……読了……

studio_unicorn20061015

 前2日が、作品展のさまざまな準備などかなり活動的だったために、今日は疲れてしまい、一応休養日にする。作品展の準備はお休み。
 より正確には、京極夏彦氏のシリーズ最新作「邪魅の雫」(じゃみのしずく)の、後半400ページを最後まで、昼頃から夜にかけて一気読みしてしまったために、他のことは一切できなかったと言うべきだろう(笑)。
 どうにも京極氏のこのシリーズは、毎度のことながら後半に入り話が佳境に入ってくると、どうしても先がすごく気になってしまい、最後まで読み通さずにはいられなくなってしまうのだ。今回も、そのご多分にもれず。それほど、京極堂シリーズの世界に、私が深く没入してしまうということなのだろう。
 それにしても、そうは言いながら、読書スピードの遅い私が、よくも半日で400ページ以上も駆け抜けてしまったものだ。自分でも感心する(笑)。こんなに長い時間自宅で、ソファに身を沈めて読書に没頭したのは、本当に久しぶりだと思う。もしかしたらシリーズ前作「陰摩羅鬼の瑕」(おんもらきのきず)を読んだとき以来かもしれない。
 実を言うと、今日の予定外の"一気読み"には前振りがあった。昨日の夜に、止せばいいのにその「陰摩羅鬼の瑕」を読み返し始めてしまったのだ。もちろん、最初からきちんと読み返したわけではなく、印象的な場面ばかり読んでいったのだが、それでも気がつくと午前4時過ぎだった(笑)。今日の「邪魅の雫」読了は、どうも前夜のこの読み返しの影響のようだ。

 ちなみに、「陰摩羅鬼の瑕」(私のレビューあり)は、いろいろ否定的な意見を言う人も多いが、私は、シリーズの中でも非常に好きな物語のひとつだ。なんというか、読後に静かに沈みゆく"悲しみ"の深さと、それを乗り越えて"治癒"と"再生"が人々に訪れてゆくさま(これこそが"憑き物落とし"の本質であるのか)が実に心に深く、印象深く残ってゆき、読後感が爽やかですらある。作者の"人間"への優しいまなざしさえ感じることができる佳作だと思う。
 やたらと陰惨で悲惨なカタストロフィばかり望むような人もいるのかもしれないが、私はそれに同調できないし、それはどうかとさえ思う。あくまで京極小説の醍醐味の最大のひとつは、物語展開のドラマチックさにあるのであり、陰惨で異形なもの・ことも、それを引き出すための一要素に過ぎないのだと、私は思っている。
 ああ、それにしても、最新作も読み終わってしまったなあ。次の物語まで、また長く待たされてしまうのだろうか。早く読みたいものである。

(写真は、今日の素晴らしい青空と、いかにも秋らしい鱗雲)