネサンスの重要性に引きずられて判断してはならないのである。

 そう、そのひとつとして、千年にわたる中世の、様々な職業や属性の人々が総力を結集して、「ヨーロッパ」という、古代ギリシャにもローマ帝国にも存在しなかった「完全に新しい」ものを作り出したのである。それに対して、ルネサンスという時代はあくまで中世の作り上げたレールの上を辿る中で、古代文化の「再生」を行なったに過ぎないのだ。

 大学時代から常々、現在ある「ヨーロッパ」というものは古代でもルネサンスでもなく中世にこそ作られた、と認識してきた私としては、ヨーロッパにおいていかに中世が重要であったかを、これほど簡潔に表現した文章はないように思う。

 この本の主張することはただひとつ、中世ヨーロッパはローマ帝国と比べてもイタリア・ルネサンスと比べても、全く「暗黒」ではないということ。そして、おそらく、現代と比べても。

 そして、その「事実」を直視するために、後代の人々が作り上げたフィクションに基づく「思い込み」という罠から抜け出ること、その大切さである。