よく晴れました

 

 5月17日。

 私の誕生日である。56歳になりました。

 毎年同じことを書くが、5月17日は私の誕生日であると同時に、ノルウェーの最も重要な祝日「憲法記念日」で、事実上の国の誕生日だ。ノルウェーの人々がとりどりの民族衣装を着て、国を挙げて私の誕生日をお祝いしてくれる日だ(これもまた毎年書いているお約束…ということで。笑)。

 さらにこれまた毎年の記述だが、5月17日は超個人的認定の「晴れの特異日」である(2020年5月17日の日記参照)。

 といいつつ、この2年ほどはすっきりと晴れなかったので、そろそろこの認定も終わりか?などと考えていたのだが、今年の誕生日は見事に青空が広がった。「晴れの特異日」の復活である。

 ただ、晴れたのはいいのだが、少々気温が上がりすぎ。東京の最高気温は30度を大きく超えて「真夏日」になったらしい。やれやれ。いくら私の誕生日だからといって、そこまで頑張らなくてもいいのだが(笑)。

 ただまあ、湿度は低いので陽射しの直撃がなければかなり過ごしやすい。夕方などはすっきりと爽やかな空気が気持ちよく、涼やかな初夏の夕暮れの風情であった。

 晴れて気持ちの良い日和なので、午後は妻と二人で自転車に乗って出かけ、代官山から目黒川沿いの界隈を散策する。

 

 代官山の西郷山公園にて。

 

 目黒川。

 目黒川は川沿いのソメイヨシノが有名だが、桜の季節よりはこの新緑の季節に来る方が、気候が良くてよほど気持ちがいい。訪れる人も少なくて妙な人混みもないし。

 

 同じく目黒川沿いの、涼やかな情景。

 

 私の妻が作ってくれた苺のショートケーキ。今年で4年目だ。

 4年目ともなると慣れたもので手際もよく、今年も二日間に分けて作ったおかげでスムーズに作業できたとのこと。見た目も味もいい仕上がりになった。

 

 切り取ったあとの断面がなかなか美しい。

 

 今年も美味しくいただきました。

(2023年5月20日投稿)

街の洋菓子屋さん

 

 5月12日。

 私の妻の誕生日である。

  毎年同じことを書いて恐縮だが(そしてこれからも書くだろうけれども)、私の誕生日5月17日までの5日間だけ、夫婦で同い年になる。

 12日当日は私の体調が悪く特に何もしなかったので、翌13日に「自分ちの庭」こと下北沢の老舗洋菓子店「つくしや」でケーキを買って、二人で夕食後にいただいた(下の写真)。

 

 

 手前の「いちごフラワー」は苺がたっぷり仕込まれて、ふわふわしたクリームが優しい味わい。奥の「クラシックショコラ」は正統的なチョコレートケーキで、オレンジピールと胡桃が混ざったチョコレートのケーキ生地がみっしりと詰まっており、食べ応え十分だ。

 この「つくしや」は1958年の開業以来、お店の位置と形態は変化しつつも実に75年もの間、この下北沢の地で営み続けてきたという、本当の意味で老舗である。お店の移り変わりが実に激しい下北沢の地にあって、これほど長いこと営業し続けていられるのは容易なことではない。

 

tsukushiya.com

 

 それだけでもすごいことだが、「つくしや」が作るケーキ類は「普通に」美味しい。特に派手さはなくオーソドックスなものばかりだが、どれも見た目の期待に応える美味しさをちゃんと備えている。「街の洋菓子屋さん」として長らく親しまれている秘訣は、存外このような、奇を衒わぬ普遍的な美味しさをしっかり保ち続けていることにあるのではないだろうか。

 

(2023年5月14日投稿)

間奏曲

 

 またもや前回の日記から2か月近くも、更新しないまま過ぎてしまった。

 2月という悪しき季節をようやく潜り抜けてから、3月4月と暖かさを増して、空気の中に春の色合いが徐々に濃くなってゆくこの季節。

 ようやく、自分の中の何かが目覚め始めて。

 少しずつ、少しずつ動き出そうと感じて。

 まずは溜まりまくった自分のタスクを、ひとつひとつ焦らず片付けることから始めている。その「自分の立て直し」活動を優先しているために、この日記がどうしても後回しになってしまう。書きたいことは例によって山のようにあるのですが。

 さらには暖かい季節になっても、自分の身体と精神の中に波のように様々に現れる、なんとない不調が途切れることなく続いている。その大なり小なりの不調が「自分の立て直し」の進み具合を著しく滞らせているのもあって。少し画面に向かって少し文章を書くだけで激しい目の痛みとゴリゴリに襲われる状態も、例によって例のごとく頻繁に私を悩ませる。今もまさに、激しい目の痛みを抱えながらこの文章を書いています(汗)。

 そんなわけで、この日記ももう少しお休みかしらん。

 今日のこの日記は、インターミッション(間奏曲)的な投稿ということで。

 といって、来週あたりから、更新が突然頻繁になったりするかもですが(笑)。

 未来のことは分からないのですから。

 

(写真は全て2023年4月10日に撮影)



3年ぶりの梅まつり

 

 亡き父の誕生日であった2月22日。

 我が家の近所にある羽根木公園に、名物の梅林の梅の花を観に行く。

 折しも羽根木公園ではこの時季恒例の行事、第44回「せたがや梅まつり」が開催中。恒例といっても、コロナ禍でここ2年中止を余儀なくされたために、3年ぶりの開催である。

 

setagaya-umematsuri.com

 

 「まつり」といっても平日は近隣の商店街による出店もなく、ひたすら紅白にさまざまに咲き並ぶ梅の花々を愛でるのみ。本来の目的にかなったシンプルさが潔い。

 この近くで生まれ育った私にとっては、羽根木公園は幼い頃からの遊び場のひとつ。勝手知ったるなんとやらだが、長い年月の間に少しずつ変わってきた物事も多い。この「せたがや梅まつり」も、第1回の開催は1978年の2月で私が小学校4年生の時。十分に私の記憶の範囲内だ。

 

 

 気持ち良いくらいに雲ひとつなくすっきりと広がる青空のもと、梅林の中や遊歩道沿いに並んだ、花の色も樹勢もひとつひとつ異なる梅の樹々を眺め、写真を撮りつつそぞろ歩く。

 

 

 梅の花には、近づいて花のひとつひとつの表情をじっくりと眺めたくなる風情があるように思う。早咲きの河津桜オカメザクラも同じ。だがソメイヨシノにはそうした風情はあまり感じない。この感じ方の違いはなんだろうか。

 そう思っていたら、この数日後、2月25日の朝日新聞朝刊の「天声人語」に、

樹(き)全体でいっせいに咲き誇る感のあるソメイヨシノと違い、梅には一輪一輪をめでる楽しみがある。小さな姿で、春の訪れの近いことを精いっぱい告げているのだろう。

 という一節が載っていた。なるほど言い得て妙である。

 これはきっと、梅の花が本来的に持つ慎ましやかな風情の所以。そうではないだろうか。あるいは私たちの心情が、梅の花の佇まいに慎ましやかな美を投影するのかもしれないが。

 それに対して、ソメイヨシノの花の、時に数にものをいわせるような咲き方には、時として目に見えない「圧」のようなものを感じて辟易してしまうこともなくはない。そもそも「桜といえばソメイヨシノ以外なし」的な捉え方がはびこっているこの現代日本での、毎年3月中旬以降に日本の社会と文化にのしかかるその「圧」の、異論を許さぬかのような、有無を言わせぬ大きさよ。

 梅の花を見るとホッとしてしまうのは、その違いのせいか。

 

 

 この2月22日は、最近ではすっかり「猫の日」として定着しているようだ。だが、私にとっては、それよりずっと以前から「自分の父親の誕生日」であった。

 そういえば、今年84歳になる私の母は3月5日生まれで、かつ父よりひとつ年上であった。

 ということは父の生前には、毎年2月22日を過ぎると、私の両親は3月4日までの11〜12日間だけ夫婦同い年になっていたということだ。今更ながら気づいて少々驚く。

 というのも、偶然にも私たち夫婦も同じ状況だからだ。こちらは私の方がひとつ上なのだが、私の誕生日が5月17日なのに対し、ひとつ下の妻は5月12日。つまり5月12〜16日の5日間だけ、夫婦同い年になる。

 親子の間で、面白い偶然の一致をみたものだ。

 

 

(2023年2月27日投稿)

 

時の流れは

 

 2月13日は、私の父の命日。

 あれから5年が経った。

 しとしとと降り続く雨の中を、墓参に向かう。

 「そこ」には、もうその人はいないことを、ひしひしと感じながら。

 墓参とは、ある意味でその人の「不在」をより強く感じる行為である。

 そのように思えてならない。

 

 

 ある人への手紙の中で書いたことだが、喪失の感情は時間の経過とともに癒されることはない。

 ただ、時間はとどまることを知らない。喪失を経験したあとも、私たちの前にはたどるべき道が続いている。私たちは喪失の想いを抱えたまま、それ以降の日々を暮らしてゆかねばならない。

 そのように日々の暮らしを積み重ねていくうちに、その中で経験するさまざまな喜びや笑いや美しいものが頭の中に並んでゆく。そして、あれだけ大きく自分の前に立ちはだかっていた喪失の感情もまた、決して消えることはないけれど、いつしかその並びの中に加わってゆくのを感じる。

 そして、ほかの消えることのない想いたちと等価に並べられて、混じり合い、すべての愛しい想いの中に包まれてゆく。ひとつひとつの想いを、各々鮮明に残しながら。

 そんな心の襞の動きのようなものを、日々実感しつつ過ごしている。

 言葉にすると、そんな感じだろうか。

 

(写真はすべて、2023年1月26日に東京都内で撮影)

立春を過ぎて

 

 昨年末に前回の日記を書いてから、ずいぶん間が空いてしまいました。

 昨年末から今年の初めにかけて不測の事態(予測の事態?)が続けて起こったために、いきなり年始早々からバタバタ。新年の気分を味わうどころではなく日々の暮らしを回すことで手一杯だったため、この日記を書く余裕など全然なかった。

 ようやく息をついて周りを見回せるようになり、年が変わった実感が湧かないままに2023年も1月が終わっているのに気づく。いつの間にか立春を過ぎて、一年で最も悪しき気が集まる「凶の月」2月になっていた(2019年2月14日の日記2020年2月13日の日記参照)。

 そしてようやく久々にこの日記を書こうとしたら、またお馴染みの目のゴリゴリが(汗)。目が痛んでとても画面に向かうことができず、トホホである。1月末から通い始めた整骨院の施術がようやく効いてきて(そのほかにもあれやこれやの対策を施して)、改めての仕切り直しでこの日記を書いています。

 2月に入った途端に気温が高めの日々が続き、早くも暦どおりに春が近づき始めた予感すら感じる。今日は気温がぐっと下がって、東京ではうっすらと積もるほどに雪が降ったが、それもまた春へ近づくための一種の「儀式」のように思えてしまう。東京に長く暮らす人には言わずもがなだが、東京の本当に寒い時期は空気がカラカラに乾いて身を刺すような寒さが主役だ。雪が降るということはつまり降水なのだから、空気中の湿気が増すだけでも季節が一歩動いた、ということを感じる。

 私が小学生だった頃は、一年で最も寒いのは2月だと暗黙のうちに思い込んでいた。暦の上の「立春」なんて本当に形式、という感覚だった。それが近年は、明らかに1月が最も寒く感じて、2月に入ると早くも春の気配、などという言葉が聞こえ始める。

 まあ秋から冬に移るのが年々遅くなってきているのだから、つまりは冬が短くなってきている、ということなのだが。冬は決して最も好きな季節ではないのだが、それでも近年のこの傾向にはやれやれというしかない。

 

(写真は2点とも、2023年2月9日に撮影)

 

「生きている人間」の物語

 

 テレビドラマ「silent」(サイレント)の話、しつこく続きます(笑)。

 このドラマの人気がなんだかものすごく社会現象化してきて、世田谷代田や下北沢といった「自分ちの庭」がすっかり賑やかになったので、これはもっと書いておかないと、という気持ちになりました。

 ドラマ自体のほうは既放送分の第10話までは鑑賞済みで、いよいよ明日放送の最終話を残すのみ。先日の日記にも書いたが、明日12月22日は私たち夫婦の26回目の結婚記念日。毎年この日は恒例行事のブッシュ・ド・ノエル作りをしてから、妻が腕によりをかけたご馳走ディナーをゆっくりワインを飲みながら二人でいただくことにしている。だから、放送当日に最終話を観られるかどうかはやや微妙。録画をその翌日に観ることになりそう。

 

 

 世間での「silent」人気は、もはやとどまるところを知らず。そう思うのは、やはり私たちがその「聖地」のお膝元で暮らしているから、この辺りではその人気ぶりが余計に増幅されて感じるのかしらん。

 第10話放送の翌日(12月16日)の夕方、散歩と買い物で下北沢駅南西口前の広場を通りかかったら、広場がものすごい数の人で埋め尽くされていてびっくり。よく見ると、広場の中央に真っ白いクリスマスツリーが立っている(下の写真)。さらに目を凝らすと、ツリーの白く丸く輝くオーナメントの表面に「silent」とドラマのロゴが印刷されている(冒頭の写真)。これはドラマの最終回を宣伝するツリーだったのだ。ドラマ最終回を予告する映像を流すモニターも設置されており、Official髭男dismが歌うドラマの主題歌「Subtitle」も流れている。

 

 


www.youtube.com

 

www.shimokitazawa.info

 

 それにしてもこの人だかりの数は尋常ではない。その場で人員整理をしているスタッフの人に訊くと、みな午後6時(あと10分くらいだった)のツリー点灯を待っているのだとか。特にキャストの誰かが来たりセレモニーがあるわけではないそうで、「ホントにただ点灯するだけなんですよ」とその人は言っていた。それだけなのに、この人だかり。ドラマに関係することなら小さなイベントでさえも関わりたいと思うほど、この物語の世界に浸っていたい気持ちが、人垣の中から静かな波となって伝わってくる。先日の日記で書いた(2022年12月8日の日記参照)、私たちが世田谷代田や下北沢で見る「二つの風景」が、ここまで大きく広がってくるとは。幼い頃から、変わりつつも馴染んできた風景が、こんなに多くの人々に特別な感情を抱かせるとは。人間が作り出すものも時には捨てたものではないな、と不思議な高揚感と多幸感に包まれた夕刻のひと時であった。

 世田谷代田と下北沢という、私にとっては「自分ちの庭」みたいな場所との縁で観始めたドラマ「silent」。最終回の放送日が私たち夫婦の結婚記念日だというのも何か「縁」のようなものを感じる。そういえば「silent」が普段ドラマを観ない人たちも惹きつけている、という内容の記事を読んだ(以下のリンク先の記事です)。

 

realsound.jp

 

 これって、まさに私たちのことじゃないですか。NHK大河ドラマ以外ではここ10年近くも、テレビの連続ドラマを観たことがない私たちの。ただ、記事中で「ドラマをあまり観ない人の理由」として挙げられている、「『ドラマ作品の完結までが長いこと』と『(リアルタイムの場合)決まった時間に毎週観ること』のハードルの高さ」は、私には当てはまらないか。私は物語が長ければ長いほど喜ぶ人だし。それに決まった時間も何も、そもそも観ると決めた作品は予約録画してしまうので。そして録画したら放置せず必ず観る。放送1年後か2年後かもしれないが、ちゃんと観てます。それよりむしろ、観たい気になるドラマが少ないことと、テレビを観るより本を読んだり音楽を聴いたり映画を観るほうが好きなので、そっちの方が理由としては大きいか。それ故に、「silent」はわざわざ初回まで遡ってまで観るに値するドラマだった、ということだ。

 もうひとつ書いておくと、私たちにとっては「silent」は、この先の展開がどうなるか気になる、というのはあまりなくて(多少はあるけれど)、それよりもこのドラマの世界を、物語に登場する人たちをずっと見ていたいという気持ちが強いような気がする。いつまでもこの物語の世界を見続けていられたら、という感じ。それは、題材の新奇さや内容の衝撃性ばかりに目を奪われるのではなく、登場する人々の気持ちの流れや感情の動きを愚直なまでに丁寧に掘り下げて、リアルに存在感のある「生きている人間」として画面上に描き出していることによるのではないだろうか。生きている人間同士が混じり合うことで、物語は自然と動き出す。恋愛ドラマであることも、聴覚障害を題材のひとつに扱うことも、このドラマではあくまで生きた人間同士の物語を語るためのツールとして扱われている。

 それでいいと思う。そういう「生きている人間」たちを身近に感じながら、観る私たちがその心の動きや気持ちの流れに感情移入して物語に没入し、一喜一憂するドラマ。そういう創作物を私たちは「文学」とか「文芸」と呼んでいたのではなかったか。

 

 

 明日の最終回、楽しみに観ることにしよう。

(写真は2枚とも、12月20日に現地を再訪した際に撮影した写真です)