死は等価ではない

studio_unicorn20050601

世界の終わり、あるいは始まり (文芸シリーズ)
 先日亡くなった(2005年5月30日参照)仕事上の知人の通夜に出席する。長い行列ができるほど大勢の人が集まって、故人を偲んでいた。
 そういえば、亡くなった二子山親方の通夜も、今日の同じような時間に行われているはずだ。あちらはさぞ多くの報道陣に取り囲まれて、日本中の多くの人がその様子を見つめているのだろう。こちらは大勢集まったとはいえ、別に日本中に報道されているわけではない。同じ「死」のはずなのに、この違いはなんだろうか。先日読んだ「世界の終わり、あるいは始まり」私のレビューあり)の中に、万人に平等のように見えるけれども、死は等価ではない、というようなことが書いてあったのを、ふと思い出した。
(写真は今日の朝食。本文とは関係ありません。最近食べ物の写真ばっかりアップしているような気がします。笑)