女神降臨。

studio_unicorn20080316

 昨日に引き続き、今日も天気が良く、暖かい一日。すっかり春の訪れを感じる日になった。
 そんな暖かな午後、妻とはるばる上野へ行き、国立西洋美術館を訪れる。世田谷から上野へ行くのはけっこうな距離があり、時間もかかるので、かなり気合い(?)を入れないとなかなか来る気になれないのが正直なところ。それでも今日は、がんばってはるばる(笑)やってきました。上野公園も、来週あたりから予想されるお花見シーズンの準備が整っている様子だ。
 お目当ては、国立西洋美術館で開催中の企画展「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」。ティツィアーノTiziano Vecellioの名画「ウルビーノのヴィーナス」が見たくて、わざわざ前売チケットを購入してあったのだ。
 この絵はフィレンツェFirenzeのウフィツィ美術館所蔵とのこと。が、ウフィツィには少なくとも3回は行ったことがあるのだが、この絵を観た記憶が全くない……(笑)。綺羅星の如く名作が溢れている(笑)ウフィツィでは埋もれてしまうのかな? あと、ウフィツィはフィレンツェにあるので、どうしてもフィレンツェトスカーナの画家たちのルネサンス作品(特に初期ルネサンス)を熱心に観てしまうあまり、ヴェネツィアの画家であるティツィアーノなどの作品の存在がやや軽くなってしまう(ある意味「外様」という感じか)、というのはあるかもしれない。
Titian's 'Venus of Urbino' (Masterpieces of Western Painting)なにも見ていない―名画をめぐる六つの冒険
 でも今回、じっくりと鑑賞してみると、やっぱり素晴らしい絵だ。非常に美しく、かつ非常に「やらしい」。かつて読んだ「なにも見ていない」(この作品を見た人は、この本は必読!)の中で、美術史家のダニエル・アラス氏はこの作品の論を始めるに当たって「秘部をさすりながらこちらを見ているピンナップ」という、あえて挑発的な表現を用いているが、言われずとも、そのまなざし・その手つきは、老若男女を問わず観る者に誘いかけている。ヴィーナス(なのか注文主の奥方か愛人なのか)のポーズそのものは師ジョルジョーネの名作「眠るヴィーナス」(だったっけ)からの転用(秘部に手を置くところまでも同じ)なのだろうが、こちらはルネサンスの裕福な家の室内に舞台を置き、背景に使用人までも描いてしまうことによって、なにか「聖と俗」を併せて表現しようとしたのではないかと思えてしまう。
 いずれにせよ、いつまでも観ていたい素晴らしい作品なのは間違いない。裸体の表現、室内の描き方、ヴェネツィアルネサンス絵画らしい濁りのない空間表現、どれもとてもいい。今度ウフィツィ美術館に行ったら、忘れずにこの作品を観るようにしよう。
 惜しむらくは、この作品の「お供」として展示された他の作品が、イマイチ魅力に欠けていたことだ。まあ、あくまで「ウルビーノのヴィーナス」の"おまけ"として貸し出されたものなのだろうから、止むを得ないか。それでも、単なる"おまけ"に終わらせず、古代からルネサンスにかけてのヴィーナス(アフロディーテ)の表現の変遷や、「アドニスの死」や「パリスの審判」などのヴィーナスに関連した主題の図像研究など、よくリサーチ・構成されており、西洋美術館の学芸員が、単に名作に寄りかかって手抜きをせずに、ひとつの展覧会として成立させようといい仕事をしているな、と感じさせる好印象の展覧会であった。
 さて、帰り際にインフォメーションデスクに寄って「9月からのハンマースホイ展のチケットはまだ売っていないんですか!?」と勢い込んで訊いたが、さすがにまだでした〜(笑)。まあ、次の「コロー展」のチケットでさえ売り出したばかりなのに、さらに次の、半年後の展覧会なんてさすがに早すぎるな。ホントに、ものすごく楽しみなんだけれどなハンマースホイVilhelm Hammershøi(2月19日の日記参照)。