瞑想する絵画

studio_unicorn20090509

 画家の友人・goikenさまに誘われて、goikenさまの車で、私の妻と3人で千葉県佐倉市にある川村記念美術館(写真)へ行く。この美術館で開催中の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展がすごく観たかったのだが、さすがに世田谷から佐倉までは遠いなあと思っていたところ、goikenさまのご好意で同乗させてくださったのだ。
 昨日までの雨空は消え去り、今日は素晴らしい晴天。絶好のお出かけ日和だ。よかったよかった。
 朝9時過ぎに出発し、恐れていた渋滞にもほとんどまったくハマらず、順調に走る。途中、幕張のSAで朝ごはん代わりのおにぎり(私の妻手作り)を3人でパクつく。
 高速を下りると、周囲に広がるのは田園地帯、森林、山。ホントーっに"田舎"だ。ちょっとした小旅行の気分。そんな、何もない田園地帯のど真ん中に、件の川村記念美術館があった。美術館の周囲は様々な花々が四季折々に咲き、プレイパークやテニスコート、遊歩道などがある公園になっている。美術館目当てでなくても訪れている人が多そうだ。実際、大勢の人々がピクニック気分で公園に繰り出していた。これだけいい天気だしねえ。
 さっそく美術館に入る。まず近代絵画のコレクションを鑑賞し(いわゆる"常設展示"的なもの)、フランク・ステラやバーネット・ニューマンなどの現代美術を楽しんだあと、ロスコの企画展スペースが一番最後に。
MARK ROTHKO
 マーク・ロスコMark Rothkoの作品を、これだけ一度に観たのは初めてだ。昨年の9月にロンドンを訪れてテート・モダンTate Modernに行った時(2008年9月13日の日記参照)には、見事に一週間早すぎて観られなかった、ある意味私にとっては「因縁」(笑)の展覧会だ(この展覧会はテート・モダンからの巡回展、という形になっている)。
 今回の企画展は、なんといっても「シーグラム壁画」と呼ばれる作品群30点のうち15点が一堂に会するという、滅多にない企画が最大のウリだ。巨大な室内に巨大な絵画が、かなり高い位置に並べられている様は、ある意味壮観。シンプルな画面構成ながら、薄塗りで塗り重ねられた微妙な色遣いや曖昧な色と色の境界のおかげで、さながら画面が静かに息づいているようにも思える。この微妙な表面のテクスチャーは、やはり実物を観てこそ。
 ロスコ作品は、分かるとか分からないとかはどうでもよくて、作品と対峙して「感じる」ことがとても大切。絵画そのものだけでなく、作品が展示されている空間そのものを「体感」して味わうのだ。じっと作品を見ていると、「鑑賞する」というよりは禅の修行でもしているような感覚になってくる。見ているうちに感覚が鋭敏になって、見えなかった"もの"がだんだんと見えてくるようになるのだ。
 goikenさまによれば、ロンドンのテート・モダンの「ロスコ・ルーム」はもっとゆったり展示してあって、室内はほの暗かったという。さらに、後で購入した図録にテート・モダンでのこの企画展(私が見そびれたヤツ)の写真が掲載されているが、それを見ても、やはりゆったりと、そして低い位置(目線の高さくらい?)に展示されていたようだ。それに対し、今回の川村記念美術館での展示は、作品同士の間隔をかなり詰めて、しかも相当高い位置に(見上げるような感じ)展示してある。さらに、天井に自然光を入れているので、鑑賞した昼下がりの時点では室内がかなり明るい(夕方に観ると、また印象が変わるのだろう)。間隔を詰めて並べることによって作品同士の"共鳴"を引き出す狙いとか、あるいはもっと物理的なスペースの都合なのかもしれないが、私としては間隔を広めに、ゆったりと展示したほうがよかったかな、とも思う。それにしても、微妙な色彩のハーモニー。いつまでも観ていて飽きない。
 「シーグラム壁画」以外の作品では、「黒の中に黒」を描いた一連の作品群が素晴らしい。ロスコも行き着くところまで行き着いてしまったのか。テクスチャーの違いだけで表現する超微妙な黒の差異と調和。その圧倒的なまでの深い静謐さ、ミニマルぶりが素晴らしい。ものすごく気に入った。
 すっかり満足して美術館を出てからは、3人でしばし公園内を散策。

 美術館も良かったが、周りを取り囲む公園部分も素晴らしい。今日のような素敵な日和には尚更だ。

 池には蓮の花が浮かぶ。

 こんな雑木林の散策路もあって、園内は実に変化に飛んでいる。まさに"森林浴"の気分。
 園内のレストランで昼食をとったあと、帰途につく。帰り道もまったく渋滞に遭わず非常に順調に走り、思っていたよりも非常に早い午後4時ごろには帰り着いてしまった。全てに順調かつ非常に満足した一日だった。いや、行った甲斐がありました。goikenさま、本当にお疲れ様でした&ありがとうございました。