単なる懐古ではなく。

 

 ケネス・ブラナーSir Kenneth Branagh脚本・監督の映画『ベルファスト』"Belfast"を、例によって我が家からほど近い映画館・下高井戸シネマにて観た。

 最も過酷な情勢下にあった1969年の北アイルランドベルファストを舞台に、9歳の少年バディとその家族や町の人々の物語。ベルファストはブラナー監督の生まれ育った故郷の街で、1960年生まれの彼はこの年にはバディと同じ9歳。バディはブラナー監督自身の少年の姿そのものだといってもいい。この映画は、ケネス・ブラナーという一個人の少年時代を色濃く投影している、半自伝的作品なのだ。

 

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 そのブラナー監督の少年時代=1969年がいかに過酷な年だったか。それは映画冒頭の、何気ない平和な日常の微笑ましいシーンがあっという間に爆音と投石と炎と暴力に支配されてしまう場面に端的に表れている。長年積み重なったカトリックプロテスタントの激しい対立に代表される北アイルランドの動乱が、最も暴力的な局面を迎えている時代だったのだ。この衝撃的な展開を映画冒頭に持ってくるほどに、あの暴力と破壊の映像は9歳の小学生だったブラナー少年の網膜に強烈に焼き付いて、決して消えない傷跡のごとく彼の中に残り続けているのだ。しかもこれは、映画のタイトルバックを彩る、平和に満ちた現在のベルファストの街並みの空撮映像の直後に置かれている。現在の「平和な」街並みは、この動乱の苦難と悲劇が積み重ねられ、人々の融和と和解への果てしない努力の果てに「在る」のだと言わんばかりに。

 それでも、この映画の主人公は9歳の少年である。貧困と厳しい社会情勢の下にあっても、それを大人のように理解しきれないのが却って「救い」になっており、どんな過酷な状況下にあっても明るさや生きる歓びを失わない家族や町の人々に囲まれて、バディは生き生きと逞しく成長する。子ども目線なので、暴動や過酷な場面の描写も、どこかユーモラスな要素を含んでいたりする(ある暴動の場面で洗剤の箱が出てくるのだが、これのコミカルな狂言回しの小道具としての使い方の巧みさといったら!)。

 小学校の授業。祖母や祖父との心温まる触れ合い。仄かな初恋。歌と音楽(何しろアイルランドですから。ちなみに音楽はあのヴァン・モリソンが手がけている)。そして夢や希望を与えてくれる数々の舞台や映画。全編モノクロの映像の中にあって、この舞台の上や映画のスクリーンの中だけがカラーなのが目を惹く。それらが当時のバディ=ブラナー少年にとって現実の憂さを忘れさせてくれる、とても貴重な「宝物」であったことを文字通り鮮やかに示している。また同時に、彼がやがてその道に向かうことも。クリスマスの贈り物にアガサ・クリスティーのミステリ小説があったり、バディ少年が「マイティ・ソー」の漫画を読む場面が出てくるのは、やや楽屋落ち? 「こんなところに彼のルーツが!」とニヤリとしました(笑)。あと、西部劇の決闘場面を彷彿とさせる緊迫感が素晴らしいクライマックスの場面とか。全編にブラナー監督の映画愛が満ちている作品でもある。

 

 

 ところで、映画監督の半自伝的作品とくれば、私は、つい最近観た『Hand of God -神の手が触れた日-』を想起せずにはいられない(2022年4月14日の日記参照)。あれもイタリアの名匠パオロ・ソレンティーノ監督の「半自伝的」作品だった。しかも彼が生まれ育ったナポリの空撮映像から映画が始まり、映画のラストでは故郷を旅立つ、という『ベルファスト』との興味深い類似点が数多く見出せるのだ。ソレンティーノ監督はブラナー監督より10歳若い1970年生まれなので同世代とは言い難いが、二人の映画界の巨匠が同じ時期に「半自伝的」作品を作り、その中で生まれ育った故郷への限りない愛情を強く表現していることは注目に値する。そこに込められたのは、両監督の単なる懐古主義ではない。むしろ、ますます混迷を深める現代に生きる人々に彼ら自身の来し方を示すことで、(特にこれから時代を担う世代の人々に)苦難と逆境の中でも、人生を切り開く可能性は常に存在することを伝えたかったのではないか、と思わせる。

 

 

 もうひとつ、『ベルファスト』で特筆すべきなのは、全編を通じてカメラワークや映像構成がとても凝っており、場面によってはかなり実験的でさえある、ということだ。

 先述の通りブラナー監督はその長いキャリアの中で数多くのハリウッド大作も手がけており、それらの作品では当然ながら大衆が理解しやすいカメラワークやカット割りを主とした演出をおこなっている。だがこの『ベルファスト』では、彼のパーソナルな要素が強いこともあってか、制作にあたって映画芸術としての作品づくりを相当に意識したのではないか。先述したモノクロ映像の中でのカラーの使い方もそのひとつだ。あるいは不自然なほどのアップや、会話や長い科白を喋る場面での固定カメラの長回し、とんでもなく不自然な位置にカメラを据えたような映像で構成される場面など。カット割りのテンポもかなり長めな気がするし、少々クラシカルな手法も敢えて取り入れて相当に「脱・ハリウッドの今の流行」的な映像表現を心がけたような印象だ。

 階下で泣き崩れるバディの母親と同じく階下でそれを覗き見るバディ自身の両方を、かなり離れた階段の一番上からカメラが小さく見下ろす場面。冒頭の、日常の平和なシーンから非日常=暴動の激しいシーンへ移行する際に、バディの周囲をカメラがぐるーっとひと回りして写すことで、見事に場面の雰囲気を切り替える場面。ラストの、波打ったガラス越しに写す、おそらく悲しみに暮れているバディの祖母の姿(観客に想像させるために、敢えて曖昧にしか見えないように撮ったと思われる)などなど。

 自伝的要素の強い作品なればこそ、いつも以上に映画や映像表現の可能性を追い求めているのだな、と強く印象づけられてとても楽しい。「こんな見せ方はどうだろう」「こんな画面構成はどんな効果が得られるかな」「こんなカット割りは今までになさそうだけれど、アリかな」とか、いろいろ試しながらコンテを作って撮影を進めた様子がありありと目に浮かぶ。

 映像表現をこのように変化に富ませることで、映画の物語そのものを先へ引っ張って飽きさせない原動力を作品にもたらしているように思う。

 

 

 

(写真は全て、ベルファスト……には行ったことがないので、代わりに2014年7月に一度だけアイルランドを旅行したときにダブリンや各地で撮影した写真から)

(2022年7月20日投稿)

大いなる円環

 

 遥かな未来のことだと、ずっと思っていた。

 あの「お願い だれも息をしないで」。

 そこに、ようやくたどり着いた。

 物語の大いなる円環が、今ひとつに繋がった。

 

 末次由紀著『ちはやふる』の最新第49巻を読んだ。周知の通り次の第50巻で完結が予定されており、物語もクライマックスに向けて怒濤の勢いで盛り上がっている。主人公の千早と新が挑む名人・クイーン決定戦の最終試合が進む中、試合に臨む4人と周囲の人々の想いが様々に交錯して次々と浮かび上がっては移り変わり、もうひたすら胸アツの連続。どんな些細なエピソードも、クライマックスの情感をもって語られる。これまで14年以上続いた連載漫画の、積もりに積もった集大成なのだから、何をやっても胸アツなのは当たり前だ。

 それにしても著者・末次由紀さんの、数多くの登場人物それぞれのドラマを組み合わせて一本の流れに仕立てあげる、その物語づくりの巧みさは本当に素晴らしい。『ちはやふる』が類い稀な群像ドラマの傑作になったのも、そのおかげだなあとつくづく思う。

 

 

 私も2009年からずっと(単行本ベースですが)この漫画に伴走してきたので(2009年1月9日の日記参照)、この長編漫画がいよいよ佳境に差し掛かったと思うと、その間の13年以上の歳月がともに思い起こされ様々な想いが溢れて、さすがの私でも胸が一杯になる。

 そんな私がこの第49巻で一番胸アツだったのが(他の多数の方々も同じだと思うが)、単行本の帯にも書かれた「お願い だれも息をしないで」という千早のモノローグだ。

 既読の方はもちろんご存知のように、これは第1巻の冒頭に登場した最初のモノローグ。このクイーン決定戦の一幕を「やがて来たるべき、遥かな未来」として冒頭に提示してから6年前に戻り、小学6年生の千早や新たちとともに物語が開幕するのだ。つまり連載開始から14年目の49巻目にしてようやく、この「やがて来たるべき、遥かな未来」に物語の「現在」が追いついたのだ。

 そしてさらに胸アツなことに、千早がいつも戻る場所=常に立ち帰る原点かつ拠り所に、前巻にも「登場」した小学生時代(第1〜2巻)の千早が登場し、小学生の千早と「現在」の千早とがしっかりと抱きしめ合う。新もまた、小学生の自己と向き合う。「やっと 迎えにきたよ」と。そして千早と新は、万感をこめて「ちはやぶる」の札を取るのだ。

 あの、全体のプロローグともいうべき、宝物のように尊い小学生篇。二度と手が届かない、永遠に越えられない「黄金時代」として描かれ、その後の苦闘に満ちた本篇=高校生篇を通奏低音のように支えてきた物語の原点。ここでそれが「現在」とひとつになったのだ。ここに大いなる円環が繋がったのだ。この物語に初期から伴走してきた身として、この大いなる邂逅に感動しないわけがあろうか。この場面は、この物語全体の最大のクライマックスといってもいい。

 この「遥かな未来」に辿り着いて、あの遥かな光景が今目の前に「現実」の光景として存在している、という感覚。なんという長い時間、なんというさいはての、この世ならぬ高みの光景。それを今見ているという実感。これこそが、長大な物語をともに伴走してきた末の、大いなる喜びのひとつではないか。あたかも苦難の山道を一歩一歩踏みしめて登り、その積み重ねの果てにやがて到達した山頂での、雲海に囲まれた天上の如き風景を目にした瞬間の喜びと高揚感のように。

 

 

 確かに、この物語は文字通りの「大団円」を迎えたのだ。今や円はひとつに繋がり、物語としての役割を果たした。さいはてに辿り着いた高揚感を今、この瞬間に確かに感じている。やがてこの身が滅んで、「雨の中の涙」のように埋もれて消え去ってゆくとしても、この高揚感が訪れた時は確かに存在した。いや、存在している。その確信とともに。

 まだあと一冊残ってはいるが、大いなる円環が繋がったあとでは、もう全ては盤石でしょう。「終わり良ければすべて良し」。最終巻にはきっと、清々しいエピローグが待っていることだろう。稀代の物語を語り上げて、私たちに届け続けてくれた末次由紀さんに、少し早いが「おつかれさま」を申し上げたい。

 

 

(2枚目と3枚目の写真は、2022年7月7日に北の丸公園にて撮影)

(2022年7月15日投稿)

「倍速視聴」はしないけれども

 

 稲田豊史著『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)をこの日、読了。

 サブタイトルは「ファスト映画・ネタバレ--コンテンツ消費の現在形」。非常に話題になっている一冊だ。私も新聞の新刊広告でこの本の存在を知って以来とても他人事とは思えず、すごく気にかかっていた。かつて編集者のはしくれとして夜も昼もない日々を送り、今尚ものづくりの精神を持ち続けているつもりの身としては、この本のテーマはかなり切実に感じる。いざ読み始める際にはかなり「心して」本のページを開き、じっくりと味わい、理解した、つもりだ。

 

 

 20〜30代の若年層を中心に増加しているという、映画やドラマやアニメを早送り再生=この本でいうところの「倍速視聴」や10秒飛ばしで視聴する人々。大いなる違和感と彼らはなぜそうするのかという疑問を、膨大なインタビューやリサーチから、映像メディアの変遷や社会との繋がりから解き明かしてゆく一冊なのだが、読んでいて「これ自分じゃん!」と何度も心の中で叫んだ55歳であった(笑)。私も常に「時間がない」し、「失敗したくない」「無駄は排除したい」気持ちも当然ある。それに、これだけダウナーな世の中なのだから、フィクションくらいは「ハッピーエンドしか見たくない」し、「ツラい場面は見たくない」と切実に思っている。だからよく「ネタバレチェック」もする。好きなものをけなされるとすごく「自分が責められていると感じる」し、「批判に弱い」から「心を乱されたくない」。「共感性羞恥」というのも(用語自体は初耳ながら)とても理解できる。自分に当てはまることのオンパレードだ(笑)。

 それでも。

 それでも、私は映画やドラマを早送り再生で視聴はしていない。

 これからもしない、と思う。

 10秒飛ばしも「話飛ばし」もしない。

 その作品の尺だけ、きっちりと時間を遣って向き合っている。

 (初見では、の話。二度目以降は、観たい場面だけ観るために前後を飛ばすことはあります)

 作り手が膨大な人生の時間を費やして、血と汗と涙の結晶として作り出したものに向き合うとき、それを享受する人は、対価としてその人生の「何」を差し出すのか。あるいは「贄」として「捧げる」のか。最も大切なもの=「時間」ではないのか。だから、あるひとつの2時間の映像作品には、観る人の人生のうちの2時間を贄として「捧げる」べきではないか。それほどの「コスト」をかける覚悟がないと、他者がその人のために用意した「最高の」創作物には、本当の意味では向き合えないのではないか。そう思うのだ。あくまで娯楽のためのものだから、気軽にヒマつぶしでスナックつまみながらテキトーな態度で観るのは全然構わないと思うが、作品の時間分だけ自分の時間も「費やして向き合う」ことだけは、作品とその制作に関わった人々に対する最低限の敬意として必要だと。まあ、あくまで私見ですが。

 

 

 それでも、この本を通じて著者が本当に問いかけたいのは、そんな「倍速視聴」に代表される映像コンテンツの視聴方法の是非ではなくて、これが実は現代社会の深刻な諸問題と深く結びついているのではないか、ということだ。そのことは、この本の終章にはっきりと記されている。倍速視聴は、現代のメディアと文化と社会の根底に横たわる共通の問題=「根っこ」のひとつの表出に過ぎず、その「根っこ」こそを俎上に載せるべきだと。そこを大いに議論させるために、著者は敢えてやや「挑発的」な表現を使いつつも、客観的な視点を崩さず冷静に事象を分析してこの本を書いたようだ。この本はあくまで「議論のとっかかり」に過ぎず、この本をもとに百家争鳴、様々な議論が交わされてその「根っこ」を白日のもとに晒したい、という意図のもとに。

 著者は次のように書いている。

一見してまったく別種の現象に思える現象同士(倍速視聴-説明過多作品の増加-日本経済の停滞−インターネットの発達、等)が、実は同じ根で繋がっている。そのような根を無節操に蔓延(はびこ)らせた土壌とは、一体どのようなものなのか。それが本書で明らかにしたかったことだ。
(本書295〜296ページ)

 「たかが映画やドラマの観方」というなかれ。この世の中は、結局のところ全てがどこかで繋がっているのだ。そのひとつの「たかが」で些細な事象を仔細に精査することで、世の中全てに関わる重大な問題を浮かび上がらせることもできる。この本は、その実践のひとつの記録でもある。

 現代社会を蝕む、その「根っこ」のひとつは、急速な技術進歩の果てに現代人が抱えるようになった「肥大化し無境界化した自己」と「他者の消失」なのではないか。私はこの本を読み終えて、そう強く感じた。

 そしてもうひとつ。この何もかも「思考停止させる社会」だ。なーんも考えず何ひとつ疑問を持たなくても生きられてしまう、というより「生きさせられている」この現代社会。その中で、生きる上でのタスクに追いまくられて押しつぶされそうになって必死にしがみつき、本当の意味で「考える」時間も余裕も奪われて、つまり身の回りの事象に対して「おかしい」と立ち止まって思考することなく、肥大化して「この世界全部が自分」と錯覚するようになった現代人。

 この人々に思考する余裕を与えず、考えさせないように仕向けている、この現代の社会システム。これでいいのか。これがいいのか。そしてこの仕組みは、一体「誰得」なのか。著者が本当に問いたいのはここではないか。私はそう感じたが、いかがであろうか。

 

 

 論の進め方や対象集団のくくり方にやや疑問を感じる点もあるが、それでも現代社会の諸相に違和感や疑問を感じている人には、必読の一冊であるのは間違いない。

 だが、本当にこの本を読むべきなのは、まさに「倍速視聴」をおこなっている当事者たちだと思う。本の内容への賛否や是非はひとまず置いて、これを読むことで自己の行為とその背景を客観視するきっかけを得ることができるはずだからだ。その「自己を客観視する」ことこそが、現代社会の病理の「根っこ」である「肥大化し無境界化した自己」と「他者の消失」を解消する第一歩になる。私はそう信じる。

(2022年7月7日投稿)

「ごはんファクトリー」の効用



 この日の、私たち夫婦二人による自宅キッチンでの「ごはんファクトリー」の記録を。

 私の妻が、この日の夕食の主菜として作ったのは、豚ロース肉のマスタードオニオン焼き(下の写真)。

 スーパーで買った生姜焼き用のロース肉を厚みを残しつつカットしてあるので、なかなか食べ応えのある一品だ。よく炒めた玉葱の甘みと粒マスタードの酸味がほどよくマッチして、ご飯がススム美味しさ。

 この料理は、元ネタはワタナベマキ著『食材2つでささっとメインディッシュ。』に掲載のレシピ。妻がアレンジを加えて何度も繰り返し作るうちに、すっかり「我が家のレシピ」と化している。

 

 もうひとつ副菜、というよりはお酒のつまみ的な一品として妻が作ったのは、きゅうりと揚げ玉のソース炒め(下の写真)。

 揚げ玉と中濃ソース、といういかにもB級グルメチックな食材が、きゅうりのさっぱりした食感に意外なほどにマッチする。実に居酒屋っぽい、お酒の肴にぴったりのひと皿だ。特に夏は、冷たいビールやハイボールがこの料理によく合う。

 上の二品などを作っている妻の横で私が作っていたのは、もちろん(笑)スパイスカレー。次の日の夕食用だ。

 今回の具材は手亡豆(てぼうまめ)と豚もも肉。以前の日記に書いたが(2022年4月16日の日記参照)、妻が参加している栄養士会の活動の一環で、我が家には茹でた豆がやたらと(笑)余っている。今回の手亡豆も、茹でて料理の施策に使った残りだ。

 こちらのスパイスカレーはこの日は作って冷まして冷蔵庫に入って一晩過ごし、翌日の夕食時に再びじっくりと火を通して温めて美味しく食べた。要するにずいぶん火が通ったわけで、豆は半ば以上溶けてグズグズになり、見事にカレーペーストと一体化している。豆だけでもそもそしないようにと豚肉を一緒に煮込んだが、これが厚みのあるもも肉で脂が少なく中身がみっしり。食べ応えは充分だった(下の写真)。

 いつも通りに今回もスパイスカレーを4人分作った。夫婦二人の食事なので2食分だ。というわけで、もちろん次の日の朝食もスパイスカレーだ(冒頭の写真)。

 というわけで今回の我が家の「ごはんファクトリー」も、いい感じに美味しい二日間を作り出すことができて、何より満足。

 心に影が差すことが多い日や、気分を大きく乱されて沈潜してしまう日には、おうちで「ごはんファクトリー」に没頭するのがいい気分転換になったり、心の影を払うのによく機能するなあ、としばしば実感する。

 心を一旦無にして作業に没頭することができる一方で、料理をすることは段取りも含めて極めて創造的な行為でもある。心を無にしつつクリエイティヴに活動することの効用は実に大きい、と思うのだがいかがだろうか。

(2022年6月23日投稿)

ボルシチはウクライナの郷土料理

 

 先月末のことだが、我が家の夕食の食卓に、私の妻が作ったボルシチが登場した(上の写真)。

 栄養士の資格を持つ妻が地域の栄養士のヴォランティア団体に長らく参加していることは、以前にも書いた。そこでの活動の一環として、妻は月に一度、退職した人を中心とした男性の料理サークルで料理を教えている。普段は作る料理の要望が出ることはあまりないそうだが、先月のお料理教室の際には珍しく、次回に作りたい料理のリクエストがあったという。

 「ウクライナ料理を作ってみたい」ということだ。

 もちろん、ロシア軍によるウクライナ侵攻が引き起こした、昨今の騒然たる世界情勢を念頭においてのリクエストだろう。なんともいい話である。

 リクエストを受けて、妻はさっそくネットのレシピサーチを駆使してウクライナ料理のレシピを検索し、併せて料理本などの資料にも当たって検討。日本で最も知名度の高いウクライナ料理といえば、なんといってもボルシチだ。妻自身もこれまでボルシチは作ったことがないので、我が家のキッチンで自宅夕食用に試作をしてみた、という訳である。

 今回の事態が引き起こした様々な変化の中で、ボルシチほど私たち日本人の認識をガラリと変えた料理はあるまい。今までボルシチをロシア料理の代表選手扱いして、ロシア料理店でボルシチを食べては散々美味しい美味しいを連発してきた私たち。なのにこの事態を契機として、実はボルシチの発祥の地が現在のウクライナだったという話が燎原の火のごとく広まり、今や私たちの中でボルシチウクライナの郷土料理としてすっかり上書きされている。この分野でのロシアの「損失」は実に計り知れない。なんとも皮肉な話だ。

 

 

 初めて作ったにもかかわらず、妻が試作したボルシチはまさに本場……は行ったことがないので分からないが、かつてロシア料理店で食べたものと(記憶の中では)変わらない、家庭的な温かさのある味わいだった。ボルシチのシンボルカラーの源であるビーツは見た目は蕪のようだが異なる分類に属し、むしろほうれん草やテンサイの仲間だそう。それゆえか、ビーツを口に含むと舌の上でほんのり甘みを感じる。そんなビーツの甘みとトマトの酸味との組み合わせが、他国の煮込み料理にはない独特さか。上の写真のようにサワークリームをつけて「味変」すると、さらに変化に富んだ味と香りが楽しめる。

 副菜として妻がチョイスしたのは「オリヴィエサラダ」(下の写真)。こちらは発祥がロシアだそうだが、ウクライナでも家庭料理のひとつとして親しまれているとのこと。要するにロシア風ポテトサラダなのだが、じゃが芋や人参などを1センチ角に小さく切って硬めに茹でるのがポイント。かなりしっかりした食感が残る。さらに刻みピクルスが独特の香りを添えて、実に美味だ。

 

 

 食を通じて、地球の裏側で苦難に喘ぐ人々と想いを共にすることの大切さ。この料理サークルの方々がウクライナ料理を作って食べたいと感じたこと、それ自体がとても重要なことだと思う。なぜなら食は全ての人類に共通の営みであるから。そしてウクライナの人々が日常の生活の中で親しんでいる料理を作って食べることで、かの国の人々の生活や環境や文化を、ほんの少しだが共有することになるからだ。それが彼らを襲っている苦難や悲劇をわが身に引き寄せる契機となり、共感がやがて行動に繋がってゆく。

 平和を願うことは、地の果てまで「私」と同じ人類が生きていることを、わが身に引き寄せて実感することに他ならない、そう思うのだがいかがだろうか。

 それは、結局のところ、地球上に暮らす人類全ての「食」が、どこかで繋がっていてひとつなのだという事実の追認でもある。そのことは、例えば佐藤洋一郎著『食の人類史』(中公新書)を読むと、実によく分かる。

 

 

 私がこの本を読んだのはもう6年前のことだが、ユーラシア大陸の「食」の変遷を「なりわい」=「摂取手段」の変遷と捉えて論じているのが新鮮だったのが記憶に残る。今まさに読み返すべき一冊なのかもしれない。

 ところで、私の妻がキッチンでウクライナ料理を作っているその横で、私はといえば、翌日の夕食用にお馴染みスパイスカレーを作っていた(笑)。このときの具材は生姜焼き用の豚肉と舞茸。夫婦二人の「ごはんファクトリー」はこの日も順調に任務遂行。次の日の夕食には、このスパイスカレーを美味しくいただきました(下の写真)。

 

 

(2022年6月13日投稿)

 

ハマスホイとドライヤー、都市の孤独

 

 下高井戸シネマにて、映画『ゲアトルーズ』"Gertrud"を観た。デンマークの映画監督カール・テオドア・ドライヤーCarl  Theodor  Dreyerによる、1964年公開作品。全編モノクロである。私は寡聞にして全く知らなかったのだが、「カール・テオドア・ドライヤーセレクション」という、この『ゲアトルーズ』を含む4本のドライヤー監督作品を特集上映する企画が昨年末より各地の映画館で巡回しており、それが下高井戸シネマにも回ってきたということらしい。

 

www.zaziefilms.com

 

 私がなんでこんな58年も前のデンマーク映画に興味を持ったかというと、同じデンマーク出身の画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(ヴィルヘルム・ハンマースホイ)Vilhelm Hammershøi (Vilhelm Hammershoi)への関心からである。大学生の時にその絵画作品を初めて観て深く感銘を受けて以来35年近く、私はハマスホイ作品に強く魅了され続けている。そのことはこの日記でも度々触れている。比較的最近では2020年1月30日の日記、および2020年2月20日の日記ハマスホイのことを書いたが、ご覧になったことのある方もいらっしゃるかもしれない。

 そのハマスホイの絵画作品をコンパクトに解説した好著、佐藤直樹氏監修『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』(平凡社コロナ・ブックス)に収められた小松弘氏によるコラムで、ハマスホイとの関連でドライヤー監督の映画が紹介されているのだ。ハマスホイの絵画世界を最もよく受け継いだのは、ドライヤーの映画作品だという考え方があるという。この映画監督のことは、それ以来頭の隅に引っかかっていたのだ。そこへこの企画である。渡りに船とばかりに、ハマスホイの影響が最も色濃く表れているとこの本で言及されている作品『ゲアトルーズ』を観た。ドライヤーの遺作にして集大成の作品でもあるという。

 

 

 本当の自由と愛を探し求めるゲアトルーズの姿を、夫・初恋の人・若い愛人という三人の男性との会話を通して描く、徹底した会話劇。自分の信ずる「愛」を貫くため、彼女は最終的に社会や家庭の因襲や抑圧を脱して、安定も地位も名誉も捨てて孤独に生きることを選ぶ。その心の内面の動きを映し出す、画面のフレームにかっちりと収めた様式美に満ちた映像。

 その映像表現が非常に演劇的であるのが、この作品の大きな特徴だ。映画のほとんどを占める会話場面では、閉ざされた室内空間が舞台。二度だけ、屋外の公園での会話場面があるが、これもごく狭い範囲で演じられるので、室内に準ずるといってもいいだろう。そしてモンタージュ手法やカット割りを極力使わず、長回しが基本。人物は長い椅子などに並んで座り、会話する人全ての顔がこちらに向けられるように配置される。観客は映画なのに芝居の舞台を観ているような錯覚に陥る。閉ざされた室内=閉ざされた舞台。その中で淡々と、あるいはのろのろと述べられる台詞。ゲアトルーズの感じている閉塞感や抑圧感を、観客も同じように体験してもらう、そんな効果を狙っているかのような表現効果だ。

 その演劇的効果を体現する室内空間の表現に、ハマスホイの室内画に特徴的な要素が様々に表れているのは偶然ではないだろう。多くの室内場面の家具や調度品の配置は、まさにハマスホイの室内画に入り込んだような錯覚を感じるほどだ。映画のラストシーンは特に象徴的で、老いたゲアトルーズが扉を閉じて画面から姿を消し、最後に暫し無人の閉ざされた扉が映し出される映像は、まさにハマスホイが扉を描いた無人の室内画からの直接的な引用である。ただ、映画ではこの扉はゲアトルーズの生涯が閉じられることを象徴している(教会の鐘の音がオーヴァーラップすることで、それがより一層強調される)ので、ハマスホイ作品における扉から我々が感じ取る意味合いとはとは少々異なって使われているように思われる。

 いずれにせよ、その「ハマスホイ的」な室内空間の表現は、ゲアトルーズが社会や家庭の抑圧や因襲に感じる閉塞感を観客に伝える作用を果たしているように、私には感じられる。この映画の舞台でありハマスホイが生きた20世紀初頭の都市には、ゲアトルーズたちのような新興の富裕層や中産階級の人々が群れ集い、技術革新の恩恵を受けた新しい「夢のような」暮らしをし始めていた。その一方で彼らは、これまでにない新しい部類の孤独や閉塞感を抱きつつ生きることにもなったのである。

 2020年1月30日の日記で私は、ハマスホイが無国籍でアノニマスな「都市の室内」を描き出したと書いたが、それは同時に、彼が描いた無人の、あるいは画面に背を向けた人物を配した室内画が、そうした都市に生きる人々の孤独や閉塞感をも画面の中に滲み出させたことに他ならない。多くの人が集まって生きている都市の巨大な空間において、他の人と隔絶された孤独を感じ、閉じ込められたような閉塞感を抱えて、それでもなお生きねばならない人々。ハマスホイ作品の底流たるそうした「都市の孤独」は、この映画でドライヤーによって援用されることによって、ゲアトルーズの自由に生きようともがく姿の背景に、彼女の内面の「鏡」となって映し出されているのだ。

 

 

 先述の書などのハマスホイ作品集の解説を読むと、彼の作品は観る人に不気味さや不安感を誘うらしい。私自身は、ハマスホイ作品の背を向ける人々にも誰もいない室内にも静謐と安寧しか感じないので、えっそうなの?と思ってしまった。だから私は彼の作品に心の底から惹かれているのだが、私の嗜好や好みの感覚が異常なのかしらん?

 それでも『ゲアトルーズ』を観て、ゲアトルーズや周囲の人々の抱える不安感や閉塞感、ある種の生きづらさをひしひしと感じるにつけ、なるほどハマスホイ作品でいわれる不安感はこういうことなのかも、と少し納得したのは確かだ。

 

 

 その閉塞感や孤独感は、20世紀初頭の人々のものだけではなく、おそらく私たちが生きる現代社会にも通じるものがある。その意味では、2022年に『ゲアトルーズ』を観ることの意義は大きいのかもしれない。

 

(写真は全て、2022年5月29日に東京・二子玉川周辺にて撮影)

(2022年6月8日投稿)

誕生日と祝日と忌日と

 

 というわけで、妻の誕生日から5日後の5月17日は、私の誕生日。

 55歳になりました。ゾロ目だ(笑)。

 もう毎年同じことばかり書いていて誠に恐縮だが(でも書くけど)、5月17日は私の誕生日であると同時に、ノルウェーの事実上の建国記念日たる憲法記念日。毎年、有難いことに国を挙げて私の誕生日を祝ってくれる日である(これも毎年のお約束ということで失礼)。

 インスタグラムでのノルウェーの人々の投稿などを見る限りでは、新型コロナ禍による規制が厳しかった2年前(2020年5月17日の日記参照)に比べれば、かなり例年通りに賑やかな祝日の祝い方ができるようになった様子。何よりである。

 

 

 我が家でのお祝いとしては、苺のショートケーキを妻が作ってくれた。今年で3回目だ。今年も素敵な仕上がりだが、スポンジケーキを焼くのはなかなか難しいとのことで、今回も少々危ない橋(?)を渡るような進行だったらしい。見た目もお味もいうことなしだったが。

 ケーキ作りの最後は私も少しお手伝いした。少し温めたバターナイフで、生クリームの表面を撫でる。そうすると、表面がほんの少し溶けて滑らかな仕上がりになる。これが楽しくて、延々バターナイフでケーキを撫でまくってしまった(笑)。おかげで、ツルツルお肌の可愛い子になりました。過去2年のケーキは真ん中の苺がひとつだけだったが、今年のは3個に増やしてみた。いや、苺が余っていたからなのだが、より賑やかに(?)なったような気がする。

 

 

 というわけで楽しい誕生日を過ごしたのだが、なんとこの日に音楽家ヴァンゲリス氏Vangelisがお亡くなりになったとのこと。数日後に初めて訃報に接してびっくりした。

 私の誕生日で、ノルウェーの最も重要な祝日でもある日が、心から敬愛する音楽家の命日になってしまった。

 多感な中学生のときに「天国と地獄」"Heaven and Hell"の音楽に出会って、まさしく宇宙の彼方へ飛翔するかのように心を奪われたあの日。そして不朽の名作映画『ブレードランナー』"Blade Runner"の音楽がとても深く、そしてとても静かにこころの底に沈殿したあの日。ヴァンゲリス氏の音楽は常に私とともにあったし、これからもともに在り続けるだろう。

 ここ数年はもう新しい曲を発表することがない様子だったので、正直いうと半ば引退なのかなと思っていた。だが、改めて訃報に接すると、まだまだ何かを残してくれたのではないかと思えてしまう。誠に残念な思いでいっぱいだ。音楽界の不世出の至宝が、またひとつ消えてしまったような気がして。合掌。

(2022年5月23日投稿)