みょうがLOVE

 

 みょうが。ミョウガ。茗荷。

 今年の夏の私は、みょうが愛が止まらない。

 数年前にも突然生姜が大好きになって、それ以来生姜を使った料理が我が家の食卓に毎日のように登場するようになったことがある。私のその生姜愛は数年間全く途切れることなく続き、現在に至っている。

 だが、今年の私はそれに加えて、突然(本当に突然、としか言いようがないのだが)みょうがの美味しさに目覚めてしまった。

 ことの起こりは5月18日(私の誕生日の翌日だ)の夕食時に、食卓に登場した主菜おかず「牛肉の香味おろしのせ」(冒頭の写真)。料理家ワタナベマキさんの、我が家ではとても頻繁に引用される著書『つまみサラダ100』に掲載のレシピだ。

 

 

 我が家では牛肉はあまり食卓に上がらない。総じて値段が高いし、特に国産和牛の肉はさらに高額な上に脂が多くてお腹にくるので。だがこの日はよく行くスーパーで、豪州産牛のカルビ肉がとても安かった。オージービーフなら赤身メインでカルビ肉でも比較的脂少なめなので、アカミニストの私でも大歓迎だ。

 ということで久々に牛カルビ肉を買って何を作ろう、と妻が目をつけたのがこの料理。予め肉に塩胡椒でしっかり下味をつけてフライパンで焼き目をつけ、上から大根おろしに刻みみょうがと紫蘇を混ぜて醤油とレモン汁で味を付けたものをどっさりのせて食べる。実に夏向きの一品だ。

 この刻みみょうががとても美味しくて、私の心身に染み入ったのですよ〜。口の中でほんのりと広がる、独特の香りとえぐみ。軽いシャキシャキ食感。それがすごく美味しくて。大根おろしと紫蘇とみょうが、という夏に相応しい組み合わせもよかったのかもしれない。さらにレモン汁で、さっぱりと後味もよろしい。

 小さい頃から夏の食卓にはみょうがが、多くは薬味として刻みで頻繁に出てきた記憶がある。積極的に嫌いだったわけではないが、好んで食べた記憶もない。まあ子どもの味覚では、みょうがはあまり好まないだろうなあ。それが50代後半になった今頃になって突如「大好き」な香味野菜として、日々スーパーの広告で値段をチェックするほどの大きな存在(大げさか)になるのだから、人生何が起こるか分からない。

 

 

 これ以来、今年の夏はしょっちゅうこの「香味おろしのせ」を美味しく食べている。もう10回以上食卓に出てきただろうか。のっかるものは牛肉に限らず様々で、豚肉だったり(上の写真)厚揚げだったり(末尾の写真)。結局どれにのせても美味しいのだ。だが香味おろし自体には、常にみょうがと紫蘇は必須。みょうががなければ成り立たないのだ。刻みみょうがと紫蘇だけを冷奴にのせたこともあったが、これまたみょうがの風味をダイレクトに味わえて美味しかった。

 数年前からずっと生姜好きだと先述したが、生姜は季節問わずいつでも安く買えてオールマイティに美味しく食べている。それに対して、みょうがは同じ香味野菜でも収穫時期が初夏から初秋ごろまでと限られているので、やはり「夏が旬」のイメージだ。今年の夏も、まだまだ暑い盛りの8月。もうしばらくはみょうがの味覚を楽しむことができそうだ。

 

 

「脱クルマ社会」への取り組み

 

 私たちが暮らす東京都世田谷区の保坂展人区長が、任期を新たにするごとに区内の各所を巡回して、区民と直接対話する「車座集会」。

 長らく世田谷区に住む人にはお馴染みの車座集会だが、今年4月に行われた区長選で保坂氏が4選を果たした。それに従い、区内全28地区に設置された「まちづくりセンター」を区長たちが数か月かけて巡回し、この車座集会を順次開催している最中だ。

 私自身も、区長自ら区民と直接対話の場を持ち、しかも「車座」というからには上下の差なく対等に意見を交わす集会だろうから、以前から興味があって一度は参加してみたいとは思っていた。だが機会が合わなかったり雑事にまぎれて機を逸したりしてしまい、なかなか果たせないでいた。

 だが、今回の車座集会はこちらも相当意識していたのもあって機会を逃すことはなく、半月ほど前の7月16日に私たちの地元である「新代田まちづくりセンター」で開かれた車座集会に、私の妻とともに参加することができた。

 大変残念なことに、保坂区長はその数日前に新型コロナウイルスに感染してしまったそうで、会場にはおいでにならずオンラインでの参加であった。もう他の人に感染すリスクは消滅しているそうだが、万が一を懸念して念のために、ということらしい。ということで区長ご本人は不在ながら、会場前方の大きなスクリーンに区長のお顔が映し出され、区長の側からも会場の様子がこちらからと同様に見ることができるそうなので、なんというか「不在感」のようなものは全く感じない。私は恥ずかしながらオンライン会議の類にはほとんど参加したことがなく、今回がほぼ初めての体験なのだが、けっこう同席しているような雰囲気になるものだなあと変なところで感心していた。

 せっかくの滅多にない機会なので、ずっと長いことモヤモヤと考えていたことを区長に直接話したかったのだが、参加者の発言時間がひとり3分以内と短く、話し下手な私にはとても要領よく時間内にまとめて話をするなんてできない。なので車座集会の時間中は別のことでは短く発言したが、この懸案のことについては特に触れなかった。参加者の皆さんがなかなかに身近かつ切実な事案のことを話されるので、私の考えていたやや「大きなこと」が迂遠なことのように思われていささか気が引けてしまった、というのもある。

 そして終了後に会場で参加者に配られた後日提出用の「意見・質問票」に、改めてこのことについて書いて(正確にはワードで書いて出力した紙を添付して)、提出したのだった。

 「『脱クルマ社会』への取り組み」と題した文章である。区長や区役所の方々に読んでもらえればこの文章の役目は果たしたことになるのだろうが、より多くの人にご覧いただくのも良いかと思い、ここに再掲します。文末の日付・署名を省いた以外は、区役所に提出した文章そのままである。よって誤記・誤認識の類が多かろうと思われるが、ご寛恕及びご指摘いただければ幸いである。

 

 

 自動車の排出する二酸化炭素など温室効果ガスが地球温暖化の大きな要因である以上、これからの持続可能な社会を作り出すには「脱クルマ社会」への取り組みは必須です。自動車業界の方々は飛行機だけを悪者にしようと躍起になっているようですが、国土交通省のデータなど国が開示している資料でも明らかなように、利用者あたりの二酸化炭素排出量は自動車が飛行機を大きく上回っており、その中の多数を自家用乗用車が占めています。昨今もてはやされているEVにしても結局は化石燃料を消費するわけで、自動車が地球環温暖化を押し上げている主要因の一つであることに変わりはありません。

 このように地球上の自動車の絶対数を減らす取り組みが喫緊の課題なのですが、辺境地域など人口が非常に少なく公共交通を整備できず、自動車が人々の生活に欠かせないエリアが存在するのもまた確かです。さらに都市部でも、介護分野の送迎車両や流通・輸送配達関連など、住民の幅広い利便のために自動車輸送の必要性が年々増大しています。となりますと、これからの社会に欠かせないこれらの需要を優先させるために、公共交通やインフラが発達した都市部での自家用乗用車削減の取り組みが一層重要になります。まさに世田谷区はそうした地域の典型です。区民一人一人が「自分ごと」として自家用車をできるだけ持たない、「脱クルマ社会」への取り組みをおこなう必要があります。自家用車を所有することは都市住民にとっては最早ステータスではなく、むしろそれが都市の生活において本当に必要なものかどうかを問うべきなのです。区内の公共交通網を整備してこれまで以上に充実させ、さらにカーシェアリングなどによって自家用自動車の総数と走行数を下げて、少しでも長く持続できる地球環境を保つための施策が欠かせません。

 ほぼ待ったなしの状況になりつつある、この「脱クルマ社会」への取り組みの姿勢や、具体的な道筋についてお伺いできれば幸いです。

 

 「脱クルマ社会」への取り組みに併せて、道路整備事業の柔軟な運用も肝要になってまいります。60年前に策定された都市計画は、その当時の社会的・政治的情勢を反映したものであり、現在の状況にそのまま当てはまるものではないことは明らかです。具体的に申せば上記の「脱クルマ社会」への取り組みを反映した形に変えてゆく必要があると思われます。

 例を挙げると、私たちの地元である下北沢周辺の再開発に絡んで何かと話題に上がる補助54号線です。60年前の計画時から大きく変貌した、現在の下北沢という街が置かれている唯一性を鑑みると、平常時の公共交通や災害時の緊急車両のための新しい道路としては片側1車線ずつで十分です。下北沢の街中に自動車を溢れさせることも、道幅の広い道路を作ってその両側に高層ビルを建てることも、私たち地元住民がこの街に求めていることではありません。一部の利害関係者やその後援者たちは異なる考えをお持ちかもしれませんが。

 補助54号線の道幅計画を拝見する限りでは、車道は片側1車線のみに抑えて、十分な広さを備えた歩道が確保されているようです。計画図からは詳細に読み取れませんでしたが、実際の現場図面にはさらに自転車専用レーンと植栽スペースが確保されていることでしょう。自動車のための道ではなく、これまでの下北沢の再開発の計画が実践してきたように、環境と人間に優しい道を作る方向性はこのように進めてゆくべきです。道を作りながら「脱クルマ社会」を推進する方向に持ってゆくのです。それくらいのことをせねば、もう地球はこれ以上持たないという危機感をもって臨むことが肝要です。

 補助54号線の現在に至る経緯の詳細と今後の見通し、そして道路計画においての「脱クルマ社会」へ向けた取り組みもお伺いできれば幸いです。

 

 車座集会を開いて直接区民との対話の場を持ち続けようとする保坂区長の姿勢は、とても大切なことだと存じます。区役所のスタッフの方々の、集会の実施に向けての多大なるご尽力にも深く御礼申し上げます。様々な区民の声が区長や区役所の方々の元に届きますように願っております。

 

 

 これだけ地球レベルでの環境意識が高まっている現在ではこのような話はかなり「今更」な気もするが、私が都市における自動車の弊害を懸念し始めた20年以上くらい前では、まだそれほど社会の中に浸透していなかったようにも感じたし、今でもその頃と大して意識が変わっていない人々も多数存在するように思われる。そうした想いもあったので、改めて文章に記してみた次第だ。回答を要請したので、どのようなお応えが返ってくるのか楽しみにしている。

 残念ながら私はこの方面のどの分野の専門家でもないし、かなり感覚的に書いているので議論の余地は多々あるのは私自身重々承知している。建設的な議論はむしろ歓迎したい。

 私の過去の日記をご覧になったことのある方はご存知のように、私自身は自動車が嫌いだ。だがそれ以上に、東京という大都市の中で生まれ育ち、日々の暮らしの中で肌で感じてきた実感の方が大きい気がする。20年以上も前の世紀の変わり目の頃に、東京の夏の気温が年々上昇してゆくのをみて、この「ヒートアイランド現象」が将来取り返しのつかないことになる前に対策が必要になるなあ、と漠然と思い始めたのが最初だったように思う。

 東京の夏の温度を押し上げている3つの大きな要因として、エアコンの室外機が発する大量の熱、自動車が発する熱と排出する排気ガス、そして東京湾の空気の流れを塞ぐ湾岸のタワーマンション群が挙げられていた。だが現実問題として、これだけ東京の夏が異常なほどに(20年前でさえ!)上がってしまうとエアコンなしでは人々は生きてゆけない。また建てられてしまったタワーマンションを今すぐ引き倒すこともできない。

 となると、(他の2つも長期的に対処してゆくことは重要だが)まず我々が手っ取り早く手をつけることができるのは、自動車の発する熱と排気ガスを減らすこと=東京にある自動車の数を減らすこと、それだけだ。例えば当時ヨーロッパのいくつかの都市で導入されていた自動車の総量規制。あるいは自家用車への課税を強化して集めた税金を、公共交通網の充実とサービス拡充に投入するなど。そういった施策を行使して東京のクルマの数をを減らしてゆくことしか、この街の「ヒートアイランド化」を少しでも遅らせることはできないのではないか。

 あの頃は漠然とそう思っていたし、より事態が地球規模で深刻化した今は、変わらないどころかむしろ同じ思いを強くするばかりである。その割には、飛行機ばかり責める声が大きく、データを見れば分かる通りに本当に重大なはずの自動車への追求はあまり聞こえてこないのが実に不思議だ。いわゆる「大人の事情」なのでしょうか? だとしたら、そんな手前勝手な「大人」とやらは、地球にとっては害にしかならないので、要りませんけどね(笑)。

 多くの人々にとって飛行機よりはるかに身近にある分、自動車を問題視する方が私たち一人一人の「自分ごと」として捉えやすいはずなのだが。

 

 

 参考までに、関連するサイトのリンクをいくつか貼っておきます。ご興味のある方はリンク先をご覧くださいませ。

 

www.mlit.go.jp

 

www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp

 

kuruma-toinaosu.org

・上の記事は、1995年から活動する市民団体「クルマ社会を問い直す会」によるものです。

(写真は全て2023年7月〜8月に、下北沢の各所にて撮影)

 

 

 

夏野菜の味噌汁

 

 ふと気づけば、今年も暑い盛りの季節。

 今年の夏も例年に増して猛暑極まりない日々が続くが、洗濯物の乾きが非常に早いのと、店頭で野菜の値段がとても安く、かつ質が良いことはありがたいと思う。

 数日前の夕食の食卓に、夏野菜の味噌汁が登場した(上の写真)。

 味噌汁の具はミニトマトに茄子、ズッキーニ。

 今やどんな野菜もいつでも手に入ってしまうご時世ではあるが、それでもこの3つは夏こそ本領、という趣きの野菜ばかりである。

 さらに、食べる直前には、刻んだみょうがを散らす。

 これまた「夏こそ」な香味野菜だ。

 ひと月前くらいに突然みょうがに「目覚め」て大好きになった私。おかげで今年の夏の食卓はすっかりみょうが三昧なのだが、それはまた別の日記で書くことにしよう(追記:8月9日の日記に書きました)。

 

 

 ちなみに、この日の夕食の主菜はゴーヤチャンプルー(下の写真)。

 これまた「夏が主役」の野菜がメインのおかずである。

 

 

 夕涼みの風が吹き抜ける食卓の上に、こうして夏ならではの味覚が広がってゆく。

 夏ならではの味覚を目で鼻で舌で味わって、心ゆくまで愉しむ。

 移ろいゆく季節を、生活の隅々でじかに感じながら暮らす、その悦び。

夏の青空

 

 深く、碧い空をバックに、静かに伸びる鱗雲。

 上の写真は、この日の午後遅く、というより夕方近くに、近所を散歩中に撮った空の写真。

 下北沢と世田谷代田の中間辺りにある「シモキタ雨庭広場」で撮影した、印象深い空模様である。

 なんだかとても印象的だったので、この日記に挙げてみた。

 細かい鱗雲が空に描く模様や形が刻々と変わるさまが面白く、見ていて飽きない。

 東京とその周辺では、梅雨の時季は終わったようだ。

 今日は最高気温こそ35度を超えて今年初の「猛暑日」だったそうだが、強い風が終日吹いていたおかげで湿度がそれほど高くなく、日陰や風通しの良い場所ではかなり過ごしやすい。上の写真を撮影した夕方近くなどは、むしろ爽やかな空気に心地よさを感じたくらいだ。

 

 

 こちらの写真は、上の写真の少し前に下北沢と東北沢の間にある「reload」にて撮影。

 ちょっと日本離れした、旅先でのスナップショットのような雰囲気。

 最近の私たちの日常には、こういう光景が当たり前のように紛れ込んでくる。

 きらめきに満ちた季節の始まりだ。

梅しごと19年目


 6月といえば「梅しごと」の季節。

 今年も、私たち夫婦の毎年恒例・梅酒作りの時季だ。

 この日記で調べてみたら、我が家で初めて梅酒を漬けたのは2005年だった(2005年6月20日の日記参照)。なので、今年で19年目になる。一昨年の、実家を改築した新居への引っ越し(2021年12月30日の日記参照)を挟んでも途切れず(暮らす環境が変わると継続していたことが切れてしまうことはよくある)、よく続いたものだ。継続は力なり。

 

 

 梅酒を漬けるのに適した青梅が安く出回る時期は、それほど長くない。毎年6月の第1週にはスーパーの店頭で青梅の価格と状態を頻繁にチェックし、両者ともに最適な時を逃さぬように買うようにしている。今年は早くから気温が上がり降水量も多かったそうで、梅の実が膨らむのが通常より早く、収穫量も例年以上だとか。一昨年の引っ越し以来私たち夫婦がチェックするスーパーは自宅から近い下北沢の「オオゼキ」なのだが、確かに早くも5月末からかなり安い値段の梅を見かけ始めていた。

 そんなわけで、今年の第1回の梅酒作りは6月2日に早々に完了。我が家で作る梅酒は、毎年ガラスの保存容器2個分(4リットルと5リットル1個ずつ)で、それを数日の間隔をあけてひとつずつおこなう。なので第2回をいつにするか思案していたが、この前日の6月5日に、2Lサイズのふっくらと丸く青々とした梅の実が、1キロで本体価格299円という、ここ数年見たことのない安い値段で店頭に並んでいるのを発見。機を逃さずこれを購入。

 買った梅の実を一晩水に浸けて(冒頭の写真)、翌日にヘタを取ってからひと粒ずつ布巾で拭いて水気をしっかり除去。そしてガラスの保存容器に氷砂糖600グラムとホワイトリカー1升とともに投入して(2枚目の写真)、梅酒作りの作業が完了。今年の「梅しごと」も、無事に済ませることができました。

 梅酒の容器は、キッチンのパントリーに収納(下の写真)。じっくり漬けこんで、来年の夏の飲み頃を待ちます。

 

 一番右のがこの日漬けたばかりのもの。その左は6月2日に漬けた、今年の第1回の梅酒。早くも色が変わり始めている。そしてさらにその左の二つが、昨年の同時期に漬けた梅酒。実にいい具合に色づいている。もうすぐ、頬に触れる風の中に「夏」の気配をしっかり感じるようになったら、開栓して飲み始めることでしょう。

 ちなみに、この6月6日は「梅の日」だとか。その由来の故事は、16世紀・室町時代にまで遡るという。知らなかった〜。

www.tanabe-ume.jp

 

(2023年6月9日投稿)

 

「出会い」の愉しみ〜東京蚤の市

 

 東京・立川市国営昭和記念公園ゆめひろばで開催された「第19回東京蚤の市」に行ってきた。

 東京蚤の市もこのところ開催ごとに行っており、すっかり最近の私たち夫婦の恒例行事になってきた感がある。

tokyonominoichi.com

 

 

 「アンティーク」よりも「ブロカント」。古美術や伝統工芸の領域に繋がる骨董の品々をじっくり見るのはとても楽しいし、何より年月を重ねたものだけが持つ重みをじっくりと堪能する悦びはとても深いと思う。だが、骨董品はどうも向き合うのに襟を正してしまうことが多い。そして自宅に迎え入れるにもかなり二の足を踏んでしまうような、手の届かないお値段のものがほとんどだったり。まあもちろん、本気で我が家に迎え入れたくなるような骨董品にいまだ出会えていない、というのが大きいとは思うが。

 それよりも、たとえ骨董的な価値は乏しくても、庶民の暮らしの中で年月を重ねてきた食器や家具、雑貨などの「古道具」のほうに、より身近なものを感じる。名もなき人々が日々営々と繰り返し、積み重ねてきた暮らしや営みの温もりが伝わる「古道具」たち。年を重ねた枯れ具合などの風合いや独特な存在感、レトロな風情などの様々な魅力。値段も手に届きやすいものが多く、工夫次第で日々の生活の中に取り入れやすいことも、古道具の魅力だ。

 

 

 そんな古道具との「出会い」を求めて、いつからか年2回開催の、この東京蚤の市に足を運ぶようになった。コロナ禍による2年半もの中断をくぐり抜けて、昨年6月にめでたく第17回が開かれて復活し、以後は順調に回を重ねている。会場も国営昭和記念公園内の、この「ゆめひろば」ですっかり定着した感じだ。ここは広々と開放感に溢れた空間で、晴れた日は最高に清々しく気持ちがいい。以前の会場だった京王閣はやたらと入り組んでジメジメと薄暗いところが多く、私はあまり好きではなかったので、会場としてはこちらの方がはるかに良いと思っている。

 最近の開催日程は金曜日から日曜日の3日間が多く、これまでは私たちは週末の混雑を避けて初日の金曜日に行っていた。今回もそのつもりで、かなり早くから6月2日(金)の入場券をオンライン購入しておいたのだが、その当日は関東地方に線状降水帯が頻発して記録的な大雨になってしまい、あえなく開催中止に。入場券は残りの2日間のどちらかの入場券として使えることになったので、気を取り直して最終日の6月4日に行ってきた次第。

 

 

 この日は朝からすっきりと青空が広がり、まさに蚤の市日和。しかも午後はいい感じに薄雲が広がって、陽射しを浴び続けて身体が必要以上に消耗するのを防いでくれた。お天道様に感謝だ。

 昼前に入場してから終了時刻の5時まで、あれやこれやに盛大に目移りしつつ、たっぷりと蚤の市の魅力を堪能。古道具やクラフトにドライフラワー、食べ物に飲み物や豪華アーティストのライブパフォーマンスまで。もちろん、東京蚤の市の広大かつ多岐にわたる内容の全てを味わい尽くすのは到底不可能なので、終わった端から早くも「次は今回見られなかったアレを…」なんてあれこれ考えてしまう。それもまた、このイベントの魅力だ。

 

 

 次の第20回は、今年2023年の11月2〜4日に、同じ昭和記念公園ゆめひろばにて開催予定。金曜日も祝日なので、さてどの日に行くとしようか。

 

tegamisha.com

↑東京蚤の市を主催する手紙舎のオフィシャルサイトです。

 

(2023年6月7日投稿)

 

お久しぶりの猫村さん

 

 ひと月近く前のことになるが、ほしよりこ著『きょうの猫村さん』最新第10巻が発売された。

 前巻の発売から実に7年ぶりの最新刊である。

 それまで平均するとほぼ1年半に一冊のペースで新刊を出し続けていたのが、ここにきて7年も間が空いてしまったのには、著者ほしよりこさんの個人的な事情があったようだ。

 ともあれ、第1巻からほぼ20年来猫村さんに付き合ってきたファン(2005年9月6日の日記参照)としては、この再開は素直に嬉しい。特に、直前の第9巻がものすごい後を引く展開で終わって(より正確には「ブツッと途切れて」)いたので、余計に。

 

 

 ということで最新巻の冒頭は、7年間のブランクなどどこ吹く風。前巻の終わりの続きから何事もなかったのように始まって、いつもの「猫村さん」のペースで話が続いてゆく。まさに「なべて世はこともなし」……と言いたいところだが、何しろ猫村さんの奉公先・犬神家の旦那様に横恋慕した編集者・表奈美(オモテ ナミ)の卑劣な策略で、猫村さんが大変な目に遭いそうになった直後(猫村さん本人は全くその自覚なし)なので、その後の展開も波乱万丈。表奈美の策略に気づいた奥様のプライドがズタズタになってペシャンコにされてしまい、卑劣な表奈美も猫村さんとか岸カオルとかから寄ってたかってコテンパンにされるという。ほのぼのなイメージの強い『きょうの猫村さん』だが、これまでのストーリーでもあれやこれやがあって、実はけっこう起伏が激しいのですよ。

 そんな中でも、猫村さんの無垢なところ、素直すぎるくらいにシンプルな思考や行動には、やっぱり癒されてしまう。絵柄の可愛らしさ、その仕草の猫っぽさはもちろんのことだが、例えば、布団の中であれこれ考える猫村さんの、掛け布団をギュッと握る小さな手の可愛らしさなども。

 でも、ほのぼの・可愛い・波乱万丈だけでなくて、『きょうの猫村さん』には、思わずハッとさせられる深遠さも時折ヒョイと顔を覗かせる。

 その意味でのこの巻で特に重要な人物は、犬神先生の元教え子でたかし坊ちゃんの先輩である岸カオルだろう。なんでもこなせてソツがなく、いろんな意味で「デキる」人として描かれる彼が、スケ子さんの料亭で猫村さんとスケ子さんを前にして心の奥底を吐露する場面は、この巻の一番の注目シーンかもしれない。どんな仕事もタスクもすぐに終わらせないと気が済まないし、実際に終わらせてしまうのだが、「一度も達成感を味わったことがない」と彼は言う(本文197ページ)。岸カオルの、自分の人生に「意味」を見出せない心境、その「空虚さ」がチラリと覗く。今を生きる我々に、どこか痛切に響く言葉だ。

 さらにその少し後で、岸カオルは猫村さんに「時間をかけるべき物事も仕事もあるのですよ。効率だけが大切なことじゃない」と言う(同199ページ)。このセリフなどはタイパ至上主義がはびこる現代社会への強烈なパンチだ。のほほんとした雰囲気の中にさりげなくこういうスパイスをピリリとを効かせてくるのが、ほしよりこさんの真骨頂といってもいい。それを極めたのが、かの名作『逢沢りく』なのだろう。

 

 

 そう考えると、猫村さんというキャラは、いわゆる「現代人」とはある意味対極の存在、わたしたち現代人にない&できない(敵わない)もののカタマリなのかもしれない。とかくものごとを難しく曲がりくねって考えて、より一層複雑にしてがんじがらめになってしまう「現代人」たる周囲の人物たちは、猫村さんという、シンプルでまっすぐな思考しか持たない存在を「異物」として捉えているのかも。その、猫村さんのある意味「昭和」な思考と行動こそが、私たち読者にある種の脱日常的な「癒し」をもたらすのだろうし。

 さらにもうひとつ。岸カオルは言う。「家族の形ってもっとそれぞれいろいろあっていいんじゃないかな…」と。そして「幸せそうな図を一つの形に収めなくても 形だけ守ろうとすると本質的なものを見失うこともある」とも(同202ページ)。この国に今もって根強くはびこる、頑迷固陋な「イエ」中心主義へのさりげなく強烈なパンチである。

 この巻の終盤で、表奈美は猫村さんから「心がさびしくて貧しい人」と言われ、「憐れまれる」という彼女が一番嫌いな最大の屈辱を味わわされてしまう。さらに彼女は、自分が何を手に入れても一度も満足できず、常に「満ち足りない」ことを強く実感するに至る。この自己認識こそは、岸カオルの抱える空虚感と本質的につながっており、同じものだと言っていい。岸カオルと表奈美は、実は同じ「空虚」を抱えたひとりの現代人の、それぞれ別の様相を描いているに過ぎないのだ。『逢沢りく』の主人公りくとその両親もまた同様で、この、現代の社会に生きる人々の心に潜む「空虚」を描き出すことが、ほしよりこさんの大きなテーマのひとつなのかもしれない。

 

 

 それにしてもスケ子さんの「女将さん」髪型がものすご〜く突き出して、ほとんどリーゼント並みでスゴイ。また犬神の奥様が表奈美にタバかられたと知って寝込んでしまい、「どよーん」と幽霊のような姿に猫村さんが心底震え上がったり。その奥様の姿を猫村さんがモノマネしたのを見て「うわっ」と大マジに怖がり、猫村さんを「芸達者」と褒める犬神のオババやら。いろいろ語りたくなる小ネタが満載。何度読み返しても楽しめる一冊だ(笑)。

 そういえば、「また、たまに助湖(注:スケ子さんの店の名前)でメシを食おう」と岸カオルが猫村さんに言う場面(207ページ)で、「あの、私、しょっちゅうは無理なんです」と言う猫村さんに「うん、たまにでいい」と返す岸カオル。この、さりげなく「粋」な感じがすごくいい。こういう、人物の内側の魅力がチラッと覗く場面の描き方が、実に「粋」だなあと思うのです。

 

nekomura.jp

 

(2枚目の写真は、2019年6月24日にイタリア・ヴェネツィアブラーノ島にて撮影)